エレーヌの相談

 何度来てもここはいいわね

 潜入しづらそうで、燃えてくるわ!


 マニアックな感想を抱きながらフェリシアが歩く。


「何度来ても、こういうところは慣れません。あっ、犬がこっち睨んでる!」


 おどおどしながらミアが歩く。

 二人は、一人の兵士に先導されて、ロダン公爵邸の敷地の中を歩いていた。


 王を補佐し、実質的にこの国を仕切っているとも言われる三人の公爵。そのうちの一人で、軍の統括をしているのがロダン公爵だ。公爵の息子、ロイの命を救ったことがきっかけで、フェリシアとミアは時折この屋敷を訪れるようになっていた。

 とは言っても、訪れるのは、公爵夫人であるエレーヌから招かれた時だけだ。二人の側から屋敷を訪ねたことは一度もない。

 夫妻とロイは、二人に深く恩を感じている。訪ねていけばいつでも歓迎されるとは思うのだが、一般市民が気軽に来られるほど、貴族の敷居は低くない。公爵夫妻もそれは分かっていたので、何かと用事を作っては、エレーヌの名前で二人を招くようにしていた。

 

 屋敷の中に入ったところで、先導がメイドにかわる。どうやら、今日もエレーヌの私室に通されるようだ。


「今日はどんなお菓子ですかね!」


 厳つい兵士がいなくなると、ミアは途端にリラックスし始めた。


「この間のマドレーヌっていうお菓子、あれは最高でした!」

「ちょっとミア、静かにしなさい」


 呆れ顔でフェリシアがたしなめた。前を行くメイドが、くすりと笑う。


「でもでもフェリシアさん。あれ、ほんとに美味しかったんですよ!」


 めげずに主張を続けるミアに、とうとうメイドは笑い出してしまった。


「ふふふ。では、今日もマドレーヌをご用意いたしましょうか?」

「ぜひ!」


 喜び全開でミアが返事をする。メイドが楽しそうに微笑んだ。

 ロイの命を救ってくれた恩人たち。ロイ本人や公爵夫妻だけでなく、屋敷で働く者や、公爵に仕えるすべての者が、フェリシアとミアに感謝をしていた。

 特にミアは、ロイに懐かれ、夫人に気に入られ、屋敷の者たちからは好かれている。明るくて飾らない人柄のおかげと言えるが、きっちりとマークに釘を刺され、さりげなくフェリシアが手綱を引いていることが、その好感度を一層上げていた。

 節度を守ることは、とても重要だ。それをしっかり社員に守らせているマークもまた、公爵家において高く評価されていた。



「奥様、お二人をお連れいたしました」

「お入りなさい」


 メイドに続いて、二人はエレーヌの私室に足を踏み入れる。

 すると。


「ミア!」


 小柄な影が、ミアに飛びついてきた。


「ロイ様!」


 ミアが、驚きながらその体を抱き止める。


「ロイ! はしたないですよ」

「すみません」


 叱られて、ロイは渋々ミアから体を離した。

 でも、その顔はとても嬉しそうだ。ミアを見上げてにこっと笑い、軽やかにエレーヌの隣に戻る。

 ロイを叱ったエレーヌも、すぐに穏やかな微笑みを浮かべた。


 ロイが笑っている。

 ロイが走っている。

 ロイが、隣に座っている。


 少し前までは考えられなかった光景だ。当たり前のことがどれほど幸せなことか、エレーヌは日々それを実感していた。


「エレーヌ様、ご無沙汰しております」

「お招きありがとうございます」


 フェリシアとミアが、微笑むエレーヌに挨拶をした。二人は、エレーヌから名前で呼ぶように言われている。一般市民に対して、それは破格の待遇と言えた。


「ごめんなさいね、忙しいのに呼び立ててしまって」


 そう言うとエレーヌは、ロイとは反対側の椅子に座っている女性を二人に紹介した。


「こちらは、私の姪のセシルよ。今日二人に来てもらったのは、セシルのことで相談があったからなの」

「叔母様! そんないきなり……」


 突然本題に入られて、セシルは慌てた。

 上品に言うならふくよか。可愛く言うならぽっちゃり。まあるい顔を赤らめて、セシルが夫人を睨む。

 そんなセシルに向かって、フェリシアがきれいにお辞儀をした。


「お初にお目に掛かります。エム商会のフェリシアと申します」

「ミアと申します!」


 フェリシアに続いて、ミアも頭を下げる。


「セシルです。お二人のことは、叔母様から伺っておりますわ。わたくしのことは、セシルと呼んでくださって結構よ」


 さすがは貴族の子女。即座に立て直して、優雅に返事をする。その声に、二人を見下した様子はない。身分の違いを鼻に掛けるタイプではないらしかった。

 フェリシアが、そっと微笑む。


 エレーヌが二人に椅子を勧めた。それぞれが腰掛けると、隣のロイを見る。


「ロイ。お二人とお話があるから、席を外しなさい」

「はい」


 エレーヌの躾の賜だろうか。久し振りにミアと会ったというのに、駄々をこねることもなく、ロイは素直に席を立った。


「ミア、また今度ね!」


 ミアに笑顔を投げて、ロイは部屋を出ていった。それを、エレーヌが穏やかに見送る。その顔は、とても嬉しそうだった。

 ちょうど入れ替わりにメイドがやってきて、フェリシアとミアにお茶を淹れていく。テーブルには、約束通りマドレーヌが置かれていた。

 ミアの目が輝く。フェリシアが、テーブルの下でミアの手を慌てて押さえた。


 メイドが部屋から出ていくと、エレーヌが二人に向き直る。


「じつは、相談と言うのはね」


 落ち着きのないミアを不思議そうに見ながら、再び頬を染めるセシルの隣で、エレーヌが話を始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る