ザナン
「わしはザナン。お前の言う通り、ダナンの兄だよ」
マークが頷き、そして名乗る。
「俺はマークと言います。ここにいるのはうちの社員たちで……」
「知っておるよ」
マークの言葉をザナンが遮った。
「アルミナの何でも屋、エム商会。カミュ公爵の天敵だろう?」
今度はマークが驚いた。
「天敵のつもりはないのですが……」
「お前たちは、奴をとことん苦しめていたのだぞ。そして結局、奴の野望は見事に打ち砕かれてしまったわい」
「野望?」
マークが首を傾げる。
「そうだ。奴は、王を殺して自分がイルカナを治めるつもりだったのだ。だが、反乱は見事に失敗した。今頃奴は、牢の中で呆然としていることだろうよ」
「そう、でしたか」
カミュ公爵の反乱。それが起きる可能性を、マークも考えてはいた。
とは言え、確信があった訳ではない。それでもマークは、反乱を含めて、イルカナに良くないことが起きた時のための布石をいくつか打っておいた。
それが功を奏したのか、どうやらイルカナの平和は守られたようだ。
「それだけではない。おぬしらは、わしの邪魔までしてくれおった」
「あなたの邪魔を?」
再びマークが首を傾げる。
「混乱したエルドアをキルグが攻め取り、最後にそれをわしがいただく。そしてわしは、自由な研究環境と豊富な実験材料を手に入れる。何年も掛けて進めてきた計画が、全部水の泡になってしまったわ」
そう言うザナンの声に、だが不思議と怒りや悔しさは感じられない。
「二万の魔物と五万の軍勢。それを、たったの七人で壊滅させるとは、さすがのわしも予想できなかったぞ。おまけに、神の鎧まで破壊したらしいではないか」
ザナンの声は、なぜか嬉しそうだ。
「ぜひ教えてくれないか。どうやって魔物たちを倒したのだ? どうやってキルグの軍勢を追い払ったのだ? どうやって神の鎧を破壊したのだ? 伝説の神殺しでも使ったのか?」
ザナンが、一歩前に出る。
「そこの紫の髪の女がやったのか? おぬし、もしや人の限界を超えて……」
フェリシアに近付こうとするザナンの前に、マークが立ち塞がった。
慌ててその前に出ようとするミナセを手で制して、マークが言う。
「魔物を倒したのは、ミアです。第五階梯の魔法で魔物を全滅させました」
「ほほう、第五階梯か」
ザナンが今度はミアを見る。
「わしの知る限り、二万の魔物を一撃で倒せる魔法はない。いったいどんな魔法を使ったのだ? 第五階梯の連続使用でもしたのか?」
ミアに向かって身を乗り出す。
ミアが、顔を引き攣らせながら後ずさった。
「それに答える前に、いくつか教えていただきたい」
鋭い声で、マークが言った。
残念そうに肩を落として、ザナンがマークを見る。
「おぬしの問いに答えたら、ちゃんと教えてくれるのだろうな?」
「もちろんです」
「神の鎧の壊し方も教えてくれるか?」
「いいでしょう」
即答のマークに、仮面が笑った。
「ならば、何でも聞くがよい。わしは隠し事などせんからな」
「では質問です」
間髪入れずにマークが質問を始めた。
「エルドアにある三つの強い霊力場。それは、南東の荒れ地と北西の山間部、そして、この盆地で間違いないですか?」
「間違いないぞ」
「この盆地にある奇妙な山は、霊力の流れを制御するためにあなたが作ったものですか?」
「うむ、そうだな」
迷いなくザナンが答える。
「魔物を意図的に作り出すには、霊力の集まる場所と、そこに描かれた魔法陣、そして精霊使いの存在が必要。そのどれが欠けても魔物は作れない。それでいいですか?」
「それは正確ではないな。必要なのは、強い霊力と、研究に研究を重ねた魔法陣、そして、魔物の生成過程を熟知した精霊使い。それが揃わない限り、まともな魔物は作れんよ」
得意げにザナンが笑う。
それに取り合うことなくマークが続けた。
「エルドアで流行した奇妙な病。それを広めたのはあなたですね」
「その通り。エルドア南部のいくつかの水源に、特製の毒を流したのだ。あの毒は、我ながら見事な出来栄えだったな」
「治療薬はあるのですか?」
「あるぞ。水かお茶にでも混ぜて飲めば、二、三度服用するだけで回復するよう作ってある。教団の者たちが、説法をする前に患者に飲ませていたはずだ。気持ちが落ち着くからと言ってな」
それを聞いて、ミナセが眉間にしわを寄せた。
