最終章 笑っていたい

再び最高難度

「あんたに来てもらえるなんて、何だか申し訳ないねぇ」


 惣菜を棚に並べながら、ミゼットが言う。


「うちは何でも屋です。ご依頼があれば、いつでも参ります」


 エプロンの紐をキュッと締めて、ミナセが笑う。


「じゃあ私は奥にいるから、何かあったら呼んどくれ」

「分かりました」


 頷くミナセの肩をポンと叩いて、ミゼットは奥の調理場へと向かった。


「さあ、今日は忙しくなるよ!」


 腕まくりをするミゼットを、苦笑しながらミナセが見送った。


 初仕事以来、何度か担当してはいるものの、ミナセがミゼットの店に来るのは久し振りだ。今回は、ご主人が寄り合いの日帰り旅行に行っている間の手伝いとなる。

 ミゼットも一緒に行けばいいのにとミナセは思ったのだが、「面倒なのは嫌いなんだよ」と言い切るミゼットに、何も言うことができなかった。


 エム商会が店番をすると売上が上がる。それはいつものことだ。だから、店番の依頼はミゼットの店に限らずひっきりなしにある。

 だが、ここ最近はそれが顕著になっていた。


「コロッケ二つください」

「わしは三つじゃ!」


 店の前に行列ができる。


「黒髪のミナセがいる!」


 通りを歩く人が、露骨にミナセに視線を向ける。


 美人揃いのエム商会。

 無敵のエム商会。


 アルミナの町で、エム商会を知らぬ者はいなかった。

 その名が、あの騒乱以降国中に鳴り響くことになった。


 イルカナの救世主、エム商会。


 社員たちが、王から直々に感謝の言葉を賜ったことは広く知られていた。

 王に対して、マークが非常に良心的な料金を提示したことも噂になっていた。

 偉大な仕事を成し遂げても、どんなにその名が知られても、価格を上げることなくこれまで通り営業していることも、大きな話題となっていた。


「ミナセちゃん、すっかり有名人だよね。はいそこっ、ちゃんと一列に並んで!」


 雑貨屋の主人が、店員さながらの活躍を見せつつミナセに話し掛ける。


「うちの息子の嫁にほしい」


 床屋のおやじがボソッとつぶやく。


「あははは」


 相変わらずの二人に、慣れた手つきで惣菜を包みながら、ミナセが笑う。

 今日も客足は途絶えなかった。惣菜が飛ぶように売れていく。

 代金を渡しながら、一人の客が言った。


「この国を救ってくれて、本当にありがとね」


 微笑みながら、ミナセが答えた。


「この国が無事だったのは、戦場で戦った兵士の皆さんのおかげです」


 謙虚な言葉に、客は感心しながら去って行く。

 そんな会話をする度に、ミナセは”あの出来事”を思い起こすのだった。



 俺の専門はね、戦闘なんですよ


 ザナンに向かって、マークはそう言った。


 いつか、ちゃんと話すから


 マークの言葉。


 ありがとう


 マークの声と、曖昧な微笑み。


 社長はいったい……

 

 あの日以来消えないミナセの疑問。

 あの日以来消えることのない、ミナセの不安。



「何ボーッとしてるんだい。ほれ、追加の揚げ物!」


 突然目の前で声がした。ミゼットが、お皿を二つ持って立っている。


「あ、すみません!」


 短い時間だったのだろうが、ミナセは少し気が抜けていたようだ。


「大丈夫かい?」


 ミゼットがミナセをのぞき込む。


「大丈夫です。すみませんでした」


 慌ててお皿を受け取りながら、ミナセは笑ってみせた。


「もう少しで店じまいだからね、頑張っておくれ」

「はい!」


 ミゼットに答えて、ミナセは気を引き締める。


 いけない、仕事に集中!


