神器

 老人の依頼。エルドア次期国王の護衛。

 それは、まさに国家の最高機密事項だった。


「長い歴史の中で、エルドア王家には、ただの一度も後継者争いが起きたことがない。それがなぜか知っておるか?」

「いいえ」


 素直にマークが首を振る。


「エルドアの王は、人が選ぶのではない。石が選ぶのだ」

「石が?」


 老人の答えに、マークは首を傾げた。


「この世界には、秘宝と呼ばれる武具やアイテムがあるじゃろう? 人の手では決して作ることのできない、強い力を持ったアイテムじゃ」


 ミアが大きく頷いている。

 冒険物語が好きなミアにとって、秘宝は憧れの存在だ。


「秘宝は、魔物と同じく精霊が作り出しているという説が有力で、それに異を唱える者はいないだろう」

「そうね」


 フェリシアが相づちを打つ。


「だがこの世界には、秘宝を超えるアイテムがある」

「秘宝を超えるアイテム?」

「そうだ」

 

 ヒューリに向かって老人が言った。


「それは、神器と呼ばれている」

「神器?」


 秘宝と違って、それは一般に知られていない言葉だった。


「フェリシア、知ってるか?」

「知ってはいるけれど」


 ミナセに聞かれてフェリシアが答える。


「神器って、物語とか伝説に出てくるアイテムのことでしょう? 正式な記録には使われない言葉だし、ちょっと強力な秘宝のことを、物語の作家がそう呼んでいるってことだと思っていたわ」


 フェリシアが、疑問の眼差しを老人に向けた。


「神器は、神と人との契約によって作られる」


 フェリシアを真正面から見つめ返して、老人が言った。


「神器を使うことができるのは、契約を交わした人間とその子孫のみ。神が認めた血を引く者だけが使える、非常に稀少なアイテムなのだ」


 瞬間、社員全員がリリアを見た。

 リリアが、大きく目を見開いた。


「人が神と話す術を失った今、神器が新たに作られることはなくなった」


 社員たちの反応に驚きながらも、老人が説明を続ける。

 社員たちも、すぐに老人の話に集中し直した。


「わしの知る限り、この大陸に現存する神器は二つ。我が国に伝わる”神の石”と、キルグの皇帝一族に伝わる”神の鎧”だ」

「神の鎧?」


 ヒューリが首を傾げた。

 因縁の国、キルグ帝国。そのキルグと戦い続けていたヒューリも、神の鎧という話は聞いたことがなかった。


「フェリシアは、聞いたことあるか?」

「聞いたことはあるけれど、権力者が流す宣伝だと思って気にもしなかったわ」


 ヒューリに聞かれてフェリシアが答える。

 キルグで生まれ育ったフェリシアも、詳しくは知らないようだ。


 二人の会話を聞いていた老人が小さく頷き、そして、ミアを見る。


「神の鎧は、金髪の嬢ちゃんが使った魔法と似た力を持っているそうだ」

 

 大会と、そしてピクニックの余興でミアが使った大魔法。光の魔法の第五階梯、インビンシブル・ウォーリアー。

 ありとあらゆる攻撃を弾き返す、術者を無敵の戦士にする魔法だ。


「着るだけで、無敵になれるってことですか?」


 身を乗り出してミアが聞く。


「嬢ちゃんの魔法と違って、身体強化魔法が掛かる訳ではないようじゃな。だが、その鎧を着た者には、どんな物理攻撃も、どんな魔法攻撃も通じないと言われておる」


 それを聞いて、ミアが頬を膨らませた。


「なんか、ずるい」


 ミアらしい反応に、社員たちが笑う。


「それで、エルドアに伝わる神の石には、どんな力があるんですか?」


 マークが聞いた。


「神の石は、魔力を大きく増幅させる。似たような効果を持つ秘宝もいくつか存在するが、それらとは比べものにならんほどの、強力な魔力を得ることができる」

「魔力の増幅……」

「歴代の王は、石の力を借りて、時に侵略者を打ち破り、時に民を癒してきた。その偉大な力を使って国を守り続けてきたのじゃ」


 老人の声が熱を帯びる。

 愛国の心がその声に溢れていた。


「石を使うことのできるのは、王家に生まれた者の中でも一人だけじゃ。石が選ぶのは、必ず一人。それは王の兄弟だったり子供だったりするが、石が誰も選ばないということはないし、二人以上の者を選ぶということもない」

