ヒューリの過去-2-

「とまあ、これが国を出るまでの話ってやつかな」


 ヒューリが寂しげに笑う。


 ミナセは、胸が苦しくて、まともにヒューリを見ることができなかった。

 リリアは、口を押さえて泣いている。


「最後まで庇ってくれた伯父も言ってたけど、キルグにハメられたんだとは思う。噂の出所も不明だし、キルグの密偵の証言とか使者の口上も、普通なら詳しい話が国民に知れ渡るはずがない。今まで何事もなかった堤防が決壊したのも、国民が暴徒化したのも、おそらくキルグの仕業だろう」


 淡々とヒューリが語る。


「だから、私は国民を恨むことをしなかった。父上の遺言でもあったしね。だけど」


 拳を握り締め、唇を噛み締めて、ヒューリが続けた。



 ヒューリは、昼間は森や林に身を潜め、夜は街道を避けて移動しながら、どうにかイルカナの国境近くまで逃げることに成功した。クランやキルグからはすでにだいぶ離れている。

 ここまでくれば大丈夫と、ヒューリが街道から少し入った水場で休んでいると、そこに旅人たちがやってきた。慌ててヒューリは身を隠したが、その時、旅人たちが話していたある出来事を聞いてしまった。


 クランが、キルグに滅ぼされた


 ヒューリは、目の前が真っ暗になる。

 守るべき国も、帰るべき場所も失ってしまった。


 ヒューリは、何日もの間山の中を彷徨った。

 自分がどこを歩いているのかも分からなかった。


 怒り、悲しみ、空しさ、絶望。

 様々な感情が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。


 喉が乾けば水を飲んだ。腹が減れば食べ物を食べた。

 だが、何のために生きているのか、ヒューリにはもう分からなくなっていた。


 気が付くと、ヒューリは峠の山道を歩いていた。

 もう誰かに見付かっても構わない。逃げる気も起きない。

 抜け殻のような状態で歩き続けるヒューリは、偶然、山賊が商隊を襲っている場面に出くわす。

 いつもなら、すぐ助けに向かうところだ。しかし、ヒューリは動かない。

 目に映るものすべてに現実感がなかった。無表情のまま、ヒューリは黙ってその光景を眺めていた。


 商隊には、護衛らしき者が一人も見当たらない。驚くほど無防備なその商隊は、あっという間に蹂躙されるように思えた。

 ところがその商隊は、蹂躙されるどころか、逆に山賊を蹴散らし始める。商人たち自らが武器を取って戦うその動きは、どうみても訓練された精鋭の兵士そのものだ。

 その時、ヒューリの目が、商隊の中の一人の男に釘付けになる。


 男は、山荘を襲った暴徒のリーダーだった。


 なぜクランの民がこんなところに?


 急激に意識が浮上していく。

 回り始めたヒューリの頭が、リーダーの持つ武器をはっきりと認識した。


「あれは!」


 男が手にしていたのは、柄に特徴があるやや大振りの剣。

 それは、ヒューリが何度となく戦ってきた敵国、キルグの剣だった。


 キルグの密偵!


 そう思った瞬間、ヒューリの中で何かが弾けた。


「あいつらが……あいつらが!」


 ヒューリが双剣を抜き放つ。全身に殺気が満ちていく。

 そしてヒューリは、疾風の如き速さで戦いの中に飛び込んでいった。


 突然現れたヒューリに密偵たちは驚くが、さすがに精鋭らしく、素早く迎撃体制を取る。

 しかし、烈火の如き怒りに燃えるヒューリを止めることなど、できはしなかった。


 六秒。


 六人の密偵が、六秒であの世に逝った。

 それは、そこにいたすべての人間にとって一瞬の出来事だった。死んでいった密偵たちでさえ、自分が斬られたことを分かっていなかったかもしれない。


 リーダーだった男の体に剣を突き刺して、ヒューリは立ち尽くす。

 荒い息のまま、血走った目のままで、ヒューリは虚空を睨み続けていた。


 そんなヒューリに恐る恐る近付いてきた山賊たちが、そのきれいな顔立ちにしばし見蕩れた後、急に歓声を上げた。


「女神様……救いの女神様だ!」


 驚くヒューリに向かって、山賊たちは口々に礼を言い、その強さと美しさを褒め讃えた。そして、よかったらしばらく一緒にいてくれないかとヒューリに頼み込んだのだ。

 女は、商隊を問答無用で斬り伏せている。おそらく自分たちと同業か、訳ありの逃亡者。

 山賊たちはそう思ったに違いない。


 相手は山賊だ。普通なら、そんな申し出を受け入れることなどあり得ない。

 だがヒューリは、自分でも驚いたことに、その誘いに乗った。


 自分を必要としてくれる人がいる。

 守るべきものができた。帰る場所ができた。


 それは錯覚だと理性は叫ぶ。

 だが、その時のヒューリには必要だった。縋れる何かが必要だったのだ。


 その後ヒューリは、人を殺さないことを条件に山賊に協力することになる。

 どんな護衛もまるで歯が立たない、無敵の覆面の山賊がこうして誕生した。

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