正義と正義

 信じられない話だが、完全に否定することもできない。あり得ない話だと思いつつ、あり得るかもしれないとも思ってしまう。

 もしかすると、上官の命令に大きな声で答えたのは、上官が仕込んでおいたサクラだったのかもしれない。それに合わせて動いてしまったのは、釣られてしまっただけなのかもしれない。


 本当にこれでいいのだろうか?


 多くの衛兵が、そう思いながら戦っていた。

 そう思いながら、しかし気を抜けば死が待っている戦場において、戦う意義をじっくり考えている余裕などなかった。


「守備塔に攻撃を集中、梯子を狙わせるな!」


 矢と魔法が守備塔に襲い掛かる。

 近衛の魔術師が慌てて身を隠す。


「今だ、一気に塀を登り切れ!」


 衛兵たちが梯子に手を掛けた。


「させるか!」


 近衛兵が、塀の上から一斉に石を投げ落とした。


 なぜ同じ国の者同士が戦わなければならないのか。

 双方がそう思っていた。

 双方が、そう思いながらも戦っていた。


 その理不尽な戦いが、ついに攻撃側優勢へと傾いていく。

 カミュ公爵一派の貴族の私兵が続々と戦場に到着し始めた。


「放てー!」


 矢が降り注ぐ。魔法が壁を打ち砕く。

 やがて、衛兵たちが壁を乗り越え始めた。内側に飛び降りた衛兵が、近衛兵と白兵戦を繰り広げる。

 こうなると、守備側に為す術はなかった。壁の外から衛兵が続々とやってくる。内側に辿り着いた衛兵が、内側から門を開ける。


「王を捕らえるのだ!」


 衛兵が気勢を上げた。


「壁を放棄、王宮を守れ!」


 近衛兵が退いていく。

 戦いは、ついに王宮の建物をめぐる攻防へと移っていった。



「我が軍は、すべての内門を突破しました。王宮の占拠と王の捕縛は時間の問題と思われます」

「よし」


 報告を聞いて、大きな体が兜を持ち上げる。


「わしも王宮に向かう。チャリオットの準備をせよ」

「はっ!」


 駆け出した部下に続くように、男も歩き出した。

 大きな体に重厚な防具。その重量を乗せて走れる馬は、残念ながらいない。四頭立てのチャリオットを使って、男は王宮に向かうことにしていた。

 ガチャガチャと音を立てながら、男は歩く。


 ここまではほぼ計画通り。

 ただし、想定外が二つ。


 一つは、南の戦場にカイルとアランがいないことだ。

 ロダン公爵が信頼を寄せる男たち。公爵は、魔物討伐のほとんどをあの二人に任せてきた。

 あの二人がいようといまいと、南の戦況に大きな影響がある訳ではない。大型種を含めた十万の魔物に対して、あの二人に何かできるとは思えない。


 所詮はもと傭兵、勝てぬと見て逃げ出したのだろう


 蔑むように男が笑う。


 あんな者たちを重用してきたロダンの気が知れぬ


 男が小さく鼻を鳴らした。

 その顔が、急激に険しくなる。


 問題は、もう一つの出来事だ

 

 想定外の、もう一つ。それは、王が他国に応援を求めたことだった。

 情報では、コメリアの森の兵士約二千、カサールの騎兵約五千が、イルカナ王の勅書を掲げて国境を越え、そのまま真っ直ぐ南の戦場に向かっていったという。


 わしなら、誇りに掛けてもそんなことはせぬ


 男の体に殺気が宿る。


 やはり、あの者に王の資格などないのだ!


 ギシギシギシ……


 ガントレットの下の皮手袋が音を立てる。

 強烈な気配に、後ろにいた部下が怯えていた。それに気付いて、男が殺気を収める。


「案ずるな。わしは味方に手は出さぬ」


 前を向いたままそう言って、男は屋敷の外に出た。そして、用意されたチャリオットに乗り込む。

 王宮の門の焼ける匂いが、風に乗って届いてきた。その焦げ臭い空気を思い切り吸い込んで、カミュ公爵は声を張り上げた。


「これより王宮に乗り込む! 救国の兵士たちよ、我に続くのだ!」


 オォォッ!