「なるほど」


 マークが頷く。


「っていうことは」


 ヒューリが聞いた。

 

「王が生きている間は、次の王が誰になるのか分からないってこと?」


 聞かれた老人が黙った。

 その顔が、歪む。


「あ、いや、言えないっていうなら」


 慌て出したヒューリを老人が見る。そして、寂しげに笑いながら答えた。


「おぬしの言う通りじゃ。王が亡くなるまで、次の王が誰になるのかは誰にも分からぬ」

「じゃあ、アルバート様が次期国王と決まってるってことは……」

「先王は、すでに崩御されている」


 社員たちが息を呑んだ。


 統治者が亡くなった時、その事実がしばらくの間伏せられることは、よくあることだ。国内の混乱や他国からの侵略を防ぐため、新たな体制が整ってからそれを公表するのは、国や地域を治める側としてまっとうな判断と言える。

 しかし、エルドア国王が崩御したという話は、誰も聞いたことがなかった。つまりそれは、一般に公表されていない極秘事項ということになる。


「王が亡くなると」


 老人が話を続けた。


「一族と、ごく限られた重臣たちが集まって、年長者から順に石に触れていく。石が誰を選んでも、決して反対意見が出ることはない。選ばれた者を一族全員が支えていくのだ。王家の団結は鉄より硬く、一族の誇りは国境の山々よりも高い。それがエルドアの王家だ」


