拷問

 魔石を取り替えたランプが、石造りの部屋を明るく照らしている。もっと明かりを絞ることもできるのだが、今は全開にしてあった。

 部屋の中央にはイスが一つ。そのイスに、猿ぐつわをされ、身動きが取れないほどがっちりと体を縛り付けられたファルサが座っていた。

 ファルサを縛りつけているのは、魔法への高い耐性を持つ捕縛用のロープだ。イスは大きな重石で固定されていて、滅多なことでは動かせそうもない。

 ファルサの前には、誰も座っていないイス。ファルサ斜め後ろには、机とイスのセットがある。机には、筆記用具一式が載っていた。


 ファルサは、薄気味悪い笑みを浮かべたままじっとしている。その耳が、扉の開く音を捉えた。続けて、複数の足音。

 最初に階段を下りてきたのは衛兵だ。続けて、男が一人と女が一人。

 その二人の顔を見た瞬間、ファルサは目を見張った。だが、それは一瞬。その顔が、再び薄気味悪い笑みに覆われていく。


「終わったら、階段を上がったところの扉を叩いてくれ」


 鉄格子の扉の鍵を開けながら、衛兵が言った。


「分かりました」


 男が答える。

 手を挙げて立ち去る背中を見送って、男と女は鉄格子の中に入ってきた。

 男の手には、紙の束。女は、武器を含めて何も持っていない。


 二人がファルサの前に立つ。

 それを、ファルサが下から見上げる。


「あなたは俺を知っているのかもしれませんが、俺はあなたを知りませんので、改めて」


 男が言った。


「初めまして、ファルサさん。エム商会の、マークです」


 言われたファルサは、薄気味悪い笑みを浮かべるのみだ。

 そんなファルサにマークが続ける。


「今日は、あなたを拷問しにきました。いろいろ教えてもらおうと思いますので、よろしくお願いします」


 拷問という言葉を聞いても、ファルサの表情は変わらない。そんな言葉で動揺するほど、ファルサはぬるい人生を送ってはいない。

 しかし、続くマークの言葉は、ファルサの理解を超えていた。


「あなたは何も言う必要がありませんので、猿ぐつわはそのままにしておきますね」


 何も言う必要がない?

 教えてもらうと言っておきながら?


 ファルサの表情は変わらない。

 頭の中だけで、ファルサは首を傾げた。


 ファルサの目の前のイスに女が、ミナセが座る。背筋を伸ばし、きれいな姿勢でミナセは座った。

 その目がファルサを見つめる。ファルサもその目を見つめ返す。


 いい女だ


 こんな時だというのに、ファルサはそんなことを思った。

 すぐ目の前にある、神秘的な黒い瞳。魅力などというありふれたものではない、何か未知の力でその瞳に吸い込まれてしまいそうになる。

 表情は変えていない。油断もしていない。しかし、ファルサの意識はミナセの瞳に半分以上を奪われていた。


 コトリ


 斜め後ろのイスにマークが座る。その音で、ファルサは我に返った。

 見えないマークの気配を探りながら、ファルサは考える。


 妙な配置だ

 これでどうやって俺を拷問するんだ?


 そこに、声が聞こえた。

 

「では始めます」


 話し始めたのは、正面のミナセではなくマークだった。そのマークが、理解不能なことを言い出した。


「最初の質問です。あなたの名前は、スミスさんですね?」

「?」


 ……意味が分からない


 続けて。


「あなたの名前は、ファルサさんですね?」

「……」


 なおも質問は続く。


「あなたは女ですね?」

「……」

「あなたは男ですね?」

「……」


 ファルサの表情が、いつの間にか素に戻っていた。


 こいつはバカなのか?


 今度こそ疑問の表情を浮かべたファルサに対して、マークの質問は続く。意図の見えない問いが繰り返される。

 あまりに続く奇妙な質問に、ファルサがとうとうマークを振り返ろうとしたその時、質問が止まった。


「どうだ?」


 突然マークがミナセに声を掛ける。

 質問の間中ずっとファルサを見つめていたミナセが、答えた。


「大丈夫です」


 マークを見てにこりと微笑む。


 いったい何が大丈夫だって言うんだ?


 ファルサがいぶかしげにミナセを見た。

 その目の前で、今度はミナセが目を閉じる。何かに集中するように、顔をやや下に向けていた。


「では、本番いってみましょうか」


 マークの声がした。


「質問です」


 そして、本番が始まった。


「あなたの後ろ盾は、この国を仕切る三公爵の一人、カミュ公爵ですね?」

「!」


 不覚にも、ファルサの目に動揺が走る。

 だが、それは目を閉じているミナセには分からなかったはずだ。ましてやマークからは見えていない。

 急速に気を引き締め直して、ファルサはあの薄気味悪い笑みを浮かべた。

 だが。


 目の前で、ミナセが頷いた。


 どういうことだ?


 疑問に思ったものの、ファルサはそれを表に出すことなどしない。

 マークの質問は続いた。


「あなたと一緒に捕まったのは、アウァールスの残党ですね?」


 ミナセが頷く。

 ファルサの眉が、ピクリと動いた。


「あなたは、アウァールスのメンバーですね?」


 ミナセが首を、横に振る。

 ファルサの笑みがこわばる。


「あ、違いましたか。では、あなたはカミュ公爵とアウァールスの連絡役ですね?」


 ミナセが頷いた。

 ファルサの笑みが、消えた。


「なるほど、そういうことですか」


 マークがペンを動かしている。

 カリカリと何かを書き綴っている。


「あなたが連絡を取っている組織は、ほかにもありますね?」


 ミナセが頷く。

 マークが、持っていた紙の束を数枚めくった。


「連絡を取っていたのは、アルカナム」


 ミナセが首を、横に振る。


「闇の使者」


 これも横。


「ノックス」


 これは、縦。


 ファルサは何もしていない。目も眉も、体のどの部分もまったく動かしていない。

 それなのに、ミナセは確実に、正確に答えていく。

 ファルサの意志を無視して、答えが次々と明らかになっていく。


 質問は続いた。

 ミナセが、それに答えていった。


 ファルサの活動内容、カミュ公爵との連絡方法、闇に葬られたいくつかの事件の真相。

 マークが、手元の資料を見ながら次々と質問をしていく。最初は曖昧な質問も、徐々に絞り込まれていき、そして最後は答えに辿り着く。


 ファルサは震えた。

 生まれて初めての、今まで味わったことのない恐怖に全身を震わせていた。

 突如。


「オォォォッ!」


 大きな呻き声をファルサが上げた。


 ガタガタガタッ!


 自由にならない体を精一杯揺らす。

 頭を振り、体を揺らして、ファルサは狂ったように動き回った。目を見開き、呻き声を上げながら、ファルサは全力で暴れ回った。

 それでも、イスはギシギシと音を立てるのみで、大きく動くことも、倒れることもない。

 

「ウウゥゥッ!」


 ファルサは叫んだ。


 殺せ!


 ファルサは懇願した。


 殺してくれ!


 だが、その声が言葉になることはない。その思いが遂げられることはなかった。


 やがて、動きが止まる。

 汗をびっしょりとかいて、荒い呼吸を繰り返す。


 虚ろな目をするファルサに、マークが言った。


「では、続けましょうか」


 絶望がファルサを飲み込んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る