占い師
二人は、本屋やアイテムショップを次々と回っていく。だが、クレアに関係しそうな本や資料はなかなか見付からなかった。
ふと見れば、通りを歩く人の数がだいぶ増えてきている。
「そろそろお昼か」
そんなことをつぶやいたミナセが、突然気付いた。
「クレア……どこか、悪いのか?」
「えっ? 平気だよ」
ミナセの問い掛けに、クレアは笑って答える。
だが、その歩みは朝と比べて明らかに遅くなっていた。そして、歩き方がぎこちなくなっている。
「少し、休もう」
休むことに意味があるのか、そんなことをチラッと考えながらも、ミナセは言わずにいられなかった。
だが、クレアは返事をしない。
クレアは、すぐ横の店先をじっと見つめていた。その視線の先で、店主がコロッケを揚げている。
バチバチと、小気味よく油のはねる音がする。きつね色のコロッケが、次々と油切りの上に載せられていった。
「食べたいのか?」
躊躇いがちに、ミナセが聞いた。
クレアがミナセを見る。もう一度コロッケを見る。そして言った。
「あのね、私、ご飯は食べちゃだめだって、先生に言われたの」
予想外、ではなかった。
ミナセは続きを黙って待つ。
「だからね、私、ずうっとなんにも食べてなかったんだけど」
クレアはうつむき、迷い、だが、思い切ってミナセを見た。
「私、コロッケ、食べたい」
真剣な目で、クレアが言った。
「よし、じゃあ食べるか!」
「うん!」
ミナセの言葉に、クレアが元気よく頷いた。
食事がクレアの体にどんな影響を及ぼすのか、ミナセには分からない。
それでも、ミナセは迷わなかった。
「おじさん、コロッケ二つください」
「あいよ!」
ミナセはコロッケを買った。
「熱いから、気を付けて食べるんだぞ」
揚げたてのコロッケをクレアに渡す。紙にくるまれたコロッケを、クレアは嬉しそうに受け取った。
だが、クレアはなかなかコロッケに口をつけない。それを見て、ミナセが先に自分のコロッケを口元に運んだ。
ふぅふぅと息を吹き掛けてコロッケを冷ます。
そして。
「いただきます」
ミナセが、コロッケを慎重にかじった。
はふ、はふ……
さすがに揚げたてのコロッケは熱い。だけど、それは抜群に美味しかった。
その様子を見ていたクレアが、ミナセに聞く。
「お姉ちゃん。いただきますって、なに?」
不思議そうにミナセを見ている。
ミナセはコロッケを飲み込み、クレアを見て微笑みながら答えた。
「人はね、命をいただきながら命を保っているんだ。だからね、食事の前にはその食べ物たちに感謝をしなきゃならない。いただきますっていうのは、その感謝の言葉なんだよ」
「ふーん」
クレアが首を傾げる。
そして、ちょっと考えた後、元気に言った。
「分かった!」
クレアが笑う。
「いただきます!」
パクッ
思い切り、クレアはコロッケにかぶりついた。
「こらっ、熱いって言っただろ!」
慌てるミナセの目の前で、だがクレアは、平気な顔をしてモグモグと口を動かしている。その顔が、少し曇った。
ゴクリと音を立てて、クレアがコロッケを飲み込む。飲み込んで、寂しそうに言った。
「前に食べたのと、ちょっと違う」
「……そうか」
クレアが、残念そうに残ったコロッケを見ている。
「あとは私が食べよう」
ちょっと強引に、クレアのコロッケをミナセが引き取った。名残惜しそうにコロッケを目で追うクレアに、ミナセが言う。
「今度私が、美味しいコロッケを作ってやる」
「ほんと!?」
「ああ、本当だ」
突如甦る昔の記憶。
ミナセの鼓動が乱れる。胸が締め付けられるように痛む。
私は、また嘘をついた
「さあ行こう」
「うん!」
クレアの手を引き、ゆっくり、ゆっくりとミナセは歩き始める。
前を睨むように、ミナセは歩く。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
クレアがミナセを見上げている。
「……大丈夫だ」
純粋なその瞳を、ミナセは見ることができない。
ミナセの胸が、またズキズキと痛み出していた。
ミナセも、魔法や魔物についてある程度の知識は持っていた。だが、それは戦いに特化したものだ。魔法の仕組みや魔物の成り立ちについては知らないことも多い。
それでも、クレアが非常に特殊な存在だということだけは分かった。町にある本屋やアイテムショップで情報を得られる可能性は、おそらく低い。それをミナセは実感し始めていた。
クレアの状態はよくない。急速に魔力が小さくなってきていた。
気は進まなかったが、やはり医者か、あるいは魔術師や呪術師のような人に話を聞くしかないのかもしれない。
考えながら歩いていたミナセが、ふと辺りを見回して、舌打ちした。
この通りに来てはいけなかったんだ
二人は、ミナセがマークと初めて出会った場所、黒髪を見て不吉だと叫ぶ占い師がいる通りを歩いていた。
あれ以来通ることがなかったこともあって、占いの館がどこにあるのかは知らなかったが、面倒なことになるのは避けたい。
ミナセがクレアに言った。
「この道はやめよう。別の通りに……」
その瞬間。
「黒髪は不吉だ! 悪魔の使いだ!」
大きな声を上げながら男が飛び出してきた。
見れば、男の背後に”占いの館”という看板が掛かっている。
しまった!
