圧倒
「あれが神の鎧か」
「どうしますか?」
押し寄せる大軍を冷静に観察するマークに、ミナセもまた冷静に聞いた。
「そうだな」
わずかな沈黙の後、マークが素早く指示を出す。
皆が頷く中で、フェリシアが珍しく異議を唱えた。
「相手はあのキルグです。その方法では、後々面倒なことになるのではないでしょうか」
フェリシアの目は真剣だ。
その目を見ながら、マークが答えた。
「たしかにな。だがまあ、そこは俺に任せてくれ」
「……分かりました」
穏やかに言われて、フェリシアもそれ以上は何も言えなかった。
そうこうしているうちに、キルグの軍が急接近してくる。
マークがシンシアを見た。
「頼む」
「分かった」
シンシアが一歩前に出る。目を閉じて、マークに言われたことをイメージする。
そして。
「お願い!」
シンシアが大きな声を上げた。
ゴゴゴッ!
敵軍の幅いっぱいに、高さ五十センチの壁が立ち上がる。
たかが五十センチ。しかし、突如として現れたその壁に馬たちは驚き、そして急停止した。
「何だ!?」
騎乗の兵が、落馬を免れようと必死に手綱を握る。
そこに後続の騎兵が押し寄せる。
キルグの軍が混乱に陥った。
すると、またもやシンシアの声がした。
「お願い!」
騎兵がひしめく大地が、今度は不規則に隆起を始める。
連続して起こった超自然現象に、馬は恐慌に陥った。
「うわあぁっ!」
狂ったように暴れ回る馬から、兵士たちが次々と振り落とされる。
「くそっ!」
見事な手綱さばきで落馬を免れた皇太子も、混乱する人馬の中で動きが取れなくなってしまった。
唇を噛みながら、皇太子が前を見る。その目に映るのは、一人の少女。
詠唱もなしに、術者から離れた場所にこれだけの現象を起こせる存在。
「やつも精霊使いだというのか!」
静かにこちらを見ている少女を、皇太子が睨み付ける。
その皇太子のもとに、参謀が駆け寄ってきた。
「殿下、一度引いてください!」
切羽詰まった声を、だが皇太子は振り向かない。
「どんなに不利な状況でも、神の鎧は必ず……!」
声を張り上げる皇太子が、宙を見て、動きを止めた。
晴れ渡る青い空。そこに、一人の女が浮かんでいた。
その女の、さらに上。
「何だあれは?」
兵士たちがざわつき始める。
「まずい!」
参謀が叫んだ。
その目が捉えたのは、半径百メートルはあろうかという真っ黒い雲。青空の中に発生した、異常に不自然な現象。
「全員、雲の下から逃げろ!」
大きな声を上げ、皇太子の馬の手綱を強引に引っ張りながら、参謀が必死に後退する。
「貴様、何をする!」
「風の第五階梯です! 雲の下の兵が全滅します!」
皇太子が目を見開く。
参謀の目は血走っている。
「逃げろ!」
兵士たちが逃げ出した。馬を捨て、武器を捨て、段差を乗り越えて後方へと走る。
捨てられた馬が、捨てた兵士を蹴散らしながら逃げていく。
その混乱を空から見下ろしていた女が、小さくつぶやいた。
「とっくに詠唱は終わっているのよ。発動を抑えるのも大変なんだから、早く逃げなさいよ」
その顔は、ちょっと不機嫌だ。
バチバチと不気味な音を立てる雲の下で、女は待った。
そして、眼下の兵がいなくなる。
「じゃあいくわよ!」
女が、満を持して叫ぶ。
「サンダーバースト!」
空中を無数の稲妻が走った。それが、一斉に大地を直撃する。
ズドドドドドーーーーン!