 軽く頭を振って、ミナセは声を張り上げた。


「いらっしゃいませ!」




 エム商会の事務所では、打ち合わせが行われていた。


「こりゃあ、過去最高難度の依頼なんじゃないか?」

「そ、そんなことはないと、思いますけど」


 難しい顔のヒューリに、リリアが弱々しく反論する。


「誰が担当するかが問題よね」

「……」


 フェリシアの言葉に、リリアは答えられない。


「私、やってみたいです!」

「やめておけ。あっという間にボロが出る」

「うぅ」


 相変わらずのミアを、ミナセが一刀両断にした。

 さすがのマークも、今回ばかりは決断しかねている。ヒューリが言った通り、その依頼は、非常に高度な判断を必要とするものだった。



 今日の昼間、事務所を一人の若者が訪ねてきた。

 対応をしたのはリリアだった。


「あの、依頼がしたいんですけど」


 ソファに座り、落ち着かない様子で話し出したのは、二十歳前後の男。なかなかにオシャレな服を着ているが、残念なことに、それが見事に似合っていない。


「どのようなご依頼ですか?」


 正面に座ったリリアがにこやかに聞いた。

 男が、顔を赤くして目をそらす。ますます落ち着かなくなったらしく、何度も姿勢を直している。


 エム商会のリリア。

 栗色の髪の美少女。

 気立てが優しくて機転が利く。

 いつもニコニコしていて、見ているだけで癒やされる。

 リリアの作る料理は最高にうまいらしい。

 町で噂の、嫁にしたい候補ナンバーワン。


 いきなり”本命”が現れて、男は極度の緊張状態に陥っていた。


「えっと……あの……」


 ちゃんと言うことをまとめてきたはずなのに、それがまったく出てこない。頭がどんどん真っ白になっていく。


「よろしければ、冷めないうちにお茶をどうぞ」

「はい」


 リリアにお茶を勧められても、返事をするだけで、手は動かない。

 さすがのリリアも、ちょっと困っていた。

 男も、だいぶ困っていた。

 やがて、男が覚悟を決める。大きく深呼吸をして、リリアを見て、やっぱり目をそらし、それでも男は、ついに言った。


「お、俺の恋人になってください!」


 リリアが固まった。

 にこやかな顔のまま、ぜんぜん動かない。

 そんなリリアに気付くこともなく、突然男が怒濤のように話し出す。


「俺、田舎からアルミナに出てきて、菓子職人の弟子として働いてるんです。師匠からは筋がいいって言われてて、だけどさすがにまだ店を持てるほどじゃなくて、でもいずれは暖簾分けをしてやるって師匠も言ってくれてて……」


 男は必死だ。


「俺、頑張ってるんです。なのに田舎の母ちゃんは、菓子作りなんて馬鹿なことしてないで、堅実な仕事について早く嫁をもらえってうるさいんです。だから俺、手紙で言ってやったんです。店を持てる見込みもある。将来を誓った恋人もいる。だから、黙って見ててくれって」


 拳を握りながら、男が熱く語る。


「そしたら」


 その語りが、突然勢いを無くした。


「母ちゃんから返事が来たんです。お前の働いているところが見てみたい。それと、将来を誓った人にもぜひ会ってみたいって」


 男が肩を落とす。


「店の話は、具体的には何もないけど、まるっきり嘘でもないっす。師匠に会ってもらったって構わない。でも恋人は……」


 泣きそうな顔で、男が顔を上げた。


「俺が菓子職人になることに、母ちゃんは大反対だったんです。だから俺、五年頑張って芽が出なかったら帰ってくるからって、そう約束して実家を出てきたんです。今年がその五年目。それなのに、店の話もなく、恋人もいないんじゃあ、母ちゃんに言い訳もできないんです」


 男が身を乗り出した。


「俺、絶対菓子職人になりたいんです。それには、母ちゃんに納得してもらわないといけないんです。だから、母ちゃんがこっちにいる間だけでいいから、恋人を演じてくれる人を探してるんです!」


