薬草園

 ミアが自分にできること探しを始めてから、何日目かの夜。

 子供たちの部屋をひと通り見て回ったミアは、そのまま孤児院の外に出て、教会の敷地を散歩していた。いつもなら扉を出るとすぐに寄ってくるファンも、さすがにこの時間ではついてこない。


 教会の敷地は広い。礼拝堂や修道院、孤児院などの大きな建物のほかに、鶏小屋や納屋などの小さな建物、畑や薬草園、墓地に、ちょっとした雑木林まである。

 大陸有数の大きな町、アルミナ。その町の中心にある教会は、数百年もの間、姿を変えることなくそこに存在していた。


 空には煌々とお月様が輝いている。ランプも懐中電灯も、今夜は必要なさそうだ。

 広い敷地を、ぶらぶらとミアは歩く。特に目的がある訳ではなかった。何となく寝る気にならなくて、何となく外に出てみただけだ。


「お金かぁ」


 最近のミアは、気が付くと「お金、お金」とつぶやいている。

 シスターたちに声を掛け、いろいろと手伝ってはいるが、ミアが直接お金を稼ぐ機会はさすがにない。薬作りの手伝いは資金面での貢献度が高いはずだが、以前からやっていたことなので、ミアとしては目新しい動きに感じてはいなかった。

 フローラに言われてから、院長やベテランシスターたちの表情が、前より険しくなっているように思えてならない。


「やっぱり、ここを出て働くのが一番なのかなぁ」


 孤児院で生活をしながら外に働きに行くことも考えたが、フローラにあっさり却下された。


「そんなこと許されるはずないじゃない。それを許したら、ほかの子たちだって真似をするでしょう? そうしたらどんどん子供が独立しなくなって、孤児院がパンクしちゃうわ」


 まったくその通りだ。今のミアが例外中の例外なのだ。

 あれこれ考え、悩みながら歩いているうちに、気が付くとミアは薬草園までやってきていた。

 ここには、いつも独特の香りが漂っている。幼い頃から慣れ親しんだ、ミアの好きな香りだ。


 どうせここに来たなら……


 ミアは、薬草園の真ん中にあるお気に入りのベンチで、月でも眺めながら考えてみようと思った。

 杭で区切られた区画の間を、慣れた足取りでミアは歩く。いくつかの区画を通り過ぎ、物置小屋を回り込めば、そこがベンチだ。

 月明かりの届かない小屋の横を、壁に手を当てながら慎重に進んで、再び明かりの下に出てみると。


 誰かいる?


 そこには先客がいた。後ろ姿なので誰かは分からないが、間違いなくシスターだ。背筋を伸ばして、身じろぎ一つせずに前を見ている。

 そのまま立ち去ろうかとも思ったが、何となく気になって、ミアは声を掛けてみることにした。

 わざと足音をさせながら近付いて、挨拶をする。


「こんばんは」


 できるだけ驚かせないように、少し離れたところから相手の顔をのぞき込んだ。

 そこにいたのは。


 げっ、院長先生!


 月明かりに照らされたその顔は、まぎれもなく院長だ。感情の読めないいつもの顔で、ミアを静かに見つめ返している。

 これがほかのシスターだったら、少し話をしてから散歩に戻ることもできたのだろうが、院長ではおそらくそうはいかない。

 

 絶対怒られる……


 小言を言われる覚悟を決めて、ミアは院長の前に立った。


「ミアですか? こんな時間に何をしているのです?」


 やっぱりこうなった


 ミアは、院長が苦手だった。


 怒られるばっかりで、褒められたことなど一度だってない。怒る時も、ほとんど表情を変えないので余計に怖い。院長の笑った顔なんて見たことがない。

 年齢だけならもっと上のシスターがいる中で今の地位にいるのだから、きっと頭はいいのだろう。

 前の院長が人柄で治めるタイプだとすれば、今の院長は、理屈で治めるタイプだ。

 と、ミアは勝手に思っていた。


「あ、あの、ちょっと眠れなくて散歩を……」


 てへへへと笑いながら、無難な回答でかわす。

 この後の展開は読めている。


「規則違反ですよ。早く戻って寝なさい」


 表情を変えずにそう言って、ミアを追い払うはずだ。

 ところが。


「そう……」


 院長は、それだけしか言わなかった。

 そのまま、何かを考え込むように、ミアから視線を外してしまう。


 あれ、院長先生?


 肩すかしを食らったミアが、黙り込んだ院長をじっと見つめる。

 そして。


「ここ、いいですか?」


 そう言いながら、院長の隣を手で指した。


 何やってんのよ、私!

 自分でもびっくりだよ!


 自分の中の自分が驚いている。


 だって、何だかそうしたほうがいいと思ったんだもん!