 老人が、迷いなく言い切った。


「だが」


 再び老人の顔が歪む。


「お側に仕える者の中には、不埒な輩もおる。特に”教団”が力を持つようになってから、我が国は狂ってしまった」


 苦悶の表情を浮かべながら、老人が拳を握った。


 エルドア王国は、大きく三つの地域に分かれている。

 王都をはじめ、大きな町が集まっている北東地域。エルドアではもっとも発展している地域だ。

 丘陵や林、小高い山々が連なる北西地域。果物の栽培が盛んで、イルカナでも人気のエルドアワインはこの地域で作られていた。

 そして、水資源が豊富で温暖な南部地域。この地域には、周辺諸国の台所をも支える一大穀倉地帯が広がっている。


 その南部地域に、数年前、謎の病が広まった。原因が分からず、よって有効な治療法も見付からない。

 次々と人が倒れていく。医者までが、病に罹って死んでいく。

 自ら現地に行くと言う国王を、家臣たちが必死に押し留めた。かわりにと派遣した調査団は、現地で病に冒されて、その半数が命を失った。

 人々の間に絶望が広がっていく。不安が国民を蝕んでいく。

 主を失った畑が荒れていった。人の心も荒れていった。


 そんなある日、南部地域のある町に、一人の僧侶が現れた。


「この病は、魂の穢れが引き起こしたものだ。我の話を聞け。そして悔い改めよ。さすれば、病はたちどころに消え失せるであろう」


 辻説法をする僧侶に、最初は誰も耳を貸さなかった。

 しかし。


「あの坊主の話を聞いて、病気が治った奴がいるらしい」


 どこからともなく噂が流れる。


「あの方のおかげで、一家全員が救われた」


 身近な者からも声が聞かれ始める。

 藁にもすがる思いで、人々は僧侶を訪れた。そして、本当に病気が治っていった。

 僧侶のもとに人が殺到する。説法を聞いた者の病が、例外なく治っていく。

 そうして、南部の人々を苦しめていた謎の病は完全に消え去ってしまったのだった。


 やがて僧侶は教団を立ち上げた。その教えは、南部だけでなく、北西地域や王都のある北東地域にまで広がっていった。

 国も王もなす術がなかった病。そんな病も、教団に入信すれば恐れる必要がなくなる。

 王を頂点としてまとまっていたエルドア王国に、新たな勢力が誕生した。その教えは、国内に広く浸透していったのだった。


「最初のうちは、何事もなかったのだ。だが、徐々に国民は変わっていった」


 憂いに満ちた声が語る。


「教団に寄付をしたから税を納められないだの、礼拝に出られなくなるから兵役には就けないだのと、以前ではあり得ないようなことを、平気で言う者たちが増えていったのだ」

「それはひどいな」


 ヒューリの声に、老人が頷く。


「教団の教えは、役人や兵士たちの間にも広まっていった。秩序は乱れ、王を中心とする統治は完全に崩れてしまった。そしてついに……」


 老人が、目を閉じる。


「教団に心酔していた一人の女官が、王に、毒を盛った」


 社員たちが目を見張った。


「その女官は、王が即位する前からお側に仕えていた者だった。誰も女官を疑ってなどいなかった。その女官が、床に倒れて苦しむ王を見ながら言ったのだ」


 この国は穢れている!

 この国は、教団によって浄化されるのだ!


「本来なら、女官を裁判に掛けて、教団の闇を世に知らしめるべきところだろう。事件をきっかけにして、教団を解散させることもできたに違いない。しかし」


 老人の手が震えた。


「王宮の奥深くにまで教団は入り込んでいた。判事や高官たちの中にも、教団に関わっていると思われる者がいた。教団を問いただすどころか、もはや誰も信用できない状態だったのだ」


 拳を握り、唇を噛み、そして老人が続きを語った。


「女官は首をはねられ、王の死は伏せられた。そして一族が集まり、次の王が明らかになったその会議の場で、ある重大な決断が下されたのだ」

「重大な決断?」


 ヒューリが聞いた。

 老人が答えた。


「次期国王には別の者を立て、アルバート様には、一時国外へお移りいただくということじゃ」


 正統な王が、国外に逃れなければならない異常事態。その深刻な状況に、社員たちは声もない。


「アルバート様は、先代国王の、末の妹の一人息子。当年八才の幼さだ。今のエルドアでは、アルバート様が国を治めることはもとより、そのお命をお守りすることすら難しい。ゆえに、教団から国を取り戻すまでの間、石と共にコメリアの森でお過ごしいただくこととなった」


 アルバートの護衛。その特異な依頼の背景がこれで分かった。

 しかし、社員たちの顔には疑問が浮かんでいる。それを代表するように、マークが聞いた。


「貴国とイルカナの関係を考えると、アルバート様はイルカナにお移りいただく方がよいのではないでしょうか。この国は、豊かで治安もいい。高貴な方が住まう場所も見付けやすい。何かあった時にエルドアにも駆け付けやすい。それなのに、なぜ遠く離れたコメリアの森を選ばれたのですか?」


 不思議そうに聞くマークを、老人が見る。

 マークを見据え、低い声で答えた。


「この国は、危険なのじゃ」

「!」


 マークが驚く。


「詳しくは言えぬ。だが、この国は危険じゃ」


 社員たちも、大きく目を見開いた。


「いくつか候補地は挙がったが、その中で最も安全だと判断したのが、コメリアの森なのだ。イルカナを通過するというリスクを考えたとしても、コメリアの森が一番よいという結論に至った」


 この国が危険?