大地を揺るがす轟音が響き渡った。
「うわあっ!」
稲妻が地面を抉り、破片を周囲にまき散らす。兵士の体を大量の砂礫が打った。頭を抱え、うずくまりながら、兵士たちは己の無事をただただ祈り続けた。
やがて爆風が収まる。黒雲も、嘘のように消えていた。
「ま、こんなものかしら」
にこりと笑って、女が地面に降り立つ。
女の計算通り、死人は一人もいなかった。重傷者もいなかった。
兵士たちがゴソゴソと動き出す。
「た、助かったのか?」
呆然と周囲を眺め、真っ青な顔で互いの無事を確認する。
「あやつ、わざと……」
皇太子が歯ぎしりをした。
自分たちが元いた場所は、天変地異でも起きたかのように滅茶苦茶になっている。それなのに、そこに兵士の死体は一つもなかった。
稲妻の光と音に驚いた愛馬は、皇太子を振り落として、すでにどこかへと走り去っていた。
周りにいる兵士たちは、すでに戦意など欠片もない。
「こんな馬鹿なことが……」
皇太子が唇を噛む。焼けた大地に、微笑みながら立っている美しい女を睨む。
そこに、二人の男が駆け寄ってきた。
「殿下!」
「ご無事で!」
キルグ随一の槍使いと、キルグ最強の斧使い。
大隊長と兵士長の二人が、後方から駆け付けてきた。
「おお、お前たち」
歴戦の勇士の姿を見て、皇太子が力を取り戻す。
「お下がりください。敵がすぐそこに!」
「奴らは我らが引き受けます!」
言われて初めて皇太子は気が付いた。
二人の女が、こちらに向かって歩いてきている。
一人は、黒髪の美しい女。
その女は、見たことのない細身の剣を持っていた。
一人は、栗色の髪の愛らしい少女。
その少女は、体とまったく釣り合わない大きな剣を持っていた。
「武器の勝負なら負けはせぬ!」
「女だろうと手加減なし!」
大隊長が、美しく輝く槍を構えた。
兵士長が、鈍く光る戦斧を構えた。
それを見て、黒髪の女が小さく言う。
「私は槍をやる。リリアは斧だ」
「分かりました」
二人が走り出した。
二人の男がそれを迎え撃つ。
穂先の照準をピタリと合わせ、大隊長が雄叫びを上げた。
「アダマンタイトの盾をも貫く秘宝の槍。キルグ随一と言われた神速の突きを受けてみよ!」
斧刃をブォンと振り上げて、兵士長が咆哮を上げた。
「オリハルコンより作られし自慢の戦斧。見かけ倒しの大剣もろとも真っ二つにしてくれるわ!」
槍と斧が、同時に動いた。
黒髪の女に、神速と豪語する槍が襲い掛かる。
瞬間、白銀の光が煌めいた。
「なにっ!」
槍は、女に届かなかった。
受け止められたのではなかった。かわされたのでもなかった。
握り締める柄から先に、槍がない。
地面に転がる数本の棒と、二つに切断された秘宝の穂先。
「それで神速とは、笑わせる」
冷たい声がした。
「それとも、お前の国の神は、そんなにのんびりしているのか?」
大隊長が、膝をついた。
「そんな……」
震えながら、大隊長は槍だった物を見つめた。
その隣では、大きな体が立ち尽くしている。
「なんで?」
呆然と、はるか遠くまで吹き飛んでいった自慢の戦斧を見る。
「あなたの攻撃は、雑過ぎます」
可愛らしい声が聞こえた。
「それでは、何回戦っても私には勝てません」
膝をつく男と、立ち尽くす男。
それを、キルグの兵士たちが見ていた。
「うそだ」
全員が目を見張っていた。
「あの二人が子供扱いだと!?」
皇太子の声は掠れていた。
「で、殿下、は、早く……」
参謀が、皇太子の腕を引く。
そこに、またもや敵が現れた。
「さあ、仕上げといこうか!」
驚くほど近くで声がする。
赤い髪の美しい女が、わずか数歩先にいた。
後ずさる皇太子に笑みを見せながら、女が軽く手を上げる。女の後方にいた精霊使いの少女が頷く。
ゴゴゴゴッ!
またもや地面が隆起を始めた。
皇太子と、赤髪の女がいる周囲数メートルの地面が盛り上がっていく。
突然の出来事に、皇太子がへたり込んだ。参謀が、隆起する斜面を転がり落ちていく。
やがて隆起が止まった。
高さ五メートルの舞台。全兵士から見えるその舞台の上で、赤髪が言った。
「神の鎧殿、私と勝負していただけますか?」
「おのれ!」
馬鹿にしたような言葉に、皇太子が弾かれたように立ち上がる。
「愚か者め、神の鎧と知って我に挑むか!」
剣を抜いて、皇太子が女を睨んだ。
睨まれた女が、表情を引き締めて、剣を抜く。
一つの鞘から、二本の剣を抜いた。
「何だ、あの剣は!?」
舞台の周りにどよめきが起きた。
皇太子の目も、その剣に釘付けになった。
紅い光を放つ一筋の剣。それは、まるで炎のように揺らめいて見えた。
青白い光を放つ一筋の剣。それは、まるで氷のように透き通って見えた。
そんな剣は、見たことも聞いたこともなかった。
それは、どんな秘宝とも違う妖しい気配を放っていた。
「ど、どんな武器であろうと、わしを傷付けることなどできはせん!」
皇太子が剣を振り上げる。
「神の鎧は無敵なり!」
叫びながら、剣を振り下ろした。
それを、交差する二本の剣が受け止めた。
「まったく、剣の腕は三流だな」
ため息をつきながら、女が体を逃がしていく。
皇太子がよろめいた。同時に、二本の剣が皇太子の剣を叩き落とす。
「貴様!」
刹那。
「やあぁっ!」
裂帛の気合いとともに、真っ正面から、双剣が皇太子の両肩を打った。
右の肩には炎の剣。
左の肩には氷の剣。
衝撃で、皇太子が思わず膝をつく。
しかし、体のどこにも痛みは感じない。
「はっはっは! どんな武器もこの鎧には通用せん!」
二本の剣に押さえつけられながら、それでも皇太子は、顔を上げて叫ぶ。
「神より与えられし至高の神器。神の鎧は無敵……」
ピキッ!
