マーク来訪

 シンシアは、仕事と食事の時以外、自分のテントで毛布にくるまっていた。シャールが時々やってくるが、それでもシンシアが毛布から出ることはなかった。

 リリアからの差し入れは、全部シャールに渡している。シャールは、いつも悲しそうな顔をするが、黙ってそれをどこかへと持っていってくれていた。


 シャールには申し訳ないと思う。

 いやな思いをさせてしまっている。


 でも、私はもう何もできない。

 何もしたくない。

 何も考えたくない。


 毛布の中で、シンシアがぎゅっと目を閉じたその時、シャールがやってきた。


「シンシア、お客さんだよ」


 リリアには会えない。

 シンシアは、毛布から出ることなく首を横に振った。

 ところが、続けてシャールが言ったのは意外な言葉だった。


「男の客だ。シンシアと話がしたいって」


 男の客?


 シンシアが、毛布から顔を出してシャールを見る。


「ほら、毛布から出て、髪とかしてイスに座りな。もうそこまで来てるから」


 心当たりはまったくなかったが、シンシアは慌てて毛布から這い出して、身支度を整えた。


 やってきたのは、二十代くらいの男だ。

 その瞳の色は、黒曜石のように深くて神秘的な黒だった。

 男の髪は、夜の闇のように黒かった。


 この人は、もしかして……


「突然すまない。俺の名前はマーク。リリアの会社の社長をやっている」


 シンシアの予想は当たっていた。

 リリアの話に時々、いや、頻繁に出てくる人物。


 リリアを救ってくれた人。

 リリアのたぶん、好きな人。


 その人が、なぜ?


「リリアから、君が会ってくれなくなったって聞いてね」


 マークが話し始めた。


「それで、君がどんな顔をして引き籠もっているかを見に来たんだ」

「!」


 シンシアは驚いた。


 どんな顔をして引き籠もっているかを見に来た?


「シンシア。君は、リリアのためを思って会わないようにしてるんだろう? でもね、それはずいぶん自分勝手な話だと思うよ」


 マークがうっすらと笑みを浮かべている。

 嫌な笑い方だ。


「君はたぶん、自分が我慢をすればすべてがうまく行くとかなんとか思って、悲劇のヒロインを気取っているんだろう?」


 シンシアが、両手の拳をぎゅっと握る。


「まったくお子様だよ、君は」


 ガタンッ!


 シンシアが勢いよく立ち上がった。

 座っていたイスが後ろにひっくり返る。


 シンシアの顔は、怒りで真っ赤になっていた。


「あれ、怒ったのか?」


 腹立たしいほど涼しい顔で、マークが言う。


 シンシアは怒っていた。

 こんなに怒ったことは今までにないというくらい怒っていた。


 何なのだ、この人は!


「シンシア、何で君は、そんなに怒ってるんだ?」


 これだけ失礼なことを言われて、怒らない方がどうかしてる。

 シンシアは、体を震わせながらマークを睨み付けていた。


「もしかして、自分の考えを否定されたから怒っているのか? そんなに自分の出した答えが正しいと思っているのか?」


 答えが正しいか……そんなことは、分からない。

 でも、あんなに考えて、あんなに苦しい思いをして辿り着いた結論なんだ。


 こんな男にとやかく言われる筋合いはない!


「君が出した結論は、本当にリリアのためになると思っているのか?」


 そうだ、リリアのためだ


「君が取っている行動は、本当にリリアのための行動なのか? それとも、自分を守るための行動なのか?」


 自分を守るため?


「君たちの一座は、いずれこの町を出ていくだろう。そうすれば、君には前と同じ暮らしが待っている。リリアとのことは、ほろ苦い思い出として君の心に残り、だが、それも徐々に薄れていく」


 ……


「君は、少なくとも今以上に傷付くことはない。誰かと関わることで、苦しい思いをしなくても済むんだ」


 自分のためなんかじゃない!

 私はこれ以上リリアを困らせたくないから……


「なぜリリアが君に話し掛けるようになったのか、君には分かるか?」


 それは、寂しそうにしていた私のことが気になったから……


「ちょっと気になった女の子のために、毎日のように差し入れを持ってくるようになったのはなぜだ?」


 それは……


「リリアは優しいから。そんな単純な受け止め方しかしていないんじゃないのか?」


 そう、かもしれない


 どうしてリリアが私をこんなにも気にするのか、最初はいろいろ考えたが、深く追求したことはなかった。

 私が喋ることができたなら、聞いてみたのかもしれないが。


 ……私は、リリアの本当の気持ちを、知らない?


「もう一度聞く」


 マークの目が険しくなった。


「シンシア。君の行動は、本当にリリアのためになっているのか? リリアが望んでいることは何だ? 君が本当に望んでいることは何だ?」


 リリアが望むこと。

 私が、望むこと。


「人は、相手を思い遣ることができる。相手が何を望んでいるかを想像し、相手のためになることを考える。そしてそれを実行する。それが思い遣りだ。だけど、それには限界がある。思い遣りっていうのは、あくまで自分の側の思いなんだ。ある意味、一方的な行為なんだよ」


 シンシアは、黙ってマークの話を聞いていた。

 さっきまでの怒りは、いつの間にか収まっている。


「だからね、本当に大切な人、本当に大事な人のために何かをしたいと思ったら、それを、両方向の思いにしなきゃだめなんだ」


 両方向の思い?


「相手が何を考えているのか、何をしてほしいのかを、ちゃんと相手から聞かなきゃいけないってことだ」


 相手から、聞く?


「シンシア。君にとって、リリアはどれくらい大切な人なんだ?」


 リリア……


 リリアは、喋らない私にいろんな話をしてくれた。

 笑わない私に、おひさまみたいな笑顔をくれた。


 左手のブレスレットが、シンシアに語り掛ける。


 私たち、友達だからね


 リリアは、私にとって大切な……


「シンシア。もし君にとって、リリアがとても大切な人なんだとしたら」


 マークが言った。


「君は、リリアに聞くべきだ。リリアの望んでいることは何かってことを。そして考えるべきだ。自分が本当に望んでいることは何なのかということを」


 リリアの望み。

 私の望み。


「さて、どうする?」


 マークが、シンシアを正面から見据える。


「君には、やるべきことがあるんじゃないのか? 君には、まだできることがあるんじゃないのか?」


 シンシアは考える。


 私がやるべきこと。

 私にできること。


 その時、マークが笑った。それは、さっきの嫌な顔とはまるで違う、シンシアがドキッとするほど優しくて、暖かい笑顔だった。

 微笑みながら、マークが言う。


「今回は、俺がシンシアのお手伝いをしてあげよう」


 見蕩れるような笑顔を向けて、マークがシンシアに手を差し伸べていた。

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