以前話を聞いた行商人は、一度目の話で熱が下がり、二度目で体が軽くなり、三度目で病魔が退散すると言っていた。しかし、病気が治ったのは説法のおかげではなく、患者に飲ませていたお茶の効果だったのだ。
「説法を聞くと、誰もが幸せな気分になったと聞きました。それにも仕掛けがあるのですか?」
ミナセをチラリと見て、マークが聞いた。
「もちろんだ。道場で炊くお香で気分を高揚させ、僧侶が唱える呪文で心を操る。キルグがよく使う術だが、それを編み出したのは、何を隠そうこのわしだ」
胸を反らしてザナンが答える。
「それを長期間受け続けた場合、人にはどんな影響が?」
「そうだな。個人差もあるが、いずれは頭がおかしくなるか、心が壊れて普通には生きられなくだろう。だがまあ、残念ながら教団は壊滅状態だからな。今壊れずにいる人間は、そのうち元に戻るだろうよ」
それを聞いて、マークは小さく息を吐き出した。
そして続ける。
「先ほどあなたは、カミュ公爵の反乱が失敗したと言いました。あなたは、それを見ていたのですか?」
「見ていたぞ。せっかくわしが、子供たちを使ってイルカナ軍を引きつけておいてやったのに、奴め見事に失敗しおった」
ザナンの答えに、マークの顔が引き締まる。
「あなたの子供たちというのは、魔物のことですか?」
「その通り」
「魔物と、イルカナ軍が戦ったのですか?」
「この盆地で作った小型種と、北西の牧場で育てた飛翔種や大型種、およそ十万。大小いろいろ取り揃えて、南から攻め上がったのだよ。それだけいれば楽に勝てると思ったのだが、いやはや、人間どもはじつによく耐えておったわ」
楽しそうなザナンの声に、マークの眉がピクリと動いた。
「人間たち……イルカナ軍は、どうなったのですか?」
低い声で問う。
「人間どもの陣地の周りにあった土塁や泥地をな、全部更地に変えてやったのだ。その上で、子供たちに四方から攻めさせた。どう考えても我らが勝つと思ったのだが」
残念そうに、ザナンが答えた。
「突然現れた援軍のせいで、子供たちは全滅してしまった。何もかもが想定外で、もはや笑うしかなかったぞ」
大げさにザナンが天を仰ぐ。
マークが、ホッとしたように表情を緩めた。
「計画は、振り出しに戻るどころか再起不能だ。キルグは神の鎧を失い、イルカナもエルドアも、いずれ秩序を取り戻すに違いない。この地域では、もう何もできなくなってしまったわ」
ザナンが嘆く。
「だが」
ザナンが拳を握った。
「魔物の生成方法は完全に理解した。霊力の集まる場所さえあれば、どんな魔物でも作ることができるし、その制御も可能となった」
誇らしげにザナンが語る。
「もう一つの研究も、この数十年で大きく前進しておる。長年取り組んできた二つの課題も、ようやく終わりが見えてきたのだ」
高揚したまま話し続けるザナンに、冷たい声が問うた。
「もう一つの研究というのは、永遠の命を手に入れることですか?」
ぞっとするような低い声。
それに、陽気な声が答える。
「そうだ。ダナンの体は、制約が多くて話にならんからな。やはり、理想はわしの体だ。この体を誰もが手に入れられるようにする。それが今の大きな目標だ」
「その研究は、この盆地で行われたのですね?」
「ここは理想の研究場所だ。強い霊力に加えて、豊富な実験材料があったからな」
「実験材料?」
マークがつぶやいたその時、先ほどのアンデッドたちが、ゆらゆらと家から出てきた。
それを七人が見る。
その視線に気が付いて、ザナンもアンデッドたちを見た。
「あやつら、まだ探しているのか」
「探す? いったい彼らは、何を探しているのですか?」
マークに聞かれて、ザナンが笑った。
「子供だよ。あの夫婦の子供だ」
何でもないことのようにザナンが答える。
「リッチになるためには、生きたいという強い意志が必要なのだ。だからわしは、あの親子を、同じ部屋で三人並べて施術した。生き残ればまた一緒に暮らせる。だから頑張れと励ましながらな」
マークの目が広がっていく。
「あの施術には、恐ろしい激痛が伴う。それなのに、施術中、あやつらはずっと互いの名を呼び合っておった。あれには、久し振りにわしも感動したぞ」
マークが目を閉じる。
「残念ながら、子供は死んでしまった。しかし、あの夫婦は見事に生き残った。あの夫婦は、魔石を体に埋め込むこともなく、定期的な補修も必要とせずに、十年近くもああして動いているのだ」
「十年……」
