収束

 鏑矢が、天を目指して駆け上り、そして弾けた。


「信号弾を確認!」

「色は?」

「青です!」

「分かりました」


 士官の声に男の子が頷き、迷うことなく櫓の上に登る。そして、屋敷を囲む衛兵たちに向かって声を張り上げた。


「僕は、ロダン公爵の嫡男、ロイ! たった今、父の配下の者がカミュ公爵を捕らえました!」

「何だと!?」


 衛兵たちがどよめく。


「皆さん、王宮に向かってください。そこで皆さんの仲間が真実を教えてくれるはずです!」

「王宮へ?」

「真実?」


 意味が分からなかった。

 それでも衛兵たちは、ロイの言葉から何かを感じ取る。


「この反乱の意味と、皆さんが戦う意味について、皆さんの仲間の言葉を聞いてからもう一度考えてみてください!」


 そう言うと、ロイはぐるりと衛兵たちを見渡してから、ゆっくり櫓を降りていった。


「ご立派でした」


 櫓を降りたロイに向かって、嬉しそうに士官が笑う。

 その士官に、ロイが笑いもせずに答えた。


「僕は何もしていません。皆さんがこの屋敷を守ってくれたのです」

「いや、そんなことは……」

「負傷者の手当を急いでください。それと、各部隊に伝令を。衛兵たちが引き上げても、決して油断しないようにと」

「はっ!」


 笑顔を収めて士官が動き出す。

 各部署に指示を伝える士官の顔は、やっぱり嬉しそうだった。

 

 ロダン公爵が屋敷に残していった兵士たち。もと漆黒の獣の優秀な兵士たち。

 屋敷の外に身を隠すカイルとアランにかわって、その指揮を執ったのはロイだった。

 補佐に付けられた士官は、その指揮振りに舌を巻いていた。


「団長。俺の出る幕なんて、全然ないっすよ」


 昔の口調に戻って、士官がこっそりこぼす。

 そして、小さな声で、目の前の背中に誓った。


「俺も、団長たちと一緒にあなたを支えます」


 思わぬ形で実現したロイの初陣。その初陣で、ロイは一流の将たる片鱗を見せたのだった。




 青い信号弾?


 王宮の攻略を任されていた指揮官が、視界に入った青い煙を見て首を傾げる。


 そんな合図は聞いていないぞ


 作戦は順調に進んでいる。今更方針変更や中止があるとは思えない。

 しばらく考えていた指揮官は、王宮に向き直って怒鳴った。


「槌を持ってこい! 扉を打ち破る!」


 すでに近衛兵の多くは投降している。王宮に立て籠もる兵はそう多くない。扉を破り、中に突入しさえすれば、戦いは事実上終わるだろう。


「カミュ公爵が到着される前に、王を捕らえるのだ!」


 内門突破の報告はすでに出した。カミュ公爵は、もう屋敷から出陣しているはずだ。公爵が到着する前にはケリをつけておきたい。

 兵士が、大きな槌を持ってきた。


「打ち破れ!」


 指揮官が命じ、部下が槌を振り上げた、その時。


「国王陛下は乱心などしていない!」

「逆賊はカミュ公爵だ!」

「みんな目を覚ませ!」


 何人もの衛兵が、何かの紙をばらまきながら叫び始めた。


「それを見てみろ!」

「カミュ公爵の悪事がすべて書いてある!」


 突然の衛兵たちの行動は、殺気立った戦場に奇妙な間を作った。


「国王が乱心していない?」

「カミュ公爵が逆賊?」


 流されるがままに戦っていた者たちが、止まった。

 紙をばらまく衛兵たちを、指揮官が大きな声で質す。


「貴様ら、どこの所属だ!」


 それに、一人の男が答えた。


「この町の治安を守る衛兵隊、その本署の連中だよ」

「貴様は……キース!」


 指揮官が目を見開く。


「ありゃあ、本署の署長じゃねぇか?」


 衛兵たちの間にどよめきが起きた。

 戦場に吹く風が、緑色の髪を靡かせた。


「国王陛下が乱心しているという証拠は何一つない! だが、カミュ公爵が悪巧みをしているという証拠なら、ここにある!」


 キースが紙の束を掲げる。


「その資料をよく読め! そしてよく考えろ! 衛兵なら、証拠なく人を罰することの危険性はよく分かっているはずだ!」


 その言葉を聞いて、衛兵たちが顔色を変えた。

 そして、ばらまかれた紙をゆっくりと拾い上げる。


「カミュ公爵はすでに捕らえられた! 戦いは終わりだ!」


 攻撃側の戦意が消えていった。

 衛兵たちは、一言も発することなく拾った資料を読んでいる。

 その様子を確認し、大きく息を吐き出して、キースが指揮官を見た。


「お前も諦めるんだな」


 キースを睨み付け、唇を強く噛み、そして指揮官は、剣を地面に投げ捨てた。


 本署の衛兵たちがばらまいた紙。かつてマークが逮捕された時に、カミュ公爵にフェリシアが届けた手紙の写し。


「社長、これで借りは返したぜ」


 南に向かってキースが笑う。

 その顔を歪めて、空を見る。


 リュクス。これでお前にも、少しは許してもらえるのかな


 突如として勃発したカミュ公爵の反乱は、ここに収束した。




「失敗したら大笑いしてやるつもりだったが、いざそうなると、笑うこともできんな」


 屋根の上で、引っ立てられていくカミュ公爵を眺めながら、仮面が緩く首を振る。


「せめておぬしが反乱を成功させてくれたなら、全滅した子供たちにかわってわしがイルカナ軍を潰すつもりでいたのだが、おぬしがそんなことになっては意味がない」


 残念そうに空を見上げる。


「おぬしがイルカナを治め、わしがエルドアを治める。おぬしは悲願を成就させ、わしは、誰にも邪魔されず、じっくり研究に打ち込める環境を手に入れる。そういう筋書きだったのだがな」


 仮面が、大きなため息をついた。


「まあ、仕方ない。一度戻るとするか」


 仮面がふわりと浮き上がる。


「そう言えば、キルグの御曹司はどうなったかのぉ。まさかあちらも失敗などということはないと思うが」


 南に向かって飛びながら、仮面がつぶやく。


「まあ、そうなったらその時だな。何と言っても、時間はたっぷりあるのだから」


 一気に加速したその体は、あっという間に空の彼方へ飛び去っていった。

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