第十八章 乱

押し寄せる脅威

 アルミナの町から南に数キロの場所。そこに、三万の軍が陣を張っている。

 率いているのは、イルカナ三公爵の一人、ロダン公爵。エルドアとの国境付近から北上を続ける大軍を迎え撃つため、兵をかき集めて出陣してきていた。


「周辺住民の避難は完了しました。しかし、南の町や村は……」

「嘆くのは後だ。ここより北の住民にも避難準備をさせておけ。急げ!」

「はっ!」


 部下が走り出す。

 入れ替わるように、偵察兵が戻ってきた。


「申し上げます! 敵は三キロ先の丘陵地帯を進軍中。一時間ほどで我が軍正面に到達するものと思われます」

「数は?」

「その……大小様々で、正確には分かりかねるのですが」

「そなたの感覚で構わぬ、申せ」

「はっ! おそらく、十万以上と思われます」


 公爵の眉が、一瞬跳ねた。

 士官たちが目を見張る。


「人型が半分、残りは獣型などですが、大型種や飛翔タイプも散見されました。いずれも、魔物とは思えない整然とした動きで進軍を続けております」

「分かった。どこかに魔物を操っている者がいるはずだ。その者を探し出せ」

「承知いたしました」


 天幕から飛び出していく偵察兵を目で追いながら、士官の一人がつぶやく。


「多くて二千だった魔物が、なぜ……」


 その顔は、ひどく青ざめていた。


 十万の魔物に対して、三万の正規兵。

 普通ならば、勝つことは難しくない。相手が魔物なら、人型だろうと獣型だろうと、訓練された軍隊の敵ではなかった。大型種や飛翔タイプがいたとしても、ある程度の犠牲を覚悟すれば倒すことはできる。

 だが。


「カイルの話が本当なら、三万ではまるで足りぬぞ」


 動揺する部下の声を、ロダン公爵は黙ったまま聞いていた。



 数週間前。


「今回の魔物たちは、粗末ながらも武装をしておりました」

「何だと!?」


 魔物討伐から戻ったカイルの報告に、公爵が目を見開いた。


「ゴブリンが盾を使って矢を防ぎ、オークが槌を使って陣地の柵を壊そうとしました。信じ難いことですが、間違いのない事実です」

「うーむ」


 公爵が唸る。

 棍棒を振り回すだけのゴブリンが、盾を使う。大きな体で掴み掛かってくるだけのオークが、槌を使う。いずれも考えられないことだった。


「加えて、その動きもおそろしく統率が取れていました。未熟ではあるものの、それは軍隊と言っても過言ではないと思います」

「軍隊?」

「はい。数体のホブゴブリンが、それぞれ数十のゴブリンを率いていました。ウルフは、体の大きなダイアウルフが群を率いていました。例えるなら、小隊や分隊と言ったところでしょうか」

「……」


 衝撃的な内容に、公爵は言葉がない。


「これまでも、魔物は少しずつ賢くなっておりました。しかし、これほど急激な変化は完全に想定外です」

「隊を率いていたホブゴブリンやダイアウルフは、人間と同じように指示を出していたのか?」

「いいえ。少なくとも、言葉や合図での指示は出していなかったと思います」

「それは、せめてもの救いだな」


 公爵が苦笑した。

 魔物が言葉を話したり、合図を含めた高度なコミュニケーションを取っていたとしたら、それはもはや魔物の域を超えている。

 

