偽物の笑顔
「それが、一ヶ月くらい前のことよ」
フェリシアが、何の悲壮感もない、淡々とした様子で語り終えた。
「だからね、カイルたちから”頼む”って言われた時、困っちゃったの。いっそのこと”やれ”って言ってくれたら、何も迷わなかったのに」
マークもミナセも、ヒューリも黙っていた。正確には、何も言うことができないというのが正しい。
キルグ帝国の名が出た時、ヒューリの表情がこわばるのが分かったが、話が進むにつれ、その表情はまるで違ったものになっていった。
「いろいろ、あったんですね」
マークがどうにか声を絞り出す。
「そうなのかしら? よく分からないわ」
フェリシアも、一般的な生活や暮らしがどういうものかについて、知識としては持っていた。だから、自分の歩んできた道が人と違っているという認識はきちんとある。自分が裏の世界の住人だということも理解していた。
だが、フェリシアにとって、自分の生きてきた世界こそが現実。一般的な生活のほうが、それこそおとぎ話のようなものだ。”いろいろあったんですね”と言われても、フェリシアには答えようがなかった。
「それはそうと」
フェリシアが、急に話題を変える。
「どうして社長さんは、こんなところまでついて来たの?」
フェリシアが、不思議でならないという顔で聞いた。
直感的に、フェリシアは感じていた。
ミナセとヒューリは強い。それも相当に。
だけど。
マークからは、まったく魔力を感じない。その上、何だか掴み所がなくてよく分からない。
でも、強いとは思えない。
二人の付き添いだと言っていたけれど、フェリシアからすれば、ここにいる意味のない人間だ。
「社長さんがいても、何にもできないでしょう?」
ふんわりとした声で厳しいことを言う。
「まあ、その通りです」
苦笑いをしながら、マークが頭を掻いた。
「俺が今回無理を言って連れてきてもらったのは、魔物の異常発生の件が気になったからです」
「そうなの?」
「はい。今回のことは、自然の力ではない、何かの意志を感じます。これがきっかけになって、何か良くないことが起こるんじゃないか。そう思うんです」
「何でも屋の社長が関わることじゃない気がするけれど」
「あははは」
再びマークが苦笑する。
「まあ、そうかもしれないです。でも俺は、自分が関わる範囲を限定するのがあんまり好きじゃありません。できることがあるなら、やってみるべきだって思うんです。今回は、異変が起きている現場に近付くことができるチャンスだと思いました。だから俺はついてきたんです」
マークの表情からは、特に気負ったものを感じない。フェリシアは「ふーん」と言った切り、それ以上何も言わなかった。
フェリシアには、マークの行動が理解できない。貴族でも衛兵でもないただの一般人が、危険な場所にあえて乗り込む。そこに何のメリットも価値も感じない。
変な人。
フェリシアはそう思ったが、すぐにマークのことは意識の外に追い出されていった。
翌日。
漆黒の獣は、早朝から動き出して川を渡った。偵察部隊の報告によると、魔物たちは、前回同様森の中に潜んでいるらしい。
兵士たちは、魔物の動きに注意しながら陣地を構築していった。
地の魔法を活用して、壕を掘り土塁を作る。あらかじめ準備しておいた木材で柵を組み上げる。魔術部隊が魔物を狙い撃ちするための櫓もいくつか作られた。
壕で足止めされた魔物、土塁を乗り越えようとする魔物、そして柵に群がる魔物を魔法で倒していく。
その攻撃を掻い潜って陣地の中に入り込んだ魔物、柵を避けて左右に回り込んできた魔物は歩兵が潰していく。
作戦としては、悪くないと思われる。
後は、想定外の事態さえ起こらなければ。
丸一日掛けて陣地を作り終えた漆黒の獣は、一部の見張りを残して川を渡り、昨夜と同じ場所で夜営を行った。
今夜も隔離されている女性三人が、火を囲んで食事をしている。マークは、兵士たちと話してくると言ってどこかへ歩いていった。
食事をしながら、フェリシアが二人に話し掛ける。
「どうして二人は、今の会社に入ったの?」
