滅びの光
ミナセは走った。アルミナの町にまだ詳しくないミナセは、目指すべき場所の見当もついていない。
クレアを抱えたまま、ミナセはひたすら走った。
「待て!」
衛兵たちの追跡はしぶとく続いている。しかも人数が増えていた。
少し冷静さを取り戻したミナセが、走りながら周囲を見渡す。どうやらスラム街に迷い込んだらしい。人々の姿も、建物の様子も今までとはだいぶ異なっていた。
クレアを抱いているミナセは、素早く動けない。衛兵たちを振り切るのはおそらく無理だ。
ミナセは決断した。
驚く住人たちをかわし、ガラクタの山を飛び越えて、狭い通路を駆け抜ける。ジグザグに、メチャクチャにミナセは走った。
そして。
今だ!
衛兵たちの視線を感じなくなった瞬間、ミナセは人の気配がしない廃屋の中に飛び込んだ。
クレアをそっと床に下ろすと、唇に人差し指を当てて、静かにするよう合図をする。
「消えたぞ!」
「探せ!」
衛兵たちの声が聞こえた。
ミナセは祈る。
頼む! そのままどこかへ行ってくれ!
住人には、二人がここに飛び込むところを見られていた。だが、スラムの住人は、多くの場合衛兵たちに協力することはない。
聞かれても、きっと黙っていてくれるはず。
淡い期待を抱きながら、ミナセは祈り続けた。
「貴様、女と子供の二人連れを見なかったか?」
「んー? 知らねぇなぁ」
「怪しい二人連れを……」
「あー? もう一回言っとくれ」
ミナセの予想通り、衛兵の質問に住人たちはまともに答えていない。
よし、これなら……
ミナセが小さく息を吐き出した、その時。
「ここよ!」
鋭く叫ぶ女の声がした。
「ここにアンデッドの反応があるわ!」
聞き覚えのある声。あのプリーストの女だ。
アンデッドを探し出す魔法があるのか、それとも特殊なアイテムでも持っているのか。女は、正確に二人のいる廃屋を指さした。
衛兵たちが集まってくる。
「間違いないのか?」
「間違いないわ」
建物の前の会話が聞こえてきた。
「お姉ちゃん」
クレアがミナセを見上げる。
「アンデッドって、なに?」
クレアが聞いた。
いっぱいの不安をその目にたたえ、ミナセを見上げて聞いた。
それに答えることなく、ミナセはポケットからハンカチを取り出す。そして、無くなってしまったクレアの左手首を包んだ。
「お前は気にしなくていい」
ハンカチをきゅっと結んで、優しくその腕を撫でる。
「お姉ちゃん」
クレアが、右手でミナセの手を握る。
「少し、怖い」
その表情はこわばっていた。
ミナセも、こわばった顔でクレアの右手を握り返す。
「大丈夫だ。私が必ずお前を守る」
「うん」
今にも泣き出しそうなクレアは、それでも小さく頷いた。
頷き返したミナセが、クレアの手をそっと放す。
「ここで待っていてくれ。衛兵さんたちと、ちょっと話をしてくるから」
「お姉ちゃん……」
「大丈夫だ」
もう一度強く言って、ミナセはクレアに背を向ける。
そして、ゆっくりと廃屋の外に出て行った。
「出てきたぞ!」
衛兵の一人が叫ぶ。
弾かれたように、全員が廃屋から距離を取った。
「剣を捨てておとなしく投降しろ!」
隊長らしき男が怒鳴る。
またもや弾かれたように全員が武器を構えた。
「あの子は」
ミナセが、努めて冷静に言う。
「人に害を与えるような子じゃない。どうか見逃してくれないか」
そう言って、隊長に頭を下げた。
ミナセの意外な行動に、周囲がざわついた。静かに頭を下げ続けるその姿に、衛兵たちは気勢を削がれている。
強烈な殺気を放っていた人物とは思えない真摯な態度に、隊長もどう答えていいのか迷っているようだった。
そこに、あのプリーストの声がする。
「アンデッドが生きている人間を忌み嫌うのは常識よ! 彼女の言うことは信用できないわ!」
ミナセが、憎々しげな視線をプリーストに向けた。
だが、女の言うことはまさにその通りだった。
低い知性しか持たないスケルトンでも、高い知性を持つリッチでも、アンデッドは生きている人間を嫌った。それは、ほとんどの場合人間への敵対行動として表れる。一部の例外を除いて、アンデッドは即時討伐すべき存在とされていた。
アンデッドは恐ろしい。アンデッドは気味が悪い。
それがこの世界の常識。
だけど。
一緒のベッドに潜り込んで、嬉しそうに微笑むアンデッドなどいない。
髪をとかしてもらって気持ちいいと言ったり、コロッケが食べたいと言い出すアンデッドなどいないのだ。
だから。
「あの子は」
ミナセが叫ぶ。
「クレアはアンデッドなんかじゃない!」
心の底から叫んだ。
「じゃあ、あの手首は何なの!」
間髪入れずに女が問い詰める。
「手首を切断されたのに血の一滴も出ない。落ちた手首は崩れて灰になった。アンデッドじゃないって言うなら、じゃああの子はいったい何なのよ!」
まともな言葉だった。女の問い掛けに、ミナセは答えられない。
衛兵たちが動き出した。武器を構え、じわりとミナセに近付いていく。
もはや話し合いをする気がないのは明らかだった。
いくつもの刃が迫り来る中で、弱々しい声がする。
「クレアは、クレアなんだ」
半円状に囲まれたその中心で、ミナセが大きな声で叫んだ。
「クレアはクレアなんだ!」
瞬間、ミナセが剣を抜く。
ミナセを囲んでいた剣が、槍が、一瞬で真っ二つになった。
「ななな、なんだ!?」
衛兵たちの持つ装備は、決してなまくらなどではない。それが、ほとんど衝撃を感じないほど、鮮やかに斬られた。
ザザッ!
