目覚め

 ようやく落ち着いたフェリシアの肩を、マークが柔らかく抱いている。

 その二人のもとに、カイルとアランがやってきた。


「社長! いったいどうして」

「まあその、何というか、陣中見舞いってやつです」

「何だそりゃ?」


 意味不明な答えに、カイルが呆れる。


「状況は途中の兵士たちから聞きました。ロイ様は助かったようですね」


 状況は、逐一ロダン公爵に報告されている。

 作戦成功を知らせる使者も、すでに出発させていた。


「まあな。だが、ミアが……」


 カイルの言葉で、フェリシアがまた泣き出した。


「フェリシア、よくやったな。お疲れ様」


 優しいマークの言葉に、フェリシアは強く首を振りながら答える。


「いいえ、私は何もできなかった! だってミアが」


 普段のフェリシアを知る人間なら目を見張ることだろう。それほどフェリシアは激しく取り乱していた。

 カイルもアランも、どうしていいか分からずに黙っている。

 そんなフェリシアに、マークが言った。


「フェリシア。ミアのところに案内してくれないか」



 馬車の中は狭い。

 マークとフェリシアだけが中に入り、カイルとアランは外で待っていた。


「ミアは、ずっと眠ったままなのか?」

「はい」


 マークの問いに、蚊の鳴くような声でフェリシアが答えた。

 ミアの顔は真っ白だった。それだけ見れば、とても生きているとは思えない。

 長い間隔を空けて、かすかに動く胸の動きだけがその命を保っている証と言えた。


「限界を超えた時、光と闇の魔法は、術者の生命力を奪って発動するんだったな?」

「そうです」

「それは、具体的にはどういうことなのか分かるか?」

「そこまでは分からないんです。すみません」


 光と闇の魔法の発動については、謎の部分が多かった。フェリシアでなくとも、マークの問いに答えられる者は、この世界におそらくいない。

 フェリシアの背中にそっと手を当てながら、マークはミアを見つめた。

 そして、声を落としながらフェリシアに言った。


「今から俺がすることを、誰にも言わないでくれ」

「えっ?」

「ちょっと試してみたいことがあるんだ。俺の考えが正しければ、ミアを助けることができるかもしれない」

「本当ですか!」

「しっ! 声が大きい」

「すみません」


 思わず声を上げたフェリシアを小声でたしなめて、マークがミアの真横に移る。


「少し下がっていてくれ」

「はい」


 フェリシアがそっと位置を変える。

 マークが、ミアに掛かっていた毛布を外していく。


 いったい何を?


 フェリシアが見つめる先で、マークが両手をミアにかざして集中を始めた。

 それだけを見れば、ヒーラーが治療をしている姿と似ている。だが、マークは魔法を使えないし、現に今も魔力はまったく感じない。

 マークが、ミアの体に触れることなく、その表面を静かになぞり始めた。何かの流れに沿うかのように手を動かし続ける。

 その動きが、止まった。


「これは厳しいか」


 マークが言った。

 フェリシアの心臓が不安で締め付けられる。


「社長……」


 背中越しにフェリシアが呼び掛けるが、マークはフェリシアを振り向かなかった。

 目を閉じて、マークが呼吸を整える。深く呼吸をしながら、ふいにマークが言った。


「イシュタル。近くにいるのなら、俺に力を貸してくれ」


 フェリシアには理解できない謎の言葉をつぶやいて、マークがゆっくりと目を開いた。

 そして再びミアに手をかざすと、先ほどと同じようにその手を動かし始めた。


 マークが集中する。手を止めることなく、ミアの体をなぞり続ける。

 その手から、何かが出ているようには思えない。相変わらず魔力は感じないし、目に見える何かが起きている訳でもない。

 だがフェリシアは、たしかにそこに”何か”を感じていた。魔力でも光でもない、何か。

 さらに。


 暑いわ


 そう。馬車の中が暑い。

 熱源がマークなのか、ミアなのかは分からない。しかし、明らかに馬車の中の温度が上がっていた。


 マークの手は止まらない。

 その額にはうっすらと汗が滲んでいる。

 ふと、フェリシアがミアの顔を見た。


 血色がよくなっている!?


 身を乗り出して、もう一度ミアを見る。


 呼吸が戻っている!