 思いもしなかった老人の言葉に、社員たちは少なからず動揺している。

 その社員たちを見回して、だがマークは、イルカナが危険な理由を問うことなく質問を続けた。


「なぜ、コメリアの森を選んだのですか?」


 疑問を置き去りにされた社員たちは、それでも老人の答えを待った。

 老人も、イルカナの件には触れることなく、マークの問いに答えた。


「アルバート様にお仕えする者の一人が、コメリアの森の出身なのだ。その者の実家を頼ることにした」

「なるほど。しかし、その方は信用できるのですか?」

「正直に言えば、分からぬ。絶対に信用できるという人間は、非常に限られるからの。だが、もはや絶対を求めていては、何もできない状況なのだ」


 老人がマークを強く見る。


「その者が信用できると判断したのは、ご生母様の勘だ。そして、おぬしらにすべてを話してよいと判断したのは、わしの勘だ」


 マークが姿勢を正した。社員たちも、背筋を伸ばして表情を引き締める。


「目立たず移動するために、アルバート様に従う者は少人数となる。その一行を、一人もしくは二人程度でお守りできる者が必要だ。そして残念ながら、そういう強者はエルドアにおらぬ」


 正直に老人は言った。


「わしの家は、代々”影”として王家をお守りしてきた。すでに引退したわしが、顔を晒してまでイルカナの武術大会に出場したのは、信頼できる護衛を見付けるためだ。なるべく近くでその力を感じ、できれば実際に対戦して、実力や人柄を確かめたかったのだ」


 謎の老人の、謎の一端が語られた。


「どれほど実力があっても、どれほど信用に足る者であっても、自由に動ける者でなければ護衛は頼めぬ。条件を満たす者は、予想以上に少なかった。だが」


 老人が、ミナセを見つめる。


「わしは見付けた。特定の誰かに縛られず動ける者。このわしが絶対に勝てぬと感じるほどの力の持ち主」


 老人が、マークを見つめる。


「森へお送りする段取りがつき次第、速やかにアルバート様には出立していただく。直後、次期国王として、先王の弟君の即位が発表される予定だ」


 マークが頷いた。


「アルバート様に同行するのは三人。いずれも、ご生母様が指名した忠義に厚い者たちだ。アルバート様を含めたこの四人を、コメリアの森まで護衛していただきたい」


 社員たちが頷いた。


「アルバート様の護衛を頼めるのは、おぬしらしかいないとわしは確信しておる。どうか、この年寄りの頼みを聞いてはいただけないだろうか」


 老人が、頭を下げた。


「エルドアを救うために、おぬしらの力をお貸しいただきたい!」


 深く頭を下げた。

 老人をマークが見つめる。社員たちが息を呑む。


 老人の話は、一般市民が聞いてよい話だとは思えなかった。

 老人の依頼は、たかだか社員七人の、小さな何でも屋が受けてよい話だとは思えなかった。


 それでも、きっと社長なら……


 ピリピリした空気。息苦しい時間。

 社員全員が、マークの言葉をじっと待った。


 やがて。


「申し訳ないのですが、今はお答えができません」


 マークが言った。

 老人が顔を上げる。社員たちが、ちょっと驚いたようにマークを見る。

 マークが、しっかりとした声で老人に言った。


「アルバート様をコメリアの森にお送りする。それだけでエルドアを救えるとは、俺には思えないのです」


 驚きで、老人の目が広がっていく。


「エルドアを救うためには、もう少し何かが必要なのではないかと思います」


 社員たちの目も広がっていく。


「少しお時間をいただけないでしょうか。あるお方に相談した上で、どうすることが一番いいのかを考えてみたいと思うのですが」


 予想外の答えを聞いて、老人が困惑する。


「あるお方とは、どんな立場の方なのだ? この話をあまり広めてもらっては困るのだが」


 顔をしかめる老人に、マークが言った。


「ご安心ください。その方は、とても信頼できるお方です。加えて」


 マークが微笑む。


「その方は、エルドア王が崩御されたことを、すでにご存知でいらっしゃいます」

「な、なんじゃと!?」


 老人が思わず腰を浮かせた。


「決して悪いようにはしません。話がまとまったら連絡しますので、滞在先を教えていただけますでしょうか」


 言葉を失う老人に、落ち着いた声でマークが言った。

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