「では」


 しばしの沈黙の後、公爵が聞いた。


「魔物に指示を出していた人間はいたか?」


 カイルが、公爵の目を見てはっきりと答えた。


「魔物の群の後方、一体のワイバーンの背に、ローブをまとった人間がおりました。おそらく、その人物が魔物に指示を出していたものと思われます」

「そうか」


 公爵が考え込む。

 驚愕するようなカイルの答えを、だが公爵は静かに受け止めた。


 ミナセとフェリシアが遭遇した魔物たち。その魔物たちを、ワイバーンに乗った男が操っていた。

 常識の通用しない事態が起きている。公爵は、すでにそれを受け入れていた。


「その人間を捕らえることはできなかったのか?」

「申し訳ありません。魔物の攻撃を防ぐことに精一杯で、気付いた時にはすでに姿がありませんでした」


 頭を下げるカイルを、だがロダン公爵は責めなかった。


「顔は見たのか?」

「はっきりとは分かりませんが、その人間は、仮面を被っていたように見えました」


 ミナセたちの話に出てきた男は、仮面など被っていなかった。別の人間なのか、それとも警戒していたのか。

 やや考えてから、公爵が聞いた。


「次に対戦した場合、そなたなら勝てるか?」


 それまで即答していたカイルが、黙った。それを見て、公爵が顔を曇らせる。

 間を空け、公爵と同じように顔を曇らせて、カイルが答えた。


「今回は、我が軍五百に対して魔物も五百。加えて相手が低級の魔物だったので勝つことができましたが、数が二倍を越えた場合、あるいは強力な魔物がいた場合、勝つことは難しいと思われます」

「そうか……」


 拳を握るカイルの前で、いすに背を預けて、公爵が静かに目を閉じた。



 数が二倍を越えた場合、あるいは強力な魔物がいた場合、勝つことは難しい


 カイルはそう言っていた。それなのに、これからやってくる魔物は十万以上。しかも、大型種や飛翔タイプまでいる。

 さらに、魔物討伐に長けたカイルたちの部隊は、今ここにいない。


 いつかは魔物の軍勢が攻めてくる。公爵もそれは覚悟していた。しかし、予想よりも時期が早かった。その上、数も種類も想定をはるかに超えていた。


 苦悩は決して表情に出さない。そんなことをすれば、兵士たちが動揺する。イルカナ軍にとって、ロダン公爵は柱であり支えなのだ。


「陣地の構築を急げ。魔法の矢はすべて前線に配備、対魔物装備の点検も怠るな」

「はっ!」


 部下たちが動き出す。

 公爵が、部下に見えないように拳を握る。


 エム商会を送り出したのは失敗だったか……


 慌ただしく働く兵士たちを見ながら、ロダン公爵は、はるか南の空を睨んでいた。




「キルグの御曹司は、今頃うまくやっておるかのう」


 揺れる地竜の背の上で仮面がつぶやく。


「神の鎧は無敵でも、指揮官が無能では戦に勝てぬ。しかも、戦場にはあの者たちが向かっておったからの。魔物二万では少し足りなかったかもしれん」


 南へと駆けていく四頭の馬。

 物陰から確認した七人の姿を思い出しながら、仮面が顎を撫でた。


「まあしかし、一度くらい負けても問題はなかろう。神の鎧ある限り、御曹司の命は保証されておる。余程のことがない限り、御曹司はエルドア攻略を諦めないだろうからな」


 嫡男でありながら、あまり家臣の評判の良くない残念な男。

 今回の計画を持ち掛けた時、不評を覆す絶好の機会だと意気込み、父である王に遠征軍の指揮を直訴していた。


「こちらが片付いたら、わしも支援に行くとしよう。”いずれは追い払うにせよ”、差し当たりキルグにはエルドアを落としてもらう必要があるからな」


 何でもないことのように仮面が言う。


「さてと」


 仮面が、北を向いた。

 大陸でも有数の豊かな国。その国の王都。


「これだけ派手に動いてやっているのだ。これであの男が失敗なんぞしたら、それこそ大笑いしてやるぞ」


 気持ち悪い顔で仮面が笑う。


「さて、イルカナの軍が見えてきたな。では、始めるとしようか」


 そう言うと、仮面は地竜の上に立ち上がって呪文を唱え始めた。

 その声が、魔物から魔物へと伝わっていく。


「かわいい子供たちよ、存分に暴れるがいい!」


 仮面の声が、魔物に鞭を入れた。


 グオォォッ!


 雄叫びを上げた魔物たちが、イルカナ軍に向かって一斉に走り出していった。

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