魔法陣

 一行が森に入ってしばらくたった頃、フェリシアが言った。


「前方三百メートルに反応があります。数は……五」

「何!」


 ミナセとヒューリに緊張が走る。

 足を止め、二人が武器に手を掛けた。


「でも、魔力は小さいわ。魔物だとしたら、ゴブリンかウルフじゃないかしら」


 二人と対照的に、フェリシアはまったく慌てていない。


「もう少し近付いてみましょう」


 マークの言葉で、四人は再び進み始めた。


 木々の間隔は広く、見通しも良い。ゆえに、敵もこちらを見付けやすい。

 四人は慎重に前進を続けた。


「あと五十メートル」


 フェリシアが小さくささやいた場所で、一行は止まる。

 木の陰から、ヒューリが先を見た。


「ゴブリンだ。数は、五」

「フェリシアさん、ほかに反応は?」

「周囲三百メートルには何もいません」

「分かりました」


 フェリシアの答えを聞いたマークが、三人に指示を出す。


「ミナセさんとヒューリは魔物を頼みます。フェリシアさんは、ここで周囲を警戒してください」

「分かりました」

「了解です」


 三人が頷いた。

 ミナセとヒューリが、一歩前に出る。


「行くぞ!」


 ミナセの声と同時に、二人は飛び出した。


 風のように二人は駆ける。

 ゴブリンたちが二人に気付いた時には、もう遅かった。あっという間に五体のゴブリンは倒された。


 マークとフェリシアが近付いてくる。


「お疲れ様でした。さすがですね」


 マークがねぎらう。

 だが、二人はあまり嬉しくなさそうだ。


「ゴブリンが五体じゃあねぇ」


 魔石を拾いながら、ヒューリが答える。


「あははは」


 マークが苦笑した。


「フェリシアさん。ここは、魔物が発生しやすい地形だったりしますか?」


 マークが周りを見渡しながら聞いた。


「分かりません。魔物が発生しやすい場所には霊力が満ちていると言われていますが、私は霊力を感じることができませんので」


 フェリシアが、申し訳なさそうに答えた。


「そうですか。分かりました」


 マークはそれ以上質問をしなかった。


「先に進みましょう」


 マークの声で、一行は再び進み始める。


 森は、意外と深くなかった。四人はほどなく森を抜ける。

 そこは、岩肌が剥き出しになっている山の麓。ほとんど崖と言ってもいいほどきつい斜面だ。


「さて、魔物たちは……」


 マークが足元を見て言った。


「左から来たみたいですね」


 四人は、魔物の足跡を辿ってきていた。マークの言う通り、足跡は山に向かって左から続いている。


「行きましょう」


 四人は、山に沿ってごつごつした地面を歩き始めた。地表が堅いせいか足跡がはっきりしなくなっていたが、ヒュドラのものと思われる大きな足跡だけはくっきりと残っている。


 あれだけの魔物が、いったいどこから?


 ミナセが山を見上げながら思ったその時、急に山が切れた。

 直後、フェリシアの声がする。


「この奥百メートルに反応。数は五」


 フェリシアは、切り立った崖に囲まれた谷の奥を見ている。


「今回は近いんだな」


 ミナセが素直な感想を言った。


「索敵魔法は、入り組んだ地形が苦手なのよ。魔力が届きにくいから」

「そうか。ということは、洞窟の中とか、起伏の激しい場所なんかは、索敵しにくいってことになるのか?」

「そうね」

「じゃあもしかして、魔力が入り込めない密閉された場所は、索敵できない?」

「その通りよ。窓や扉がしっかりと閉まった建物の中は分からない。索敵魔法も万能ではないわ」

「なるほど。私は、もっと魔法について勉強する必要があるな」


 ミナセとフェリシアが小声でやり取りをする。


「さて、どうしますか?」

「行ってみましょう」


 ヒューリの問いに、マークが足下を見ながら答えた。足跡は、谷の奥から続いていた。


 ヒューリが先頭、フェリシア、マークと続き、ミナセがしんがりとなって進む。

 両側の崖との間は五メートルほど。ところどころに大きな岩があるが、そのうちのいくつかは、無理矢理どかされたように谷の端に転がっていた。ヒュドラの通った跡だろうか?