 大きな声で、男が言った。


「母ちゃんと会って、俺は頑張ってる、俺はやる男だって言って欲しいんです! 期間限定の恋人役、どうかお願いします!」


 男が頭を下げた。

 全力で頭を下げた。


「恋人役、ですね。分かりました」


 脱力しながらリリアが答えた。


「ありがとうございます!」


 叫ぶように男が礼を言う。


「それで、えっと、できれば恋人役は、リリアさんに……」


 真っ赤な顔の男に、リリアが言った。


「適切な人選をした上で、後日ご連絡いたします」


 半笑いのリリアが、やけに事務的に答えた。



「要するに、恋人のフリをしてくれっていう依頼なのね」

「そうなんです」


 確認するフェリシアに、リリアが頷く。


「何でそんな面倒な依頼を受けたんだよ」

「すみません。その時私、何だか疲れてて」


 ヒューリに言われて、リリアがしおれていく。


「仕方ないさ。もう受けてしまったんだ」

「そうですよ」


 リリアをかばうミナセとミアに、ヒューリが言った。


「だからさ、その恋人役ってやつを、いったい誰がやるんだよ」


 結局、最初の議論に戻ってしまった。


「責任を取って、私がやります」


 悲壮な決意をリリアが示す。

 だが、フェリシアが即否定した。


「リリアが行ったら、依頼主も母親も本気になっちゃうでしょう? 絶対やめておいた方がいいわ」


 全員が大きく頷いた。

 リリアみたいないい子を、母親が気に入らないはずがない。下手をすると、すぐに結婚話を進めてしまいそうだ。


「じゃあ私がやろうか? 依頼主にも母親にも、ビシッと言ってやるぜ!」


 盛り上がるヒューリをミナセが睨む。


「お前もやめとけ。台無しになる予感しかしない」

「何だよもー。じゃあミナセはどうなんだ?」


 突然振られて、ミナセが目を丸くした。


「わ、私は、そ、そういうことは、その……」


 しどろもどろのミナセの肩を、ヒューリが叩く。


「冗談だよ。生真面目なミナセに、恋人役なんてできるはずないじゃんか」


 からかわれたと知って、ミナセがヒューリを睨む。ニヤニヤと笑うヒューリを、だがミナセは怒ることもなく、顔を赤くしてうつむいてしまった。

 それを見て、ミアがつぶやく。


「ミナセさん、かわいい」


 ミナセの顔がさらに赤くなっていく。

 それを笑いながら見ていたフェリシアが、みんなに言った。


「仕方ないわね、私がやるわ。私、こういうことなら……」

「無理ですね」


 ミアが、なぜかきっぱり言い切る。


「フェリシアさんのいるところ、常に男の視線あり。依頼主に命の危険が迫ること請け合いです」

「もう、何よそれ」


 フェリシアは不満顔だが、ほかのみんなは何度も大きく頷いていた。


「ここはやはり、この私が……」

「やっぱり難しいわね」


 輝く金色の瞳を無視して、フェリシアが頬杖をつく。

 頬を膨らませるミアを笑いながら、しかしマークも、困ったように腕を組んだ。

 その時。


「意外と、シンシアがいけるんじゃないか?」


 ヒューリがまじめな顔で言った。

 自分には関係ないという顔で聞いていたシンシアが、びっくりして目を見開く。


「そうだな、意外といけるかもな」


 ミナセが続いた。


「そうね、シンシアなら余計なことは言わないから、ボロも出にくいでしょうし」


 フェリシアまでもが続いた。


「残念ながら、適任かもしれません。シンシアなら、会話が続かなくて、母親もすぐに帰ってくれるでしょうし」

「あなたねぇ」


 ひどいことを言うミアを、フェリシアが呆れたように見る。

 突然有力候補になってしまったシンシアが、救いを求めるようにマークを見た。それなのに、マークは目を合わせてくれない。マークも本当に困っているらしい。

 悲しそうに肩を落とすシンシアが、ふとリリアの様子に気が付いた。

 リリアは、うつむいていた。

 両手でカップを持ったまま、申し訳なさそうに小さくなっている。

 七人の中で一番困っているのは、間違いなくリリアだった。


 シンシアが拳を握った。

 シンシアが、決断した。


「私、やる」


 しっかりとした声で、シンシアが宣言をした。


「シンシア、本当にいいの?」


 心配そうにリリアが言う。


「大丈夫」


 にっこりとシンシアが笑う。


「シンシア、すまないな」


 マークの一言で、議論は終わった。

 こうして、エム商会史上最高難度(?)の依頼は、シンシアが担当することになったのだった。

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