ミナセが再び舌打ちした。
いかにも占い師という格好で飛び出してきた男が、落ち窪んだ気持ち悪い目で二人を睨み付ける。物騒なことに、その手には鉈が握られていた。
その目がカッと開く。
「皆の者、武器を取れ! 悪魔の使いが、魔物を連れておるぞ!」
その声に反応して、通行人が集まってきた。
悪魔とか魔物とか言われたその相手が、美しい女と可愛い女の子だったことに驚き、戸惑い、あるいは関心を無くしていく。
現状では、頭のおかしい男が鉈を振りかざして叫んでいるだけといった印象だ。
それでも占い師は叫び続ける。
「皆の者、騙されるな! こいつらは不吉だ! 特に、その子供は何としても滅ぼさねばならぬ!」
ミナセの肩がピクリと震えた。
クレアは、怯えてミナセにしがみついている。
集まってきた人たちは、どうしていいか分からずに、三人を黙って取り囲んでいた。そこに、騒ぎを聞きつけて衛兵たちがやってくる。
「何事だ!」
数人の衛兵が、人垣をかき分けて三人の前に立った。
「衛兵、この者たちを滅ぼすのだ! こいつらは悪魔だ! 魔物の子だ!」
あくまで主張し続ける占い師の言葉を、だが衛兵たちも信じる様子はない。
「お前こそ鉈を下ろせ。こんな人の多いところで……」
突然。
「みんな離れて!」
今度は背後から声が聞こえた。振り返ると、そこには冒険者風の数人の男女がいる。
そのうちの女の一人が、ロッドを構えながら言った。
「黒髪の女はただの人間よ。でもその女の子は」
ロッドを突きつけて言った。
「アンデッドだわ!」
ざわざわ……
周りの人たちが互いに顔を見合わせる。
「プリーストの私には分かる! その女の子は……」
「違う!」
その時ミナセが叫んだ。
目を血走らせ、鬼気迫る表情でミナセが叫んだ。
「クレアは普通の女の子だ! どこにでもいる、普通の女の子なんだ!」
クレアを強引に引き剥がして、ミナセは体を自由にする。
そして、剣に手を掛けた。
ミナセの殺気が膨れ上がっていく。周囲の空気がビリビリと震え出していた。
「なっ!」
冒険者たちが後ずさる。
強烈な殺気。今まで経験したことのないほどのプレッシャー。
プリーストだと言った女が、思わずロッドを取り落とした。男の一人が腰を抜かしてヘタり込む。
人々の作る輪が大きくなっていった。戦いとは無縁の人たちでさえ、ミナセが発する異常なまでの気迫に恐怖を覚えている。
衛兵たちでさえ、まったく動くことができなかった。
それなのに。
「滅びろ!」
占い師の男だけが動いた。
いつの間に近付いていた占い師が、クレアの頭に向かって鉈を振り下ろす。
「くっ!」
冒険者たちに集中していたミナセは、不覚にも対処が遅れた。クレアの右手を強く引いて、その体を自分に引き寄せる。
鉈は頭を逸れた。
だが、引かれた反動で、クレアの左腕が宙に浮く。
その左の腕の先、手首から先を、容赦なく、鉈が切り落とした。
「きゃぁぁぁ!」
野次馬の女が悲鳴を上げる。吹き出る血飛沫を見ないように、泣き叫ぶクレアの声を聞かないように、強く目を閉じ、耳を塞いだ。
しかし。
切断された腕から、血は出ていなかった。
クレアは、泣いていなかった。
ボトリと落ちた手首が、その場でボロボロと崩れ、やがて砂のように細かい粒子となって散っていく。
ミナセが息を呑んだ。
そこにいる全員が呼吸を止めていた。
そんな中。
「見ろ、やはりこいつは魔物だ! 滅ぼせ、滅ぼすのだ!」
占い師の男が素早く反応した。
「魔物だ」
「アンデッドだ」
つぶやきが広がっていく。
恐怖、そして憎悪。
四方から向けられるその視線に、ミナセは動けない。渦巻く感情の中心で、ミナセは呆然としていた。
やがて、衛兵が動き出す。
武器に手を掛け、じり、じりっとミナセたちに向って進む。
その動きに、ミナセは急速に反応した。
クレアを抱き上げて、ミナセが怒鳴る。
「どけ!」
鬼のような形相に人垣が崩れた。
「お姉ちゃん」
「黙ってろ!」
クレアの声を、ミナセは強く遮った。
クレアを抱いて、ミナセは走り出す。
「追え!」
衛兵たちも走り出した。
冒険者たちが、体制を立て直して衛兵に続く。
「どけ、どいてくれ!」
怒鳴りながら、ミナセは走った。
くそっ!
走りながら、唇を噛む。
手首を切り落とされたんだぞ!
血が滲むほど、強く唇を噛む。
それなのに。
黙ってろ!
クレアに向かってミナセは言った。ミナセの言葉で、クレアは黙った。
ミナセは自分が許せなかった。
情けなくて、悲しくて涙が溢れ出す。
クレアは必死にしがみついている。
目をぎゅっと閉じ、残った右手でミナセの服をぎゅっと握ってしがみつく。
「頼む、道を開けてくれ!」
ミナセは走った。
役に立たない視力を鍛え抜いた感覚で補いながら、クレアを抱えて、闇雲にミナセは走っていった。
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