差出人
「ヒール!」
まばゆい光が溢れ出す。
兵士の傷が、みるみるうちに治っていく。
「あ、ありがとうございます」
「勇敢に戦った皆さんを、僕は尊敬します」
幼さを残したきれいな顔が笑った。
「アルバート様、次はこちらを」
「分かった」
素早く立ち上がって、アルバートは声の主のもとへと向かう。
「クロエは少し休んで」
「私は大丈夫です。アルバート様こそ、ご無理をなさらずに」
「僕も大丈夫」
微笑みを交わして、二人は手当を続けた。
神の石の力は絶大だった。熟練ヒーラーたちが目を見張るほどの強力な治癒力で、次々とアルバートが兵士の傷を治していく。
「こちらもお願いしてよろしいでしょうか?」
「今行きます」
クロエと一緒に、小さな体が兵士の間を走り回る。
その二人を、自らも働きながら、剣士と魔術師が見守っていた。
魔物を全滅させたイルカナ軍は、負傷者の手当を行いながら、四方に斥候を放って状況の把握に務めていた。
陣中央にある天幕には、ロダン公爵と、危機を救った三人の男が机を囲んで座っている。
「アルバート様は、まだ兵の治療をして下さっているのですか?」
「あ、はい。自分にはこれくらいしかできないからとおっしゃって」
ロダン公爵に聞かれて、ターラが答える。
エルドアからコメリアの森に逃れていたアルバートたちも、ターラと共にこの場にやってきていた。
「次期エルドア国王は、なかなか謙虚なお人柄なのだな」
微笑みながらそう言って、サイラスが隣を見る。
「お前もアルバート様に治療していただいたらどうだ? 痛々しくて見てらんねぇぜ」
「必要ない」
リスティが素っ気なく答えるが、その腕も足も傷だらけだ。滅茶苦茶な戦い方をするリスティにとって、戦いの後はいつもこうなのだが、それを本人はまるで気にしていないようだった。
サイラスが、呆れたようにリスティを見る。
そこに、斥候が立て続けに戻ってきた。
「東側に魔物はおりません」
「西も同じです」
頷いて、ロダン公爵が鋭く聞いた。
「南はどうだ?」
「ここより五キロ以内に敵の気配はありません」
「よし。さらに遠方、国境付近まで探るのだ。少しでも怪しい気配があればすぐに報告せよ」
「はっ!」
再び出て行く斥候たちを見送って、公爵は小さく息を吐き出した。
気を緩めてよい状況ではない。とは言え、当面の危機は去ったようだ。
しかし、まだ北に向かった斥候が戻ってきていない。
公爵がもっとも気にしている方角。その報告次第では、直ちにここを引き払って北に向かわなければならない。
「何か、気になることがあるのですか?」
ふいにターラが聞いた。
大きな体を屈め、心配そうに自分を見つめるターラを見て、公爵の表情が緩む。
「いや、大丈夫です」
微笑みを返し、そして三人を見た。
「こうして笑っていられるのは、すべて皆様のおかげです。改めてお礼を申し上げる」
深く頭を下げる公爵に、ターラが笑みを見せた。
「森は、イルカナに感謝をしております。少しでもお役に立てたのなら、わしも嬉しいです」
無表情なままで、リスティも答える。
「命令だから来た、それだけだ」
最後に、サイラスがあっけらかんと言った。
「俺は好きでやっただけです。気にする必要なんてありませんよ」
サイラスらしい答えに公爵はもう一度微笑み、そして聞いた。
「ところで、サイラス殿はどうやって我が軍の危機を知ったのですか?」
森とカサールには、イルカナ国王から使者が向かっていた。だが、サイラスのいるウロルには応援要請を出していないはずだ。仮に出したところで、遠くウロルからの援軍が間に合うはずなどなかった。
しかし、たった一人とは言えサイラスはやってきた。しかも、それは絶好のタイミングでの登場だった。
首を傾げる公爵に、サイラスが答える。
「武術大会の後、うちの国のお偉いさんに、イルカナと仲良くするよう提案したのです。それが認められて、まずはコメリアの森との関係を強化しようってことになった。で、その親善大使に俺が選ばれた。だから、じつは俺はコメリアの森にいたんですよ」
公爵が目を見開いた。
サイラスが国にそんな提案をしたことも、コメリアの森にいたことも、共に驚くような話だ。
「魔物が攻めて来たのを知らせてくれたのは、ターラです。知らせを聞いてすぐここに向かったんですが、ちょうど森の北側を視察してたところだったので、到着が遅れてしまいました」
「そうでしたか」
公爵が、今度はターラを見た。
「ターラ殿、すまない」
「いえ……」
ターラが恥ずかしそうにうつむく。
「わしらもサイラスさんも、イルカナに何かあればすぐ駆け付けるつもりでおりましたので」
「それはありがたいことだが……どうしてそこまで?」
ターラがそう言うのは分かる。先ほども、森はイルカナに感謝をしていると言っていた。
だが、サイラスがイルカナのために働こうとする意味は分からなかった。
公爵の疑問に、ターラが答えた。
「わしもサイラスさんも、ある方から頼まれていたのです。イルカナに何かあった時には助けてほしいって」
「頼まれていた?」
またも驚く公爵の前で、ターラが封書に入った一通の手紙を取り出した。