再び全員が距離を取る。
全員が、手元の武器を驚愕の目で見つめている。
その時。
「お姉ちゃん」
驚いてミナセが振り向くと、そこにクレアが立っていた。
「バカ! 待っていろと言っただろ!」
「ごめんなさい」
ミナセに叱られて、クレアは肩をすぼめて小さくなった。
「あのね、私、体が……」
「全員で黒髪の女を押さえて!」
クレアの言葉を遮るように、プリーストの女が言った。
「あの女は人を殺さない。武器を捨てて一斉に飛び掛かれば押さえ込めるわ! その間に私が呪文を完成させる!」
「貴様ぁ!」
ミナセが女を睨み付けた。
さすがのミナセも衛兵には手を出せない。悔しいことに、女はミナセの心を正確に見抜いていた。
女が呪文を唱え始める。
それを阻止せんと、ミナセが前に出る。
その行く手を、武器を捨てた衛兵たちが遮った。剣を抜いたままのミナセの前に、決死の表情で壁を作る。
「うおぉぉぉっ!」
雄叫びを上げたミナセは、素早く剣を鞘に納めると、人の壁に突っ込んでいった。
驚く衛兵たちを投げ、殴り、叩き伏せながら、プリーストの女に向かって突き進んでいく。
しかし。
致命傷を負わせることのできないミナセが、次々と立ちふさがる人の壁を突破することなどできるはずがなかった。
衛兵たちがミナセに群がる。
ミナセがもがく。
プリーストを突き刺すように睨み、全身全霊で腕を伸ばす。
その、腕の先。わずかに届かない腕の先で、呪文は完成した。
プリーストの女が、高らかにそれを唱える。
「不条理な存在に滅びの光を。ターンアンデッド!」
直後、女の体から魔力が溢れ出していった。
それが、輝きを交えながら周囲に広がっていく。
きれいだった。
煌めきながら拡散していく浄化の光。
摂理に抗うものを、あるべき姿へと変えていく滅びの光。
美しい光がクレアの体を包んでいく。
「クレア!」
掴み掛かってくる衛兵たちを振り払って、ミナセは駆けた。
廃屋の前に佇むクレアに向かって全力で駆けていく。
「クレア!」
「お姉ちゃん!」
ミナセがクレアを抱き締めた。
小さな体を、力いっぱい抱き締めた。
その、腕の中。
クレアの体が、少しずつ、ボロボロと崩れていく。
「いや……」
ミナセがうろたえる。
「だめよ……」
ミナセは、必死になってクレアを支えた。その体を押さえ、必死に形を保とうとした。
だが、ミナセの腕の中で、クレアは壊れていく。
クレアの腕が、もげ落ちた。
クレアの足は、膝から下が、もうなかった。
「クレア!」
パニックになるミナセの耳に、可愛らしい声が聞こえてくる。
「あのね」
クレアの声が聞こえてきた。
「私、おね…………えて…………った」
その声がかすれていく。
「あのね、おね……ん」
その声は、もうほとんど聞き取れない。
「あ…………」
声は、途中で途絶えた。
その体は、どこを押さえても、もう何の手応えもなかった。
風がクレアを連れ去っていく。
まるで嘘のように、ミナセの腕の中から、クレアは消えていった。
「そんな……」
ミナセの視線が宙をさまよう。
「クレア……」
腕が虚空をさまよう。
その目から、悲しみが溢れ出した。
「あぁぁぁぁぁっ!」
慟哭が街に響く。
クレアの服を抱き締めて、ミナセは泣いた。天を仰いだまま、いつまでも、いつまでもミナセは泣き続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます