シンシアの思い
「リリアからの差し入れ、ここに置いとくよ」
シャールが、毛布にくるまっているシンシアに声を掛ける。シンシアは、毛布から顔だけ出して小さく頷き、また毛布をかぶった。
シャールは、何か言いたげに佇んでいたが、結局何も言わずにテントから出ていった。
それを確認したシンシアが、のそのそと起き上がる。そして、暗くなってきたテントの中を照らすために、魔道具を使ってランプに火を灯した。
ランプに火を灯すのに、魔道具を使う人は少ない。魔法で簡単に火を点けられるからだ。
シンシアも、以前は道具など使わなかった。
「火を点けて」
そう”お願い”すれば、ランプでも竈でも、簡単に火を点けることができた。
「髪を乾かして」
そう”お願い”すれば、暖かい風が吹いてきて、優しく髪を乾かしてくれた。
でも、今はできない。
明るくなったテントの隅のテーブルに、小さな包みが載っている。シンシアは、それを手に取ってじっと見つめた。
シンシアは、喋れない。
声を出そうとすると、喉がつかえるような、塞がってしまうような、もどかしい状態になる。
シンシアは、笑えない。
口角を上げることはできるし、笑う真似ならできると思う。
でも、心が楽しいと感じない。嬉しいと感じない。
だからといって、シンシアが何も感じない訳ではない。何も考えない訳ではない。
シンシアは、生まれた時から一座の一員だった。スターだった両親を見て育ち、当たり前のように技や演技を覚え、幼い頃からショーに出演していた。
その頃のシンシアは、よく喋っていた。よく笑っていた。
だが、両親が亡くなってから、シンシアは喋ることも笑うこともできなくなった。そして、一座のみんなから距離を置かれるようになっていった。
シャールと団長だけはシンシアに話し掛けてくれるが、その態度もどこか遠慮がちで、はっきり言うなら、ビクビクしているようだった。
団員たちと団長の会話を、シンシアは聞いたことがある。
「あの子、いつまでここに置いておくつもりですか?」
「何を言っている。あの子はこの一座の団員だ」
「だけど、あの子は喋らないし、笑わない。ショーにはもう出られないんですよ」
「それでもだ。あの子が裏方しかできないとしても、俺はあの子を絶対に見捨てはせん!」
「団長の気持ちは分かるけど、私たち、息が詰まりそうなんですよ。みんなあの子に気を遣ってるし、何だか腫れ物に触るように扱わなきゃならない」
「あの子の陰気な顔を見てると、こっちまで気分が沈んでくるしね」
団員たちは、家族も同じ。
シンシアは自然とそう思っていたが、団員たちの心は複雑だった。
稼ぎもなく、今後に期待もできない子供を養い続ける不満。
シンシアの存在が思い出させる、襲撃された時の恐怖。
シンシアがいることで、一座の雰囲気が明るくなり切れない。
みんなだって、シンシアを可哀想だとは思っている。しかし、それ以上に、シンシアの存在がみんなの心を重くする。
シンシアは、自分が一座の負担になっていることを十分感じていた。
悪夢にうなされることは、あまりなくなった。
突然泣き出すことも、今ではほとんどなくなった。
だけど、私は喋れない。
私は笑えない。
私は、邪魔者。
自分がいなくなれば……
何度もそう思った。
それでも、シンシアは一座を離れることができなかった。シンシアは、この一座以外の世界を知らなかった。
ここが私の家。
ここが私のすべて。
葛藤の日々。
もがき苦しむ日々。
そんな日常に、突然リリアが飛び込んできた。
喋らない自分に、遠慮なく話し掛けてくる少女。
笑わない自分に、おひさまみたいな笑顔をくれる少女。
美味しいお菓子や料理をくれる少女。
初めて食事に連れて行ってくれた少女。
リリアと一緒にいると、落ち着いた。
リリアの話を聞くと、気持ちがあったかくなった。
だけどあの日、私は思い出してしまった。
武器を振りかざして襲い掛かってくる盗賊たちを。
一座のみんなの泣き叫ぶ声を。
盗賊たちに取り囲まれ、なぶり殺される両親の最期を。
私は怖かった。
体が動かなかった。
リリアの会社の人が助けてくれて、恐怖から解放されても私は動けなかった。
リリアは、私に謝っていた。泣きながら、ごめんねって言っていた。
リリアに謝らせてしまった。
リリアは、私に負い目を負ってしまった。
それは、私という存在が、リリアの負担になった瞬間。
私は、大丈夫って言うべきだったんだ。
私こそ謝るべきだったんだ。
それなのに、私はやっぱり何も言えなかった。
怖くて体が動かなかった。
リリアは、あれからも私を訪ねて来てくれる。
リリアは優しい。優しいから、私を簡単には見捨てない。
だけど、心のどこかに、私のことをどうしていいか分からないという思いがあるはずだ。
普通の子のように扱えない。
シンシアと付き合っていくのは難しい。
やがてはリリアを困らせる。
困っても、リリアは私を見捨てない。
だから私は、もう、リリアとは会わない。
いずれ一座はこの町を出る。それまでリリアは、毎日来てくれるかもしれない。
だけど、それでいい。
やれることはやった
リリアがそう思って、少しでも気持ちが楽になってくれるなら、それでいい。
シンシアは、手に持っていた差し入れをテーブルに置いた。
これは、団員のみんなに食べてもらおう。これからリリアが持ってきてくれるものも、全部あげてしまおう。
シンシアが、そっと左手のブレスレットを撫でる。
私たち、友達だからね
リリアの声が甦る。
シンシアは、ブレスレットを抱き締めながら泣いた。
声も出さず、一人で静かに泣き続けた。
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