秘密基地
「私、リリアっていうの」
「リリアか」
男が、大きく息を吐き出して、リリアをちゃんと見る。そして言った。
「いい名前だ」
リリアが笑う。嬉しそうに笑う。
男の表情も和らいだ。
「俺は、リュクスメリアンだ」
男が名乗った。少しゆっくり目に、きちんと自分の名前を告げた。
だが。
「リ、リクス……?」
リリアは困っていた。
「覚えられないよな、俺の名前。友達は、俺のことをリュクスって呼んでる。だから、リュクスでいいよ」
「リユ、リユ……」
リリアは、やっぱり困っていた。
そんなリリアを見て、男がため息をつく。そして、諦めたように言った。
「おじちゃんでいいよ」
「おじちゃん!」
リリアが笑った。
安心したように笑った。
「ま、いいか」
男が、リュクスが苦笑する。苦笑しながら、リリアの頭をポンと叩く。
「よろしくな、リリア」
「うん!」
リリアの笑顔には勝てなかった。
リュクスは、今度こそ心からの笑顔を返していた。
リュクスは、なぜかそこにあった小綺麗なイスを二つ持ってきて、片方に腰掛ける。リリアも、リュクスの向かいのイスにぴょんと飛び乗って、ちょこんと座った。
「おじちゃんは、衛兵さんなの?」
「ああ、そうだ」
座るなり、リリアが質問を始める。
「お外にいる人たちは、お友達?」
「まあ、そうだ」
「けんかしてるの?」
「まあ、そんなところだな」
「ふーん」
まったく物怖じしないリリアに、リュクスはちょっと感心していた。
「リリアは、俺のこと、怖くないのか?」
リリアをのぞき込む。
「俺は、お前を無理矢理ここに連れ込んだんだぞ。それに、ナイフとか……」
ベルトのナイフに軽く触れながら、リュクスは不思議そうに聞いた。
「だっておじちゃん、ごめんなって言ったでしょう? ケガもしてたから、おじちゃん、困ってるのかなって思って」
血の滲むリュクスの右腕を見ながら、リリアが答えた。
「困ってる人がいたら助けてあげなさいって、お母さんが言ってたの。だからね、おじちゃんのことを助けなきゃって思ったの」
目を丸くするリュクスにリリアが言う。
「おじちゃん、何でも言ってね! 私、頑張るから!」
「ありがとう……」
人質を取って立て籠もるリュクスに、人質のリリアが言うセリフではない。
「俺は、お前の親の顔が見てみたいよ」
きょとんとするリリアの頭に、リュクスはまたポンと手を乗せた。
「ところで」
改めてリュクスが聞く。
「リリアは、こんなところで何をしてたんだ? ここは誰も住んでいない家なんだろう?」
聞かれたリリアが、なぜか急に目をそらした。肩をすぼめ、もじもじと手を前で組んで、チラリとリュクスを見る。
「お父さんには、言わないで欲しいんだけど」
何事かとは思ったが、リュクスははっきりと言った。
「大丈夫だ。お父さんには言わないよ」
「ほんと?」
「ああ、ほんとだ」
「じゃあ……」
そう言って、リリアは話し始めた。
この廃屋は、どうやら子供たちの秘密基地になっていたらしい。子供たちがいろいろ持ち込んで、遊び場にしているということだった。
「こっちの部屋は男の子の部屋で、あっちの部屋が、女の子の部屋なの」
リリアが壁の向こうを指して説明する。
たしか、階段を上がって両側に扉があった。こちらと反対側にも部屋があるということだろう。
廃屋にあるはずのない小綺麗なイスがある理由が、これで分かった。
「今日はね、エミリーと一緒に、カーテンを付けに来たの」
楽しげにリリアが言った。
女の子の部屋に二人でカーテンを付けて、そのまま話をしていたが、お昼ご飯に間に合うように、エミリーは先に帰ったとのこと。
リリアは、いつも少し遅い時間にお昼を食べるので、一人で部屋の掃除をして、ちょうど帰るところだったそうだ。
そこにリュクスが現れて、今に至っていた。
「うちはね、パン屋さんなの。だからね、お客さんが少なくなってから、お母さんがご飯を作ってくれるんだ」
「なるほどな」
リリアの話に、リュクスが頷いた。
そう言えば、今はまさにお昼過ぎ。
リリアが帰らないと、両親が心配するんじゃ……
そんなことをリュクスが思った矢先。
「おじちゃん、お腹すいた?」
リリアが聞いてきた。
「えっ? ま、まあな」
それどころではないと頭の片隅では思ったが、リリアの無垢な視線に、思わずリュクスが答える。
すると。
「分かった! ちょっと待っててね!」
リリアが突然イスから飛び降りた。
そのままタタタと駆け出していく。
「おい!」
リュクスは慌てた。伸ばしたその手が空をつかむ。
子供らしい、素晴らしく素早い動きで、リリアは扉を開けて部屋から飛び出していった。
「待て!」
小さな背中をリュクスが追う。
階段を駆け下りたリリアは、そのまま玄関へ……行くかと思われたが、不思議なことに、家の奥へと進んでいった。
裏口があるのか?
