ロイ
話を終えた一行は、夫妻とともに、ロイの部屋にやってきた。ロイを普段から診ているお付きの医師にも同席してもらっている。
「ロイ。昨日話をしたみなさんが来てくださいましたよ」
夫人が、ベッドに横たわる愛しい息子に小さく声を掛けた。
その声で、男の子がゆっくりと目を開く。
ロイは、今年十才。
健康ならば、武勇の誉れ高いロダン公爵の跡取りとして、武術の稽古に励んでいたことだろう。
だが、その体はやせ細っていて、まるで生気がない。青白い肌とこけた頬は、見ているだけで痛々しい。その目は、すでに運命を受け入れているかのように穏やかだ。
誰が見ても、死期が近付いているのは明らかだった。
「結界の中で魔法を使うと、どんな反応が起きるか分かりません。恐縮ではございますが、ロイ様をこちらのソファに」
医師の指示で、メイドがゆっくりとロイの体を抱き上げてソファに移した。女性一人で苦もなく持ち上げられてしまうほどに、ロイの体は軽かった。
医療結界の中は、ヒールとキュアディジーズ、そしてキュアウィークネスが常時掛かっている状態だ。
つまり、体を復元させる力と、病気を治そうとする力、そして体力を回復しようとする力が常にロイに掛かっていることになる。
すでにロイは、結界の力がなければ自力で生きることができなかった。
ソファに寝かされたロイに、ミアとフェリシアがそっと近付く。
そして、静かに話し掛けた。
「フェリシアと申します。ロイ様がセルセタの花の近くまで行くお手伝いをさせていただきます」
「フェリシア……」
ロイが力なく繰り返した。
「ミアと申します。ロイ様が道中お元気でいられるよう、お手伝いをさせていただきます」
「ミア……」
ロイが微笑む。
「二人とも、よろしくね」
弱々しくも、しっかりとロイが言った。
「早速ですが、ロイ様。ミアの魔法が、ロイ様にどれくらい効果があるかを試させていただきたいと思います。気分が悪くなったら、すぐにおっしゃってください」
「分かった」
フェリシアの説明に、ロイは頷き、目を閉じて力を抜いた。
「じゃあミア、始めて」
「はい」
ミアが、ひざをついてロイに両手をかざす。
そして、魔力を練り始めた。
「ミア、力が入り過ぎよ」
「はい」
フェリシアのアドバイスを受けながら、ミアが魔力を高めていった。
ミアの魔力制御の成否は、この作戦の成否に直結している。道中で実際に使う程度の魔力でどれほどの効果があるのか、それを確かめておかなければならない。
放っておけば爆発的に発生する魔力を、絞るように両手に集中させる。目を閉じ、眉間にしわを寄せながら、ミアは精神を集中していった。
フェリシアが細かく指示を出し、ミアが調整する。その間、魔力は低下することなくどこまでも高まっていった。
「あの……ミアさんは、どこまで魔力を高めるおつもりなんでしょうか?」
医師がマークに聞いた。
「今の魔力でも、それなりに効果はあると思うのですが」
セルセタの花の咲く洞窟まで、フェリシアのフライで二日半、約五十五時間の予定だ。
その間、一時間おきに治癒魔法と医療魔法を掛けることを想定している。出発前や到着後も合わせて、およそ六十回だ。
そのうちの一回分の魔法を今試しているはずなのだが、この時点でも、ヒーラーが患者の命を助けるために緊急で使う程度の、かなり強い魔力が発生していた。
「魔力の調整は、あの二人に任せていますので」
あっさりしたマークの答えに、医師は少し不満顔だ。
ミアが魔力を練り続ける。魔力を練りながら、ミアは考えていた。
ロイは自力では生きられない。しかも、ベッドを出て空を飛び続けるのだ。生命力はどんどん奪われていく。それをカバーできるほどの魔法を掛け続けなければ、ロイは死ぬ。
ぎりぎり限界、全力すべてを出し切らないと、ロイは助けられない。
眉間のしわが深くなる。
ミアの魔力がさらに高まっていく。
「さすがに、そろそろいいんじゃないでしょうか?」
アランも心配そうだ。
優秀な魔術師であるアランでも、あんなに魔力を使ってしまったら後が続かない。
だが、その声を無視するように、フェリシアが言った。
「ミア、もう少しよ」
「はい」
「うそだろ!?」
カイルが目を剥いた。
目の前で、一人の少女がとてつもない魔力を放っている。
「この子はいったい……」
多少のことには動じないロダン公爵でさえ、驚きを隠せない。公爵が率いる数万の軍勢にも、これほど凄まじい魔力を操る者はいなかった。
公爵の喉が、ゴクリと鳴った。
その時。
「今よ!」
「はい!」
フェリシアの合図で、ミアが魔法を発動した。
「ヒール!」
強力な魔力がロイの体に注ぎ込まれる。
続いて。
「キュアディジーズ!」
連続して魔法が放たれる。
さらに。
「キュアウィークネス!」
まったく衰えることのない大量の魔力が、ロイを包み込んだ。
沈黙が訪れる。
誰もが、固唾を飲んで結果を見守っていた。
やがて。
ロイが、静かに目を開けた。その頬には赤みが差している。
そしてロイは、ゆっくりと、自力で起き上がった。
「ロイ!」
夫人が駆け寄る。
「ロイ! あなた……」
涙で言葉が続かない。
何年も、ロイは寝たきりだった。自力で起き上がる姿など、もう見ることはできないと思っていた。
それを今、夫人は、目の前で見た。
「ロイ、お前……」
公爵も、信じられないという表情で息子を見つめる。
医師は、口を開けてポカンとしていた。
「お父様、お母様」
ロイが、はっきりとした声で二人を呼んだ。
「ロイ!」
夫人が強く息子を抱き締める。
公爵は、目に涙を浮かべて二人を見つめていた。
「これで一回分とは……。フェリシアさんと言いミアさんと言い、世の中は広いってことですかね」
アランのつぶやきに、カイルは頷くのみだった。
感激にむせぶ公爵親子に、マークがそっと話し掛ける。
「大変申し訳ございませんが、もう一つ、試さなければならないことがございます」
「そうだな、そうだった。すまない」
そう言いながら、公爵が夫人の肩に手を置いた。
「次は、外に出るのだったな」
「はい」
涙を拭いながら息子から離れる夫人に代わって、公爵はロイに近付き、その体を抱き上げた。
「旦那様!」
メイドが慌てて駆け寄るが、それを公爵が制する。
「よい。ロイはわしが連れて行く」
嬉しそうな息子の顔を見ながら、公爵は一行の先頭に立って歩いていった。
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