「あと三十メートル」


 フェリシアのささやきで、一行は足を止める。

 そして、岩影から谷の奥を見ると。


 いた。

 ウルフが五匹だ。


「ほかに反応は?」

「ありません」

「分かりました」


 マークが小声で指示を出した。


「ヒューリ、ウルフを頼む。フェリシアさんは後方から援護、ミナセさんはここで待機です」


 三人が頷く。


 頷きながら、ミナセはちょっと感心していた。

 マークの指示は、正しい。


 狭い場所での戦いは、ヒューリが適任だ。さきほどのように二人で飛び込んでいっては、お互いが気になってうまく剣が振れない。フェリシアに援護をさせるあたりも隙がない。

 マークが戦いに慣れた人間ならともかく、そうではないだけに、即座に的確な指示が出てきたことには驚きだった。


 ほんとに不思議な人


 ミナセがそんなことを考えているうちに、気が付けば戦いは終わっていた。


「お疲れ様」

「ま、ウルフだし」


 マークの言葉に、素っ気なくヒューリが答える。

 マークは、やっぱり苦笑していた。


「もう少し奥に行ってみましょう」


 四人は谷の奥へと歩みを進めた。

 しばらく行くと、急に視界が開ける。幅三十メートルほどの広い空間。正面には急な斜面。谷の終点だった。

 そして。


「崖崩れか」


 両側の崖が崩れて、大きな岩が地面を埋め尽くしている。

 それをじっと見ていたマークが、近くにあった岩をどかし始めた。


「すみません、手伝ってもらえますか? 崩れた岩の下の、地面が見てみたいんです」

「マジっすか!?」


 ヒューリが目を剥く。


「この大量の岩を、全部どかすってこと?」

「いや、できる範囲でいい」


 怯むヒューリに、手元の岩をどかしながらマークが答えた。


「まあ、そういうことなら」


 しぶしぶ岩に立ち向かうヒューリの横で、ミナセはすでに作業を始めている。

 ヒューリが嘆くのも当然だろう。抱えられる程度の岩なら何とか動かすこともできるが、どう考えても人力では無理だと思われる大きな岩もゴロゴロしていた。


「やるしかないか!」


 やけくそ気味に声を上げ、目の前の岩を睨み付けたその時、フェリシアのきれいな手がその岩に触れた。


「えっ!」


 ヒューリがびっくりする。

 フェリシアの触れた岩が、突然魔力を帯びたのだ。


「持ってみて」


 フェリシアの言葉に従って、岩を持ち上げる。

 すると。


「うわっ、軽い!」


 どう見ても三十キロはあるであろう岩が、嘘みたいに軽い。


「ウェイトセービング。生活魔法よ」


 フェリシアがにっこりと微笑む。


「フェリシアって、やっぱりすげぇな」


 ヒューリは心から感心していた。


 フェリシアの魔法のおかげで、作業は順調にはかどっていった。大きさに関係なく、魔法を掛けた岩が羽のように軽くなる。

 岩が次々とどかされていき、やがて四、五メートルほど進んだ時。


「フェリシアさん、これを見てください」


 マークが、フェリシアを呼んで地面を指した。


「これ、何かを描いた跡に見えませんか?」


 マークが示した場所には、白い線のようなものがあった。正確には、線をこすって消した跡のようなものだ。

 左右の岩もどかしてみると、線は大きな円を描いているようにも見える。それをじっと見ていたフェリシアは、円の内側の岩をどかし始めた。

 いくつかの岩をどかしたところで、また地面をじっと見つめる。そこには、文字か記号のようなものを消した跡があった。


「断定はできませんが」


 フェリシアが、マークを見る。


「ここに、大きな魔法陣があった可能性があります」

「魔法陣?」

「はい。あくまで推測ですけど」

「どんな魔法陣だったか分かりますか?」

「いいえ。線も文字も読み取れる状態ではないので、この岩を全部どかしたとしても分からないと思います」

「そうですか」


 マークは残念そうだった。


「でも、ここに魔法陣があったってことは……」

「この崖崩れも、誰かの仕業ってことですね」


 魔物の大群が現れた森からほど近い場所にあった、魔法陣と思われる痕跡。

 それを覆い隠すように転がる大量の岩。


 フェリシアは黙っている。それはつまり、周囲に怪しい反応がないということだ。

 それでもみんなは、誰かが自分たちを見ているような、そんな気がしてならなかった。



 その後四人は、人がいた形跡を探して周囲を探索したが、結局何も見付からず、夕方には漆黒の獣のいる川岸まで戻ってきた。

 マークは、ほかの三人と共に、カイルとアランに調査結果を報告する。


「魔法陣か」


 報告を聞いたカイルが、腕を組んで唸った。


「全滅した魔物は、前回と違って復活していない。消されていた魔法陣と関係があるんだとしたら……」

「今回の件は、人為的に起こされたってことになるかもしれませんね」


 今まで報告されていなかった魔物の大集団。普通ではあり得ないその動き。

 誰かが意図的に魔物を作り出し、それを動かしていたというのなら、納得できる。


「だけど、魔物を作るとか、ましてや魔物を操るなんて、そんなことがそもそもできるのか?」


 ヒューリがもっともな疑問を口にする。

 それに、フェリシアが答えた。


「魔物を作る方法は聞いたことがないし、完全に操る魔法も知らないけれど、魔物を凶暴化させるだけならできるわよ」

「そうなのか!?」


 みんながフェリシアに注目した。


「バーサークっていう魔法があるわ。強力な魔力の持ち主なら、魔物だけじゃなくて、人間も凶暴化できる」

「人間も!?」

「そうよ。ただこの魔法は、操るなんていう高度なものじゃないの。凶暴化した魔物や人間は、敵味方関係なく、周りにいるものすべてを攻撃してしまうから」

「じゃあ今回みたいに、俺たちにだけ向かってくるってことにはならない訳だ」

「そうね。でも、私の知らない魔法なんて、世の中にはたくさんあると思うわ。私の最後の主なんて、よく分からない魔法を作り上げては喜んでいたし」


 ここにいるのはたったの六人。

 世界には、まだまだ未知なることが溢れているということなのだろう。


「ヒュドラが出現したことも含め、この件はロダン公爵に報告した方がいいだろうな」

「そうですね」


 カイルの言葉にマークも頷く。


「ま、何にせよ、今回の仕事は無事終了だ。フェリシア、ミナセさん、ヒューリさん、それと社長。みんなには、本当に感謝する」


 カイルが深々と頭を下げた。


「皆さんがいなければ、この仕事を成功させることはできなかったでしょう。本当にありがとうございました」


 アランも同じように頭を下げた。

 四人は、互いを見ながら笑い合う。

 マークが代表して言った。


「こちらこそ、いい経験をさせていただきました。また何かあったら、ぜひ声を掛けてください」


 エム商会にとって初めての魔物討伐が、こうして終了した。

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