終着点

 正面に、鋭い穂先のような頂上を持つ山がある。その頂のすぐ下から延びる長い尾根の麓に、セルセタの花の咲く洞窟はあった。

 その洞窟の近くに、フェリシアはたくさんのテントを見付けた。

 狼煙が上がっているが、そんなものはもう必要ない。


「ミア、着いたわ!」


 フェリシアの声に、ミアがぴくっと震える。


「えっ、着いた?」


 半分寝ていたようだ。


「そうよ、前を見て」

「あっ、人がいる! 手を振ってる!」


 完全に目覚めたミアが、喜びの声を上げる。


「ロイ様、着きました、着きましたよ!」


 すでに返事をする力もない背中のロイに向かって、ミアが大きな声で到着を告げた。


 三人は、ついに辿り着いた。

 二日と半日。

 たったの二日半。

 しかし、その道のりは長かった。

 ミアは、嬉しくて泣き出してしまう。


「フェリシアさん、私たちやりましたね!」


 フェリシアの右手を、ミアが両手で握る。


「私、私……」


 ミアの顔は、涙でぐちゃぐちゃだ。


「ちょっと、ミア。あなた、そんな顔であそこに降りるつもり?」

「だって……」

「いいから早く涙を拭きなさい。まったくもう」


 ミアを叱るフェリシアは、しかし嬉しそうに笑っていた。

 ポケットからハンカチを出して、ミアが顔を拭く。


「フェリシアさん」

「なに?」

「片手だと、鼻がうまくかめません」

「ミア、あなたって……」


 呆れ顔のフェリシアと、真剣に鼻をかむミア。

 旅の終わりは、感動的な幕切れとはならなかったようだ。



「お疲れさん! よくやったな」


 地上に降り立った三人を、カイルとアランが出迎えた。


「どうにか到着しました。ただ」


 フェリシアが、ミアの背中を見る。

 そこには、ぐったりしているロイがいた。


「時間がないな。すぐにグレートウィルムを倒しに行く。全員配置につけ!」


 ロイを一目見たカイルが、兵士たちに号令を掛けた。


「俺もアランも、ウィルムを倒しに行ってくる。二人は、ロイ様とあそこで待っていてくれ」


 カイルが指さす先には、洞窟入り口のすぐそばに張られた天幕があった。その下にはかまどが作られていて、かまどの上には鍋が載っている。

 即座にセルセタの花を煎じる用意ができていた。


「それと、フェリシア。うちのヒーラーを呼ぶから、腕の治療を……」

「結構よ」


 カイルの気遣いを、フェリシアは断った。


「私の役目はもう終わり。貴重な魔力は、これから戦うあなたたちのために使うべきだわ」


 到着してから、フェリシアは左腕をまったく動かしていない。ひどいケガをしているに違いなかった。

 それなのに。


「まったく、お前らしいな」


 苦笑いをしながら、それでもカイルはそれ以上何も言わなかった。


「とにかくゆっくり休んでくれ」

「ありがとう。あとはお願いするわ」


 さすがのフェリシアも、もうまともに動けなかった。兵士に支えられながら、どうにか天幕まで移動する。

 ミアは、最後の魔力を使って、最後の魔法をロイに掛けていた。


「あと少しです。頑張ってください」


 自分も疲れているだろうに、ロイに向かって笑顔を向ける。

 ロイが、かすかに笑った。



 カイルたちが洞窟に入ってから、だいぶ時間が経っている。

 花の咲く場所は、洞窟の入り口からわずか百メートルの距離だという。グレートウィルムを倒すことができれば、一分もしないうちに誰かが花を持ってくるだろう。それなのに、洞窟から出てくるのは、負傷兵とそれを運ぶ兵士ばかりだ。


「苦戦しているみたいね」

「そうですね」


 フェリシアもミアも、本当ならぐっすり眠りたいところだ。だが、セルセタの花を自分の目で見るまでは、やはり気になって眠ることなどできなかった。


 ロイは、ミアの魔法のおかげで少し持ち直している。しかし、それも時間の問題だろう。早くセルセタの花を煎じて飲ませなければ、間に合わないかもしれない。

 すぐ隣では、漆黒の獣に同行してきていた公爵家お付きの医師が、弱火を維持しながら時々鍋に水を足している。


 花は、熱湯で最低でも五分は煎じる必要があると文献にはあった。それを、ロイが飲める程度まで冷ますのに多少の時間は必要だろう。

 そこまでの状態になった時、ロイに、自力でそれを飲み込む力が残っている必要がある。

 時間はもうなかった。


 ロイを抱き締めながら、ミアは祈る。


 神様、お願いします!

 ロイ様をお救いください!


 その姿を、フェリシアがじっと見つめていた。

 自分の役目は終わっている。だが、作戦はまだ終わっていない。

 漆黒の獣は、グレートウィルムを倒すための訓練をしていたはずだ。専用の装備も用意していた。順調にいけば、とっくに倒せていてもおかしくない。

 だが、間違いなく漆黒の獣は手こずっている。洞窟の中で何かが起きている。

 ここまで来て、作戦は失敗だったなんていう結末は受け入れられるはずがなかった。


 フェリシアは、決断した。


「ミア、ロイ様をお願い」

「フェリシアさん?」


 左腕を押さえ、顔を歪めながら立ち上がるフェリシアを、ミアが見上げた。


「あの、何をするんですか?」


 フェリシアの意図を図りかねて、その顔を見つめる。

 それに、フェリシアは笑顔を返した。


「ちょっと行ってくるわ」

「フェリシアさん? ちょ、ちょっと、無理です! 止めてください!」


 ミアのうわずった声が聞こえる。

 それを背中で聞きながら、フェリシアは、笑ったまま洞窟の中へと入っていった。

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