ふいに、小さな音がした。
「……え?」
皇太子が動きを止める。
ピキピキッ!
してはならない音がした。
皇太子が、自分の肩を見る。
奇妙な音が続く中で、女が話し始めた。
「人に七つの神器を与えた後、神様は後悔したんだと」
静かに女が語る。
「神器の使い方は、人次第。それが、どうやら正しく使う人間が少なかったみたいでね」
皇太子が女を見上げる。
「だから、神様は新しい武器を作った。それをある一族に与えて、神器を監視させたんだそうだ」
「まさか、神殺し!」
皇太子が目を見開いた。
「なんだ、知ってるんじゃん。そう、神殺し」
女が両腕に力を込める。
神の鎧が軋んでいく。
「まあ、私も初めて使うから、どうなるのかは知らなかったんだけどね」
ピキピキピキッ!
鎧が割れ始めた。
鎧の光が失われていく。
「最後は、こうなるんだねぇ」
パーン!
神の鎧が弾けた。
どんな武器もはじき返す無敵の鎧が、砕け散った。
声が出なかった。
思考も止まっていた。
皇太子は、かがんだまま、廃人のように地面を見つめていた。
その目の前で、二本の剣も輝きを失っていく。
二つの剣の柄頭から、小さな石が剥がれ落ちた。その石を拾ってポケットにしまい、剣を鞘に収めると、女が言う。
「私の役目はここまでだ。社長、あとはお任せです」
動かない皇太子を放置して、女は斜面をすべり下りていった。
「神の鎧が……」
参謀が、大隊長が、兵士長が舞台を見つめる。
五万の兵士が、鎧を失った皇太子を見つめる。
そこに、また敵が現れた。
それは男。黒い瞳と黒い髪の不思議な男。
「お願い」
精霊使いの少女の声で階段ができる。
その階段をゆっくりと登り、舞台の上に立った男は、膝をついたまま動かない皇太子の後ろに立つと、その首を掴んだ。
そして。
「あっ!」
五万の兵士が声を上げた。
「うそっ!?」
舞台の下で、赤髪の女が目を丸くした。
ほかの社員たちは声もない。
社員たちと、五万の兵士の視線の先。五メートルの高さの舞台の上で、男は、皇太子の体を、片手一本だけで持ち上げていた。
皇太子が意識を取り戻す。驚きと首の痛みで呻き声を上げるが、そんなことで男は力を緩めることはない。
足をバタつかせてもがく皇太子を兵士たちに見せつけながら、男が叫んだ。
「我が名はマーク! エム商会のマーク!」
周囲に響き渡る声で男が叫んだ。
「魔物の軍も、精鋭と呼ばれる兵も、神器ですらも、我らの敵ではない!」
男の声が、兵士たちを圧倒する。
「今日の敗戦を心に刻め! 神器が破壊されたその様を忘れるな!」
男の声が、兵士たちの心を圧倒していく。
「即刻この国から立ち去るがよい! そして、二度とこの地に足を踏み入れるな! もしまたキルグが攻め込んで来たならば」
そう言うと、男は皇太子の体を放り投げた。
ゴロゴロと転がり落ちるその体を、参謀がどうにか受け止める。
それを見ることもなく、男が言った。
兵士たちに向かって、男が宣言した。
「我らが、全力でキルグを潰す!」
瞬間、男の体からとんでもない気が放たれる。
それは、殺気。体を貫き、心を穿つ、とてつもない殺気。
五万の兵が震えた。
社員たちでさえも体を震わせた。
「ば、化け物……」
誰の声かは分からない。
しかしそれは、そこにいる全ての兵士に恐怖を目覚めさせた。
「うわあぁっ!」
全員が走り出した。
武器を捨て、旗を捨てて兵士たちは走った。
「ま、待ってくれ!」
腰が抜けて動けない皇太子が、参謀の足を掴む。
「放せ!」
その手を反対の足で蹴り飛ばして、参謀も逃げた。
「待って……待ってくれ……」
皇太子が、這うようにして参謀を追う。
それを舞台から見ていた男は、大きく息を吐き出して殺気を収めると、ゆっくり階段を下りていった。
砦からそれを見ていた老人が、掠れた声でつぶやいた。
「あの男は、一体何者なのだ」
この後、キルグの軍勢は雪崩を打ったように撤退していった。逃げていく侵略者たちに教団の教祖は驚き、そして必死に追い縋ったが、軍の参謀は、教祖を蹴り倒してこう言ったという。
「作戦は失敗だ。教団はお前の好きにするがいい」
この日以降、エルドアで教祖の姿を見たものはいない。
エルドアの脅威は去った。
しかしこの時、エルドアの北の国を、建国以来最大の危機が襲っていた。
参謀の言っていた”もう一つの作戦”。それが発動されたことを、遠く離れた南の地にいるマークたちが知る由もなかった。
第十七章 了
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