 自分に言い訳をしながら、ミアは院長の返事を待った。

 院長は、驚きだと思われる微妙な表情を見せた後、「どうぞ」と言って、少し横にずれてくれた。


「ありがとうございます」


 お礼を言いながら、ミアは院長の隣に腰掛けた。


 二人は黙って正面を見つめる。

 会話はない。


 何でこうなった?

 なんで私、ここに座ってるの?


 自分の中の自分が、もっともな疑問を投げ掛けてくる。


 もう座っちゃったんだから、今さらどうしようもないじゃない!


 そんな自分に逆ギレしながら、ミアは必死になって会話のきっかけを探していた。

 すると。


「あなた、最近いろいろとシスターたちのお手伝いをしているようですね」


 院長から話をしてくれた。

 ホッとしながら、ミアが答える。


「はい。私、お世話になってばかりだから、何かお役に立てることがあればと思って」

「そうですか」

「……」


 会話終了。


 まずい、続かない!


 ミアは、一生懸命考えた。何か話すことはないかを一生懸命考えた。

 一生懸命考えて、真っ白になり、半ば意識が飛んだ状態になって、ポンと質問が飛び出した。


「うちの教会って、貧乏なんですか?」


 あぁ、私、何言っちゃってんだろ

 よりにもよって、とんでもないこと聞いちゃった

 ほら、院長先生、ちょっと不機嫌な顔してる

 私、絶対怒られる


 まっとうな反応を示す自分に、やけくそ気味の自分が叫んだ。


 ここまで言っちゃったら、もう止められないわ!


 ミアは、院長に向き直ると、面接以来考えていたことを勢いのままに吐き出した。


「私、エム商会の社長さんに言われたんです。私には覚悟と感謝が足りないって。覚悟っていうのはまだよく分からないんですけど、感謝は分かります。私は、教会やシスターたちに、感謝をしなければいけないと思うんです。お役に立たなければいけないと思うんです。それで、うちの教会が貧乏だって聞いて、いろいろ考えたんですけど、何をしたらいいのかよく分からなくて……」


 一息にまくし立てたミアは、言葉が続かなくなって、うつむく。


「……すみません」


 一気に盛り上がった気持ちは、一気にしぼんでしまった。

 こんな話をされても、院長先生だって困る。孤児院の子供でしかない自分にできることなんて限られているし、そもそも自分は、孤児院にいてはいけない年齢なのだ。

 下手をすると、「そんなことはいいから早くここから出て行きなさい」なんて言われちゃうかもしれない。

 ミアは後悔した。変なことを言ってしまったことも、隣に座ってしまったことも、散歩に出てしまったことも、いろいろなことを後悔した。


 何か言われる前に、走って逃げちゃう?


 そんなことをミアが思った、その時。


「あなたは、いい子ですね」

「えっ?」


 院長の言葉に、ミアが驚いて顔を上げた。

 院長の顔に、笑みはない。だけど、いつもの無表情な顔でもない。ミアが今まで見たことのない、何だか不思議な顔を院長はしていた。


「あなたの言う通り、うちの教会は、今お金に余裕がありません」


 院長が、意外にも現状を話し始める。


「知っているとは思いますが、最近寄付をしていただける方が減っています。その上、薬が売れなくなっているのです」

「薬が?」

「そうです。今まで買ってくれていた薬屋さんが、もうほかから仕入れたからと言って、買ってくれなくなりました」

「そんな!」


 大きな声を上げて、ミアが身を乗り出した。


「で、でも、ロロの実の薬なら売れるんじゃないですか? あの薬は、アルミナではうちしか作っていないんですよね?」

「正確には、うちほどたくさん作れるところがないというだけです。少量ながら作っている薬師はいますし、国内や国外を探せば、仕入先はほかにもあるでしょう」


 院長が冷静に答える。

 だが、その答えをミアは冷静に受け止められなかった。


 寄付が減っているっていうのに、薬まで売れなくなっているの?

 あんなに苦労してロロの実を採ってきたのに。

 どうして?


「おかしくないですか? 誰かが意地悪してるとしか思えません!」


 ミアが院長に詰め寄る。


 絶対におかしい!

 そんな意地悪してる人を許せない!


 だが、院長は予想外の反応をした。


「ミア! そんなことを考えてはいけません!」

「だって!」

「この話はもう終わりです。早く戻って寝なさい」


 急に冷たくなった院長の声を、ミアは呆然と聞いていた。


「あなたの気持ちはありがたいと思います。でもあなたは、あなたのできる範囲でお手伝いをしてくれれば結構です。分を越えたことは、くれぐれもしないように」


 立ち上がって背中越しに言う院長の姿は、いつもの毅然とした近寄り難いものだった。

 立ち去っていく院長を、なす術なくミアが見送る。


「どうして……」


 院長の姿が見えなくなった後も、しばらくの間、ミアはそこから動くことができなかった。

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