 雄叫びを上げた兵士たちが、動き出したチャリオットに続いて次々と門を出て行った。



 カミュ公爵率いる本隊は、整備された広い道を王宮に向かっていた。チャリオットに乗る公爵が、正面の王宮を睨み、続いて左を見る。大きな建物の多いこの地域では、遠くまで見通すことはできない。しかし、ここから数百メートル先にはロダン公爵の屋敷があるはずだった。


 貴様は真面目過ぎるのだ


 心の中で旧友に言う。


 この国は変わらなければならない

 変わらなければ、やがてキルグやウロルに飲み込まれてしまうだろう


 目を閉じて、友の顔を思い浮かべる。


 悪いが、貴様にはイルカナの人柱になってもらうぞ


 拳を強く握って、カミュ公爵は正面に向き直った。


「国王よ、待っておれ。無能は罪だということを思い知るがよい!」


 白煙の立ち上る王宮を見ながら公爵が言った。

 その時。


「止まれ!」


 背後からの大声に驚いて、公爵がチャリオットを止める。振り返ったその目が、信じられないものを見た。


 見ているだけで迫力を感じる、鍛え抜かれた大きな体。鋼のようなその身に纏うは、かつて観客を魅了した美麗なアーマー。

 右手には愛用の大剣。両手剣であるはずのその剣を、男は右手一本で軽々と持っている。

 威風堂々。

 馬にまたがり、こちらに睨みを利かせるその姿は、歴戦の勇士と呼ぶにふさわしい威厳を放っていた。


 その戦士と馬を並べる男も、また堂々としている。

 色白で優しい顔立ちに、知性を湛える静かな瞳。隣の戦士と比べれば見劣りするが、それでも、その体格は十分に立派と言えた。


「カイルとアラン!」


 兵士たちが目を見開く。

 兵士たちを圧するように、再び大きな声がした。


「ロダン公爵の命により、貴公を拘束させていただく。カミュ公爵よ、即座に武装を解いて、おとなしく我が手に……」

「黙れ!」


 カイルに最後まで言わせずに、カミュ公爵が怒鳴った。


「ロダンは国の逆賊。逆賊は死刑だ。ならば、配下の者も同罪である!」


 腰の剣を抜き放ち、鬼気迫る表情で兵士に命じる。


「慈悲の心など無用だ! 奴らを殺せ!」

「はっ!」


 兵士たちが武器を構えた。

 突然現れた敵に向き直り、その敵を睨み付けて歯を食いしばる。


「かかれ!」

「はっ!」


 カミュ公爵の声に兵士たちが答えた。

 だが、誰一人として足を踏み出すことができない。


「何をしている!」


 背中の声に、数人の兵士が動いた。


「うわぁぁっ!」


 何事かを叫びながら、槍や剣が突進する。

 しかし。


 バキッ!


 カイルの大剣が槍をへし折った。


 ガキーン!


 カイルの大剣が剣を弾き飛ばした。


「ひえぇ!」


 兵士たちがへたり込む。自分を見下ろす鋭い目に、体がすくんで動けない。


 武術大会のイルカナ代表。

 英雄ロダン公爵が認めた男。

 現時点における、イルカナ最強の将。


 兵士たちの士気が低かった訳ではない。しかし、カイルの放つ覇気を前に、戦闘経験のほとんどないカミュ公爵配下の兵士が、戦意を奮い立たせることは難しかった。


「怯むな! 戦わぬ者は、このわしの手で斬り捨てるぞ!」


 カミュ公爵が剣を振り上げた。

 その剣を、近くにいる兵士に容赦なく振り下ろす。

 瞬間。


 ドゴーン!


 公爵の真横を、巨大な火球が駆け抜けた。


「なにっ!」


 慌てて剣を引く公爵の耳に、再びカイルの声が響く。


「味方に剣を振り上げるなど言語道断! それが将のすることか!」


 鬼の形相のカイルの横で、ファイヤーボールを放ったアランが静かに公爵を睨んでいた。


「貴様には、人の上に立つ資格などない!」


 カイルが馬の脇腹を蹴った。嘶きと共に、カイルの馬が走り出す。

 兵士たちが慌てて逃げ出した。


「下賤な傭兵が!」


 チャリオットの上で、カミュ公爵が剣を構える。


「うおぉっ!」

「はあぁっ!」


 気迫と気迫が激突した。

 正義と正義が激突した。


 剣が地面に転がる。刹那、公爵が短剣を抜いた。

 カイルがチャリオットに飛び乗る。そして、公爵の腕を掴んで言った。


「勝手に死んでもらっては困る。貴公には、きちんと裁きを受ける義務がある」


 公爵の喉元から刃を引きはがし、真正面からその目を見る。

 血走った目がカイルを睨んだ。

 その目に、涙が浮かんだ。


「カミュ公爵は捕らえられた! 全員降伏せよ!」


 アランの声に、うつむきながら、兵士たちが武器を捨てた。

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