「まあ、心は完全に壊れておるからな。親子が住んでいた家と、子供がよく行っていたという祖父の家の間をただただ往復しておるだけだ。とても成功とは言えぬが、当時としてはなかなか画期的な事例だったな」
ザナンの舌は止まらない。
「しかし、さすがにそろそろ限界とみえる。二人とも、肉がだいぶ腐ってきおった」
残念そうにため息をつく。
「リッチの体を支えるのは魔力だ。普通の人間が、魔力を消費しても自然と回復するように、リッチの魔力も普通は回復する。だが、半端者は魔力の回復が遅い。あの二人は、あれでよくもった方だろう」
ようやく口を閉じたザナンに、マークが聞いた。
「あの二人のように、彷徨い続けている人たちはほかにもいるのですか?」
「二、三十人はいると思うぞ。結果が良好な者たちは施設に留めてあるが、失敗作は、すべて外に捨てている。その中でも動ける者たちは、自分の家に帰ろうとしたり、何かを探してウロウロし出すことが多いからな」
平然と答えるザナンに、重ねてマークが聞く。
「あなたは、いったいどれほどの人に施術を行ったのですか?」
ザナンが、やはり平然と答えた。
「そんなもの、覚えておらんわ。だが、この盆地に住んでいた人間はすべて実験に使ったからな。まあ、それなりの数にはなるだろう」
「ふざけるな!」
突然ミナセが叫んだ。
「貴様は……貴様は!」
あまりの怒りに、それ以上言葉が出てこない。
ザナンが、馬鹿にしたようにミナセを見た。
「わしの研究が完成すれば、誰もが永遠の命を手に入れられるのだ。そんな素晴らしい世界を手に入れるために、多少の犠牲は必要だろう? 本当にお前は小さな人間なのだな」
瞬間。
「うおぉぉっ!」
ミナセではない。
それは、赤い閃光。
「やめろ!」
ミナセが叫んだ。
「殺す!」
ヒューリが叫んだ。
風が疾る。双剣が煌めく。
ドガッ!
鈍い音がした。
「ぐあっ!」
ヒューリが、弾かれた。見えない壁に頭からぶち当たり、衝撃で、気を失ってどさりと地面に横たわる。
「ヒューリさん!」
「ヒューリ!」
リリアとシンシアがヒューリに駆け寄って、引きずりながらその体をザナンから引き離した。
ミアが即座に傷を確認し、魔法を発動する。
ヒューリの目がゆっくりと開いていった。意識が戻ったヒューリが、頭を押さえながら体を起こす。
直後。
「許さない!」
またもや鋭い声が聞こえた。
その右手に強力な魔力が集約されていく。制御できない激しい怒りが、魔力の塊となってその右手から放たれた。
だが。
ヒュン……
忽然と、魔力の塊が消えた。
嘘のように、膨大な魔力が消え去った。
フェリシアが目を見開く。
「剣はともかく、わしに攻撃魔法は効かんよ。ダナンを知っているお前たちなら、と言うより、精霊使いと一緒にいるお前たちなら、そんなことくらい分かっているだろう?」
ザナンが言う。
「それとも、わしが言葉を発することなくシールドを発現させたり、無言で魔法を打ち消したりしたことに驚いているのかな?」
フェリシアの後ろのシンシアを見ながら、ザナンが笑った。
「魔術師が、無詠唱で魔法を発動するのと同じだよ。心の中で”命じる”だけでも、精霊使いの力は使える。まあ、経験の違いという奴じゃな」
シンシアは、精霊に”お願い”をする。
ザナンは、精霊に”命令”する。
同じ精霊使いでも、精霊への向き合い方は違った。
「未熟な精霊使いよ。お前に一つ、質問をしよう」
楽しそうにザナンが言った。
「お前とわしが、この距離で同時に違うことを精霊に命じた時、周囲の精霊たちは、果たしてどちらに従うと思う?」
シンシアが、うつむいて考える。
だが、シンシアの答えをザナンは待たなかった。
「精霊に感情というものはない。好き嫌いという概念などない。奴らは、ただ我らの意志に反応するだけだ」
シンシアが顔を上げた。
「精霊は、より強い意志と、より強いイメージに反応する。ダナンと二人で何度も試したからな、間違いない。で、先程の答えだが」
シンシアに一言も言わせずに、ザナンが答えを言った。
「精霊たちは、わしに従う。長年鍛え上げてきたわしの意志の力、イメージする力は、未熟なお前とは比較にならん。わしに勝てる者があるとすれば、それは弟のダナンだけだろうよ」
勝ち誇ったように、ザナンがシンシアを見下ろした。
シンシアが悔しそうに唇を噛む。
シンシアだけではなかった。ミナセもリリアも、フェリシアもミアも、悔しそうに唇を噛み、あるいは拳を握っていた。