それを見て、サイラスも同じような封書をテーブルの上に置く。そして、リスティを見ながら言った。
「たぶんこいつも、これと似たような手紙を受け取ってると思いますよ」
リスティが顔をしかめる。
「ほら、持ってるんだろ。お前も出せよ」
サイラスに促されて、渋い顔をしながら、リスティはポケットから手紙を引っ張り出した。
「俺は、これと一緒に入っていたもう一通の手紙を、カサールのガザル公爵に渡しただけだ。そうしたら、ガザル公爵が青い顔をして動き出した。だからかどうかは知らんが、イルカナからの援軍要請が来てすぐに俺が呼ばれ、すぐに軍が編成されて、ここに来た。それだけだ」
「それだけじゃないだろ?」
無愛想なまま話を終えたリスティに、サイラスが言う。
「お前自身も頼まれてたはずだぜ。何かあったらイルカナを頼むってな」
ニヤニヤ笑うサイラスを、リスティが睨む。
「俺は、お前が嫌いだ」
「そうか? 俺は、お前のこと嫌いじゃないぜ」
平然と言われて、リスティが狼狽える。
「わしも、リスティさんは嫌いじゃないです」
ターラにまで言われて、リスティの目は完全に泳いでいた。
何とも微笑ましいやり取りではあるが、ロダン公爵は、それをのんびり眺めている気持ちにはなれない。
「その手紙の差出人とは、いったい……」
テーブルに並んだ三つの封書を見ながら公爵が聞いた。
公爵は、森とカサールが素早く動いたのは、イルカナ国王が両国に大きな見返りを約束したからだと考えていた。
しかし、今聞いた話が本当だとするなら、援軍がこんなにも早くやってきた本質的な理由は、最初から三人に誰かが依頼をしていたからだということになる。
三人が互いに見合う。
やがて、ターラが口を開いた。
「わしらに手紙を送ってきたのは……」
その時、バタバタという音と共に最後の斥候が戻ってきた。
「申し上げます! 公爵のおっしゃる通り、アルミナでは反乱が起きておりました!」
「そ、そうか」
答えを聞きそびれた公爵が、慌てて頷く。
「ですが、反乱は失敗です。カミュ公爵は捕らえられ、反乱に加わった衛兵たちもすべて投降しました」
「国王陛下はご無事か?」
「はい、ご無事です。捕らえられていたアウル公爵は解放、ロダン公爵のご家族も健在とのことでした」
「そうか」
ふぅ……
ロダン公爵が、今度こそ大きく息を吐き出した。
緊張が緩んで、肩の力が一気に抜ける。
「それと」
斥候が報告を続けた。
改めて背筋を伸ばして、公爵が斥候に目を向ける。
「アルミナの衛兵本署の署長から、手紙を預かって参りました」
「キースから?」
衛兵本署の署長、キース。
カミュ公爵の勢力内に、ロダン公爵が打ち込んだ小さな楔。
アルミナを出陣する際に、留守を託してきた者のうちの一人だ。
不測の事態が起きた時には、良心に従って動いて欲しい
部下を通じてそう伝えたのみで、キースに対して具体的な指示は出していない。
カミュ公爵の、まさに懐の中にいるキースと深くつながるのは、お互いのために危険だと公爵は考えていた。
そのキースからの手紙。
あの男も、反乱の鎮圧に一役買ってくれたのかもしれぬ
アルミナに残してきたカイルとアランには、キースの存在を伝えてあった。二人や、息子のロイと連携してキースが動いてくれたのだろうか。
そんなことを考えながら、斥候が差し出す手紙を公爵が受け取る。
それは、公爵宛ではなかった。それは、キース宛てに誰かが書いた手紙だった。
読み進めるにつれて、公爵の目が開いていく。
「署長が申しておりました。”あらかじめそれを受け取っていたおかげで、いろいろと準備ができた。どうか、その手紙の差出人に褒美を与えていただきたい”と」
斥候の言葉を、手紙に目を落としたまま公爵が聞く。
「それから、反乱に加わった衛兵たちの罪を軽くしていただきたいとも申しておりました」
「そうだな、考えておこう」
その返事には、あまり気持ちがこもっていない。
キースの二つ目の申し出は、十分検討に値するものだろう。命令に従っただけの衛兵を重く罰するのは、新たな混乱を招く恐れもある。
しかし今の公爵は、反乱の後処理よりも、手元の手紙の内容と、その差出人の名前に心を奪われていた。
「報告は以上です。失礼いたしました」
手紙から目を離さない公爵に一礼して、斥候が天幕を出て行った。
しばらく無言だった公爵が、パサリと手紙をテーブルに置く。
「まったく……」
小さく公爵がつぶやいた。
そこに、ターラの声がする。
「先ほどのご質問の答えですが」
そう言って、ターラがサイラスとリスティを見た。
三人が互いに目を合わせ、それぞれの手紙に手を伸ばす。
「おそらく、わしらが持っていた手紙と、その手紙の差出人は、同じ人物だと思います」
その言葉を合図に、三人が同時に封書を裏返した。
そこにある差出人の名を見て、公爵が呆れたようにつぶやいた。
「まったく……」
つぶやいて、公爵が笑う。
ターラも笑う。
サイラスも笑う。
あのリスティまでもが笑う。
同じ筆跡の同じ名前を見て、四人は互いの肩を叩きながら、いつまでも楽しそうに笑っていた。
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