フェリシアにとってほとんど初めてと言っていい、自分の意志で出会った人々。探るという意味ではなく、純粋に他人の生き方に興味が湧いていた。
ミナセとヒューリは、互いを見合った後、順番に話を始める。
「私は、社長に声を掛けられたのがきっかけだったかな」
ミナセが、マークにスカウトされた時の様子を語った。
「なんか、タイミングが良かったんだ。修行が行き詰まっていたし、ちょうどお金もなかったしね」
「ふーん。特に大きな理由はなかったのね」
「まあ、そうだね」
ミナセが苦笑いする。
「私は、ミナセに声を掛けてもらったからだよ」
ヒューリが話し始めた。
クランでの出来事、逃亡の日々、山賊との生活。そして、ミナセとの出会い。
「フェリシアがキルグ出身だってのは、気にしてないから」
話し終わったヒューリが気を遣う。
「ありがと」
フェリシアが、軽く笑った。
「まあ、でもねぇ」
がらっと雰囲気を変えて、ヒューリが言う。
「最初は、うちの会社に入るつもりなんて全然なかったんだけどね。ミナセとリリアに引きずり込まれた」
「ほほぉ。ヒューリ、どうやら痛い目を見たいようだな」
「あっ、嘘です! 二人には感謝してます!」
そんなやり取りを、フェリシアは黙って見ている。
やがてフェリシアが、ちょっと真面目な顔で二人に聞いた。
「二人は、今の生活って、楽しい?」
ミナセとヒューリが、再び互いを見合う。
そして、やはりミナセから話し始めた。
「楽しいっていうのも含めて、充実してるって感じかな」
「充実?」
「ああ。剣の修行もできるし、いろいろな経験もできる。前よりはずっと人の気持ちが分かるようになった気がするし、自分の心も強くなったような気がする。自分の成長を実感できてるっていう感じかな」
「ふーん」
フェリシアが、ちょっと考える素振りを見せた。
「ヒューリは?」
「私は毎日が楽しいぞ!」
元気いっぱいの答えだ。
「世の中には知らないことがたくさんある。それをたくさん知ることができる。うちは何でも屋だからな。仕事の幅は無限大、楽しみも無限大だ!」
「ふーん」
フェリシアは、やっぱり考えている。
そして、かなり真面目な顔で言った。
「私には、二人がどうして楽しいって思うのか分からないわ」
「そうなの?」
「そうよ。たしかに二人は、楽しんでいるように見えるわ。二人のやり取りもそうだし、社長さんと三人で話してる時だって、とっても楽しそう。でも」
「でも?」
「自分の成長が楽しいとか、知らないことを知ることが楽しいって、私にもちょっとは分かるけど、でも、それって心から笑えるほど楽しいことだとは思えない」
自分の成長は、たしかに充実感をもたらす。知らないことを知ることは、知識欲を満たしてくれる。
でも、だからといって、自分は二人のように笑えない。
「どうして、そんなに楽しそうに笑えるの?」
真剣な顔でフェリシアが聞いた。
そんなフェリシアを、二人は黙って見つめる。
やがて、ヒューリが答えた。
「たしかに、知らないことを知るってだけじゃあ、すごく楽しいとは思わないかもね。だけど、新しいことを知った時、それをミナセに話すとね、うんうんって聞いてくれるんだ。失敗したことを社長に話すとね、叱られるんだけど、でも最後は頑張れって言ってくれるんだよ」
ヒューリがにこっと笑う。
「そうだな。うちの社員は全部で五人。楽しいことは五倍になるし、つらいことは、五分の一になるって感じかな」
ミナセも笑う。
「みんなと一緒に成長できるから、だから楽しいのかな」
「そうそう! 感動を共有できる仲間がいる。だから楽しいんだよ!」
二人の笑顔は本物だ。
相手を騙すためのものでもない。自分の本心を隠すためのものでもない。
本物の笑顔。
「なるほどね。ちょっとだけ、分かった気がするわ」
フェリシアも笑った。
でもそれは、その場を取り繕うための偽物の笑顔だということを、フェリシア自身よく分かっていた。
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