無敵のエム商会。
社員たちは、これまで常に敵を圧倒してきた。その力は、持って生まれた才能や能力を、必死になって磨いて手に入れたものだった。
その力も、努力も、経験も、すべてが通用しない。
社員全員が揃っているのに、勝つ方法がまるで見付からなかった。
「そんなに悔しがる必要はないだろう」
みんなの心を見透かしたようにザナンが言う。
「わしは、百年精霊使いをやっておる。その間ずっと研究を続け、己の力を磨き続けてきたのだ。そんなわしから見れば、お前たちなどただの小娘に過ぎん。ましてや、一度も戦ったことのないお前たちの社長など、小僧以下の存在だ」
当然のことのようにザナンが言う。
「だが、そうだな」
ふと、ザナンが顎に手を当てて考え込んだ。
その視線が、フェリシアとシンシアに注がれる。
「わしが何年己を磨いたとしても、わしにはできぬことがある」
その視線が、ぴたりとフェリシアに据えられた。
「紫の髪の女よ。おぬし、ダナンからノートを託されなかったか?」
「!」
ピクリとフェリシアが震えた。
「やはりな。奴ならそうすると思ったぞ。何と言ってもお前は……」
なぜか、そこでザナンの言葉が途切れた。
「お前は……彼女の……」
饒舌だったザナンが、突如として断片的な物言いになる。
フェリシアが首を傾げた。
不思議な沈黙が訪れる。
やがて。
「そのノートには、人の限界を超える方法が書いてあったはずだ」
軽く頭を振って、何事もなかったかのようにザナンが話し始めた。
「若い頃、わしら兄弟は、その方法についてずいぶん研究をした。そして、一つの可能性を見出した」
シンシアを見て、視線は再びフェリシアへ。
「紫の髪の女よ。おぬしに、それを実現する機会をやろう」
「機会?」
フェリシアが、探るようにザナンを見る。
ザナンが何を言っているのか、みんなには理解できなかった。しかしフェリシアは、何も分からないということではないようだ。
「わしは、これからこの盆地にあるすべての魔法陣を回って、一斉に魔物を作ろうと思う」
「何だと!?」
ミナセが声を上げた。
「その数は、そうだな。おそらく五千くらいかのぉ」
フェリシアが目を見開く。
「そいつらに、わしはこう命じる。”人間を探せ。そして、見付けた人間を全員殺せ”とな」
思わずミナセが前に出た。
瞬間、魔力がザナンを包み込む。
「くそっ!」
ヒューリの時と同じだ。目には見えないが、それは間違いなく強力なシールドだった。
「まあ待て。まだ続きがあるのだ」
ザナンがにやりと笑った。
「お前たちは、どうにか魔物を倒そうとするだろう。しかし、それは無駄だ。わしが次々と魔物を作り続けるからな」
悪魔のような言葉が響いた。
「いくら倒しても魔物は生まれ続ける。まさに絶望的な状況だ。しかし、それを何とかできる方法が、一つある」
悪魔のような声が言った。
「紫の髪の女よ。わしに、人の限界を超えた姿を見せてくれ」
そう言うと、ザナンの体がふわりと浮き上がる。
「この盆地の南を流れる川の、その上流にわしの研究施設がある。おぬしが無事限界を超えることができたら、そこに来るがよい。そこでゆっくり語り合おうではないか」
ザナンが上昇を始めた。
「先ほどの質問の答えも聞いておきたいし、わしの研究成果を見せてもやりたい。聞きたいことや話したいことがたくさんあるのだ」
上機嫌で笑う。
「楽しみだのぉ。本当に楽しみだ。はっはっは……」
気持ち悪い笑い声と共に、南に向かってザナンは猛烈な速度で飛び去ってしまった。
その方向を、社員たちが呆然と見つめる。
言葉もなく、なす術なく立ち尽くす。
ふと。
「フェリシア。やつの言っていたことを説明してくれないか?」
マークの落ち着いた声がした。
何を聞かれても即答するフェリシアが、答えることなく黙っている。
やがてフェリシアは、南を睨んでいたその目を地面に向け、マジックポーチをぎゅっと握りながら、うつむいたままでマークに向いた。
「あの人が言っていたのは、おそらく」
顔を上げて、マークを見る。
「人の限界を越えた魔法。かつて誰も発動に成功したことのない究極の魔法」
掠れた声で、フェリシアが言った。
「最高難易度と言われる第五階梯の、その上。第六階梯魔法のことだと思います」
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