考えながら、リュクスが追う。通りから見た限り、この家のすぐ裏には別の家があったはずだ。裏口があるとは思えなかったが、あるなら塞がなければ。
そんなことを思ったリュクスの目の前で、リリアは、扉を開けて小さな部屋に入っていった。窓もないその部屋には、なぜかぼんやりとした明かりがある。
大きな箱の上にあったその光源を、リリアが掴んで首に掛けた。
それは、紐に括り付けられた、光る魔石だった。
「リリア?」
追い付いたリュクスの目の前で、リリアが、箱を両手で押して横にずらす。
「なんだ!?」
そこに現れたのは、穴。石畳の床に、大人では落ちることがないであろう小さな穴が、ポッカリと口を開けていた。
「すぐ戻るね!」
リリアが笑う。
そしてリリアは、穴に飛び込んだ。
「なにっ!?」
急いで駆け寄り、四つん這いになって穴をのぞき込む。すると、すぐそこに、やはり四つん這いになっているリリアがいた。
首から掛けた魔石が淡い光を放っている。
「じゃあね!」
驚きっぱなしのリュクスが見つめる中、リリアは暗闇の中へと消えていった。
呆然とリュクスが座り込む。
「人質に、逃げられた」
しばらくの間、リュクスはそこから動くことができなかった。
我に返ったリュクスは、床に散乱していたゴミの中から小さなぼろ布を見つけ出し、魔法でそれに火を付ける。それを穴に放り込んで中を観察した。
穴の深さは七、八十センチ。リリアの身長よりもずっと低い。穴の入り口は狭いが、中は思ったより広かった。
だが。
「大人は無理だな」
言いながら、穴に首を突っ込んでみる。すると下には、左右に延びる石造りの通路があった。通路と言っても、リリアくらいの子供が四つん這いでやっと進めるほどの狭い空間だ。
首を引っ込めて、リュクスは考える。
アルミナの町は、古くから下水道の整備が進んでいた。王宮のある北西地域から始まって、人口の多い南側付近までは、スラム街を除いてほとんどの建物に下水道が通っている。
残っていたのは、町の北東。この廃屋のある地域だ。この周辺には昔から遺跡が埋もれていることが知られていて、それが工事を遅らせる大きな原因となっていた。
学者たちがうるさいということもあるが、地中に余計なものが埋まっていることが、工事を困難にしている。
だが、その工事は途中で完全に止まっていた。理由は、戦争があったからだ。
二年前、北西の強国ウロルがこのイルカナに攻め込んできた。一年にも及ぶ総力戦の末、ロダン公爵率いるイルカナ軍がウロルを撃退して戦争は終結している。
しかし、戦争の影響は大きかった。
物資の不足、治安の悪化、そして汚職。
国民が力を合わせて復興を進める一方で、乱れた秩序を利用して悪党が暗躍する。混乱が落ち着いたのは、割と最近のことだ。
そのあおりで、この周辺の区画整理も下水道工事も中途半端なままだった。
だから。
「下水道じゃあないな。もしかして遺跡か?」
リュクスが穴を見つめる。
「ま、なんにせよ」
つぶやいて、リュクスは立ち上がった。
「人質はいなくなっちまったが、やれることだけはやっとくか」
頭をポリポリとかきながら、リュクスは小部屋を出て行った。
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