 長い間隔をおいて小さく動くのみだった胸が、大きく、一定のリズムで動き出していた。


「社長、ミアが!」


 驚きと歓喜の混ざった声で、フェリシアが小さく叫ぶ。


「静かに」


 再びマークにたしなめられるが、フェリシアの興奮は収まらなかった。


 光と闇の魔法は、限界を超えて発動する。足りない魔力を、術者の生命力で補って発動する。生命力を奪われた体は、その機能を停止させ、死に至る。

 ミアが今まで生きていることだけでも奇跡に近かった。

 その奇跡のような状態に、今度は本物の奇跡が起きた。


「ふぅ」


 マークが、体を起こして大きく息をつく。


「社長……」


 フェリシアに背中を向けたままで、マークが説明した。


「ミアは、全身を巡って体を維持するための、命の源のような力が弱まっていた」

「命の源?」

「そうだ。だから、それを補って、うまく体中を巡るようにしたんだ」

「魔力ではなくて?」

「魔力とは違う、誰もが持つ普遍のエネルギーってところかな。俺も治療は専門外だったけど、うまくいってよかったよ」

「じゃあ、ミアは……」

「たぶん、これで回復すると思う。もう大丈夫だ」


 もう大丈夫


 その言葉を聞いて、フェリシアの目から涙が溢れ出す。


「社長!」


 フェリシアが、マークの背中に抱き付いた。


「まったく。フェリシア、泣き過ぎだ」

「だって、だって……」


 広い背中にフェリシアが顔を押し付ける。

 そのフェリシアの手をそっと握って、マークが言った。


「フェリシア。左腕のケガ、ちゃんと治してもらうんだぞ」


 フェリシアは泣いた。

 嬉しくて、幸せで、涙が止まらなかった。



 フェリシアにもう一度念を押し、カイルとアランにさらっと挨拶をした後、マークは再び風のように帰って行った。

 唖然とする二人が、我に返ってフェリシアを問い詰める。


「社長はいったい何しに来たんだ?」

「そうねぇ。ミアのお見舞いっていうところじゃないかしら」

「馬車の中で、何をしてた?」

「二人でお祈りをしていたのよ。ミアの回復を願って」

「フェリシア。お前、何か隠してるだろ?」

「あらいやだ。私、何にも隠してなんかいないわよ」


 二人の問いに、フェリシアはさらさらと答える。

 その顔は、つい先ほどまでとは別人のように晴れやかで、そして嬉しそうだった。



 翌朝。


 誰かが髪を撫でている。

 すごく気持ちがいい。

 その手は暖かくて、とても優しい。

 そう言えば、小さい頃、院長先生にねだってずっと頭を撫でてもらってたっけ。

 院長先生に褒めてもらいたくて、頭を撫でてもらいたくて、一生懸命魔法の練習をしたんだ。


「あなたは、きっとすごいヒーラーになるわよ」


 院長先生が言ってくれた。

 私の魔法、ちょっとは進歩したのかな?

 私の魔法は、院長先生みたいに誰かの役に立っているのかな?


 誰かの……

 誰か……?


 目を、ゆっくりと開ける。目の前に誰かがいる。

 その人が、微笑みながら自分に向かって言った。


「おはよう」


 おはよう?

 今は朝?

 私、眠ってたんだ。そろそろ起きなきゃ


 まばたきをして、もう一度目の前の人を見る。


「フェリシアさん?」

「うふふ。寝ぼけているのね」


 目の前にいるのは、フェリシアだ。

 相変わらずの美しい顔で自分を見つめている。


 手を伸ばすと、フェリシアがそれを握ってくれた。

 柔らかくて心地いい。


 もうちょっと寝ちゃおうかな


 再び沈み始めた意識に、意地悪な声が呼び掛けた。


「こら、いい加減に起きなさい」


 もう。せっかく気持ちよくなってきたのに

 あと少しだけ……


「こら、起きろ!」


 ほっぺたをつままれて、ついにミアは目を覚ました。


「フェリシアさん!」

「そうよ、私よ」


 その途端、ミアが跳ね起きる。


「ロイ様は!?」


 そう叫んで、だがミアは、再びベッドに倒れ込んだ。頭がクラクラして体に力が入らない。

 ミアに毛布を掛け直しながら、フェリシアが言った。


「ロイ様なら大丈夫よ。あなたのおかげで、今は回復に向かっているわ」

「ほんとですか!?」

「ええ、本当よ」

「良かったぁ」


 ミアが、ホッとしたように息を吐き出した。そんなミアの頭を、フェリシアが柔らかく撫でる。


「あなたは、本当にすごい子ね」

「えへへ」


 ミアが照れくさそうに笑う。


「さあ、そろそろ……」

「いーやーですぅ、もっとぉ」


 子供のように駄々をこねるミアに、フェリシアは思わず笑ってしまった。


「まったく、仕方がない子ね」

「えへへ」


 ミアは、頭を撫でられながら気持ち良さそうに目を閉じている。

 とても幸せそうに、とても無邪気に、ミアは微笑んでいた。

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