噂の二人

 その日以来、ミズキが町に出てくる頻度が少し増えたようだった。研ぎの仕事をマメに受けるようになり、その帰りに道場に顔を出すようになっている。

 門からチラリと中を覗いては、さっと身を隠す。ウィルが中庭にいなければ出てくるのを待ち、稽古中なら、終わるまで待つ。

 ウィルの手が空いたのを見計らって分かりやすい視線を送ると、決まってウィルは、笑いながら出てきてくれた。


「その……あの刀は、問題ないだろうか」

「ありがとうございます。大丈夫です」

「そうか、よかった。では、私はこれで」


 そんな短い会話を交わすだけで、ミズキは帰って行く。

 ウィルは、踵を返すミズキに何かを言い掛けて、結局何も言わずにその背中をいつも見送った。


 ウィルも、鉱山を時々訪ねるようになっていた。


「この鉱山で、アダマンタイトはまだ採れるんですか?」

「私一人が使うくらいなら採れる」

「そうですか」


 つるはしを担ぐミズキとこんなやり取りをするが、会話が途切れると、「じゃあ、私は行く」と言って、そそくさとミズキは鉱山に入っていってしまう。

 やたらと早足で暗闇に消えていくミズキを、ウィルはいつも黙って見送るのみだった。


 そんな二人のことは、町で大いに噂になっていた。


「何なんだろうねぇ、あの二人は」

「焦れったい。じつに焦れったい!」

「あんたたち門下生だろ? 何とかしなよ」

「そんなこと言われても……」


 最近になって、道場の前で立ち話をする主婦が急増していた。

 閉鎖されているはずの鉱山にも、不自然にいつも誰かがいた。


「鉱山は、この町の宝だからな」


 そんなよく分からないことを言っては、数人の男たちが鉱山周辺の整備をしている。

 おかげでデコボコだった鉱山までの道はとても歩きやすくなり、ミズキが住む小屋の周りは雑草一本生えていない。


 今や、町中がウィルとミズキの話で持ち切りだった。


「あの先生が、やっと女に興味を持ってくれたんだ。このチャンスは逃せねぇ」

「そうだよ。あたしたちは先生に恩を返さなくちゃいけないんだ。絶対にあの二人をくっつけるよ!」


 親切とおせっかいは紙一重。

 二人の知らないところで、町の人たちは熱い思いを燃え上がらせていた。



 カンカンッ!


 激しく木刀がぶつかり合う。


「反応が遅い! もっと視野を広く持ちなさい!」

「はい!」


 道場の中庭では、ウィルが、師範代であるストラースに稽古をつけていた。

 ストラースは、まだ二十三才。ウィルとはちょうど十才違いだ。しかし、古参の門下生たちと比べても、その強さは群を抜いている。

 ウィルが修行の旅に出た五年前、つまりストラースがまだ十八才の時に、師範代に指名されて道場を託されたほどの逸材だ。

 その腕と才能をもってしても。


「甘い!」

「うっ!」


 ウィルの木刀が、ストラースの喉元に突きつけられる。

 ストラースは、ウィルに手も足も出なかった。


「参りました」


 ストラースが降参した。

 木刀を引いて、ウィルが言う。


「ストラース、君は強い。そして、間違いなくもっと強くなれるはずです。でも今は、君の心の脆弱さが君の足を引っ張っています」


 うなだれながら、ストラースが聞いている。


「心は静止した水のように。冷静に、集中して相手に向かい合う。それが常にできなければ、次には進めません」

「はい、分かりました」


 一礼して、ストラースが下がっていく。

 それを目だけで追いながら、門下生たちがささやき合っていた。


「師範代、大丈夫かなぁ」

「いや、大丈夫じゃないだろ」

「そうだよなぁ。でも、こればっかりはなぁ」


 ウィルの前ではおとなしくしているが、最近のストラースは荒れていた。 


「でもさあ、俺たちに当たるのは止めてほしいよなぁ」

「まあな」


 稽古でもそれ以外でも、ストラースの門下生に対する態度が厳しくなっている。


「何とかならんのかねぇ」

「何ともならないだろうなぁ」


 顔も体も一切動かさず、唇をわずかに動かすのみのヒソヒソ話。離れたところに座るストラースをチラリチラリと盗み見ながら、門下生たちの会話は続いていた。

 すると。


「こらこら、まだ稽古の途中ですよ」


 不意にウィルが言った。

 その目が、こちらを柔らかく睨んでいる。


「申し訳ありませんでした!」


 ささやき合っていた門下生たちが、慌てて頭を下げた。

 声は、ウィルまで届いていないはずだ。

 それなのに。


「やっぱ、先生ってすげぇ」


 怒られた門下生の後ろで、別の門下生が感心していた。

 


「出掛けてきます」


 門下生の一人に声を掛け、ウィルは道場を出た。そのまま北に向かってゆっくりと町を歩く。

 腰にはミズキからもらった太刀。目指すは鉱山。

 その表情は、冴えない。


「いったいどうすればいいんだ?」


 ウィルが小さくつぶやいた。

 剣一筋に生きてきた人生。その中で、こういう気持ちを持ったことは一度もなかった。

 それでも、この気持ちが何なのかウィルには分かっている。経験はなくともさすがに分かる。


 これは、恋だ。


 そして、ウィルは困っていた。


 看病のためにお粥や雑炊を作りに行った時は、何の気負いもなく話ができた。

 恥ずかしそうなミズキ、頬を染めるミズキにも、穏やかに、余裕を持って接することができた。

 励ますつもりで言った台詞を笑われた時だって、素直に反応できた。


 でも。


 ミズキの愛刀を受け取った時。

 真っ直ぐで美しい瞳を見た時に、はっきりと自覚した。


 俺は、ミズキさんのことが好きだ


 それ以来、まったく話ができなくなってしまった。


 ミズキが道場に来てくれると嬉しかった。それなのに、話せない。

 思い切って鉱山を訪ねても、ミズキを前にするとやっぱり話せない。


 ウィルには、相手の感情の揺らぎが分かる。

 意識がどこに向いているのか、どれほど自分に集中しているのかが分かる。

 剣の道を追求し、そして辿り着いた境地。相手の心の動きをも感じ取る究極の先読み。

 その力が、ウィルに淡い期待を抱かせている。


「もしかしたら、ミズキさんも俺のことを……」


 その可能性は高いように思える。

 だが、そう思うのと同じくらい自信がない。


「はぁ……」


 門下生の前では決して見せることのない大きなため息を、ウィルが吐き出した。

 そこに。


「先生!」


 真横から、食堂の女将が声を掛けてきた。


「これから鉱山ですか?」

「えっ? えーっと……」


 突然の質問に、ウィルは口ごもる。

 直後、反対側から宿屋の女将が聞いてきた。


「鉱山なんでしょ?」

「あ、いや……」


 動揺するウィルの後ろから、今度は男の声がする。


「何言ってんだ。鉱山に決まってんだろ」


 大工の棟梁がきっぱりと言い切った。


 敵意がなかったから気付かなかった、という言い訳は、この場合通用するのだろうか?

 不覚にもウィルは、不気味な威圧感を放つ三人の接近を、いとも簡単に許していた。


「先生、ちょっと話したいことがあるんですけど」


 食堂の女将が右腕を掴む。


「時間は取らせませんから」


 宿屋の女将が左腕を抑える。


「では、行きやしょう」


 棟梁が、背中を押した。


「あの、どこへ……」


 鍛え上げた肉体がまるで役に立っていない。

 戸惑うウィルは、何がなんだか分からないまま三人に連行されていった。

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