子供は難しい?

 改めて名乗りを済ませたミナセとフェリシアは、静かになった部屋の中で、アルバートの母親と話をしていた。

 部屋にいた二人の男は、アルバートに同行する護衛だった。代々仕える士族の中から選ばれた、優秀な剣士と魔術師だという。

 同じく部屋にいた女は、アルバートの幼い頃から身の回りの世話をしているメイドで、名前はクロエ。やはり今回の旅の同行者で、クロエの実家がコメリアの森にあった。

 その三人も、そしてアルバートも、今は部屋にいない。出発が取り止めになったため、それぞれの部屋へと引き上げていた。


「こんな格好のままでごめんなさいね。立ち上がると、めまいがしてしまうものだから」

「どうぞお気になさらないでください」


 ベッドの上で弱々しく微笑む母親に、ミナセが答えた。


「すでにご存じだとは思うけれど、エルドアの王は、石が選びます。わたくしのように病弱な者であろうとも、幼子であろうとも、王にふさわしいと石が判断した者が、次代の王となるのです」


 フェリシアが静かに頷く。


「ゆえに一族の者たちは、年齢や性別に関わらず、いつでも王として立てるよう、己を律し、己を磨き続けています。あの子にも、小さい頃からずっとそれを言い続けてきました」


 継承順位というものが存在しない王家。一族の者たちは、血の重さを感じながら生きていた。


「でも、あの子には、少し厳しく接し過ぎたのかもしれません」


 母親がうつむく。


「あの子はいつも、王の一族らしくあろうと振る舞ってきました。大好きだった父親を亡くした時も、わたくしが泣かなかったから、あの子も泣きませんでした。本当は、甘えたかったはずなのに。本当なら、泣きたかったはずなのに……」


 選ばれた血を持つ者たち。

 裏を返せば、それは”普通”ではいられないということだ。


「石があの子を選び、一族の会議であの子を避難させることが決まった後、あの子がわたくしに言ってきたのです。出発するまでの間だけでいいから、わたくしの看病をさせてほしいと。何かあった時にすぐ気付けるよう、一緒の部屋で寝させてほしいと」


 うつむいたまま、母親が続ける。


「八才の子供に、わたくしの看病ができるはずもありません。わたくしと一緒にいたいがための、子供らしい嘘。そんなことは、すぐに分かりました」


 甘えることの許されないアルバートが考えた、精一杯の嘘。

 それを責めることなど、誰にもできはしないだろう。


「わたくしは、胸が痛みました。ですが、それと同じくらい、わたくしは嬉しかったのです」


 母親が、小さく微笑む。


「わたくしは、あの子の申し出を受け入れました。せめてここにいる間だけは、楽しい時間を過ごしてもらいたい。そう思って、あの子との時間を大切にしてきました」


 コメリアの森での生活は、様々な不自由を強いられることになるだろう。たとえ国に戻ってくることができたとしても、アルバートに平穏な日々が待っているとは限らない。

 我が子を想う母の心は、地位も血筋も関係なかった。


「わたくしも、常に体調が悪いということではありませんでした。時々熱が出たり、ふいにめまいがする程度です。だからある時、あの子を安心させるために言ったのです。わたくしの体はもう大丈夫だから、安心してコメリアの森に行きなさいと」


 話し続けていた母親が、口をつぐんだ。

 眉間にかすかなしわを寄せて、小さくため息をつく。


「ところが、間の悪いことに、二日ほど前から熱が出てしまいました。ちょうどそこに、”影”が戻ってきたのです」


 母親が黙る。

 そして、またため息をついた。


「”影”が戻り次第、いつでも出発できるよう、あの子も同行する三人も準備はしていました。あの子が持っていくことになる石も、王宮からこの屋敷に移されていたのです。それなのに、まさかこんなことになるなんて」


 状況は飲み込めた。ミナセもフェリシアも、納得という顔で頷く。


「ミナセさんのおかげであの場は収まりましたが、結局今回のことは、あの子の我が儘でしかないのです。あの子が泣こうが騒ごうが、最後は力ずくでも出発させなければなりません」


 顔を上げ、二人を見つめて母親が言う。


「明日になってもあの子が同じことを言うようなら、強行手段をとります。その時は、どうかお二人も協力してください」

「……かしこまりました」

 

 強い言葉に、どうにかミナセは答えた。隣のフェリシアは、表情を変えることなく、黙って頭を下げていた。



 夕食を終えた二人は、案内された部屋のソファでぼうっとしていた。食事は部屋に運んでもらっていたし、屋敷の中をうろつく訳にもいかなかったので、剣士や魔術師、そしてクロエを含めて、ほかの誰とも顔を合わせることなく今に至っている。


「子供って、大人の思い通りには動いてくれないものなのね」

「まあ、そうだな」


 フェリシアのつぶやきに、ミナセが苦笑する。


「自分に子供ができた時、ちゃんと育てられるか心配になってきたわ」


 さすがのミナセも、それには答えられない。


「だけど」


 ちょっと真顔でフェリシアが言う。


「リリアとかヒューリとかミアだったら、上手にアルバート様とお話ができるのかしら?」


 それにもミナセは答えられなかった。

 ミナセも、アルミナ教会の孤児院にはよく顔を出しているし、子供たちと遊んだこともある。だが、リリアやヒューリ、そしてミアのように、子供たちと上手に接することができているかと言われると、少し自信がなかった。


「フェリシア、子供、苦手なのか?」


 遠慮がちにミナセが聞いてみる。


「苦手なつもりはないのだけれど」


 フェリシアが答えた。


「ミアと二人でロダン公爵のお屋敷に行くとね、ロイ様が、凄く嬉しそうにミアに飛びついていくのよ。でもね、私には全然飛びついてきてくれないの」

「なるほど」

「それとね、アルミナの孤児院に行っても、ヒューリとかリリアにはたくさん子供が寄っていくのに、私のところにはあんまり来てくれないのよねぇ」

「そう、なのか」


 残念そうに話すフェリシアは、しかしそれほど深刻そうには見えない。

 逆に、ミナセの方が落ち込んでいた。


 私も同じだ……


 凛々しく美しい剣士、ミナセ。その姿は人の心を惹きつけてやまないのだが、そんなミナセに子供が寄ってくるかと言えば、それは少し違った。


「子供って難しいのね」


 しみじみと言いながら、フェリシアがため息をつく。


「かもな」


 小さく言って、ミナセもため息をついた。

 すると。


「決めたわ!」


 突然、燃える瞳がミナセを見つめた。


「私、この旅で、アルバート様と仲良くなってみせる!」


 力強い声が部屋に響く。


「私、この旅で、子供と上手にお話できるようになってみせるわ!」


 フェリシアが、拳を握り締め、高らかに謎の宣言をする。

 

「そ、そうか。がんばれよ」


 フェリシアの勢いに圧倒されながら、ミナセが答えた。


 子供と上手に、か……


 輝くアメジストの瞳を見つめ返しながら、漠然とミナセも考え始める。

 その時。


 トントントン


 小さく扉がノックされた。


「はい、どうぞ」


 姿勢を正してミナセが返事をした。フェリシアも、笑顔を作って扉を見つめる。


「失礼いたします」


 声と共に入ってきたのは、アルバートのお付きのメイド、クロエ。

 そして。


「こんな時刻に女性の部屋に入ることを、どうか許してほしい」


 大人びた挨拶だ。しかし、その声は幼い。


「アルバート様!?」


 ミナセとフェリシアが驚いて立ち上がる。


「二人に、詫びを言いに来た」


 目を見開く二人に向かって、クロエのスカートを握ったまま、アルバートが言った。

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