お礼

 カンカンッ!


 激しく木刀がぶつかり合う。


「踏み込みが甘い!」

「はい!」


 道場の中庭では、師範代であるストラースが門下生たちに稽古をつけていた。


「腕だけで剣を振るな。足腰をもっと鍛えろ。次!」

「よろしくお願いします!」


 別の門下生が木刀を構えた。

 気合いの入った門下生に対して、ストラースも真剣に向かい合う。実力差は歴然だが、ストラースは手抜きなどしない。気迫のこもった表情で門下生を睨む。

 緊迫した空気。

 それなのに。


 ざわざわ……


 稽古を見ていた門下生たちが、落ち着きをなくしていた。


「どういうことだ! 今は稽古中だぞ!」


 ストラースが怒鳴る。

 そこに、門下生の一人が遠慮がちに言った。


「申し訳ありません。ただ、その……」


 そう言いながら、道場の門を指さす。


「いったい何なのだ!」


 その方向に顔を向けたストラースの表情が、急激に緩んだ。

 そして。


「……休憩だ」


 木刀を門下生に預けて、ストラースが門に歩み寄る。そこには、柱の陰から庭をのぞき込んでいるミズキがいた。

 ストラースが近付いてくると、ミズキは一瞬怯んだように後ずさったが、やがて何かを決意したように、背筋を伸ばして顔を上げた。

 右手には小さな包み。そして左手には、いつもは腰に差している愛刀を、なぜか外して持っている。


「来てくれたんだね」


 嬉しそうにストラースが言った。


「鉱山が襲われた時、俺もすぐに駆けつけたんだ。でも、少し遅かったみたいで」


 頭を掻きながら、目を伏せる。


「体調が悪かったらしいけど、もう大丈夫なのか?」


 無骨な顔が赤く染まっている。長身を屈めるように立ち、ちらりちらりとミズキを見る。

 

「良かったら、中に入らないか。お茶くらいは出すよ」


 必死に言葉をつなぐストラースを、ミズキが真っ直ぐに見つめている。ストラースは気付いていないが、ミズキの表情はおそろしく硬い。拳を握ったり緩めたり、口を開いたり閉じたりを何度となく繰り返している。


「もし時間があるなら、その、この後一緒に食事でも……」

「あのっ!」


 突然ミズキが大きな声を出した。

 驚いて、ストラースは初めてミズキの顔をまともに見た。その耳に、想像もしていなかった言葉が飛び込んでくる。


「こ、こちらに、ウィ、ウィルという人がいると思うのだが」


 ミズキの顔は、真っ赤だった。


「大変申し訳ないのだが、その……ウィ、ウィルを、あ、いや、ウィルさんを、呼んでもらえないだろうか」


 ストラースは、しばらくの間黙ってミズキを見つめていた。

 やがて。


「ちょっと待っててくれ」


 ストラースが踵を返す。


「今、お呼びする」


 その顔からは、表情が消えていた。ミズキはそれに気付かない。

 足早に中庭を突っ切っていくストラースを、門下生たちは声を出すこともできずに、ただ目で追うことだけしかできなかった。

 


「ミズキさん!」


 驚いたように、ウィルが声を掛けた。

 うつむいたまま立っていたミズキが、弾かれたように顔を上げる。


「どうしたんですか?」


 問われたミズキが、せっかく上げた顔を、また伏せた。


「と、突然すまない。えっと、その……ウィル、さん……」

「ウィルでいいですよ」


 にこやかにウィルが言う。


「それでは、ウィル」

「はい、何でしょう」


 恥ずかしそうなミズキの声を、嬉しそうにウィルが聞いている。


「先日は、道場の皆さんに、世話になった」


 小さな声で、ミズキが礼を言った。


「それで、これを、皆さんに」


 右手に持っていた包みをウィルに差し出す。


「すみません、気を遣っていただいて」

「いや……」


 目を伏せたままのミズキから、ウィルがそれを受け取った。


「それと、その……ウィ、ウィルにも、いろいろ、世話になった」


 肩をすぼめ、もじもじしているミズキが、さらに小さな声で言う。

 蚊の鳴くようなその声に、微笑みながらウィルは答えた。


「気にしないでください。大したことはしてないんですから」

「そんなことはない!」


 突然ミズキが顔を上げて、大きな声を出す。

 驚いたウィルが、ビクッと体を震わせた。


「あ、すまない」


 ミズキが、また目を伏せた。


「私は、命を助けてもらった。それと、お粥とか雑炊とか……」


 恥じらうように頬を染める。


「それで、ウィルにも何かお礼がしたいと思ったのだが、私にはお金もないし、その……残念ながら、大した料理もできない。だから」


 顔を上げて、ミズキは今度こそ、ウィルをしっかりと見つめた。


「これを、受け取ってもらえないだろうか」


 そう言うとミズキは、手に持っていた愛刀をぐいっとウィルに差し出した。


「えっ? だってこれは……」


 ウィルが目を丸くする。


「刃こぼれはちゃんと直してある。並の武器が相手なら、それなりに役に立つはずだ」

「いや、そういうことじゃなくて」

「私の剣の腕は未熟だ。私が使っていたのでは、この刀が可愛そうなのだ。それに」


 ミズキの表情が、引き締まる。


「私は、私が超えるべき剣を手に入れた」



 ウィルとミズキが互いの過去を話したあの夜、ウィルの帰り際にミズキが聞いた。


「あの首領が持っていた剣は、どうなっただろうか?」

「あれですか? 俺が持っていますけど」

「そうか……。まあ、あれはいい剣だからな」


 ミズキがうつむく。


「その……」

「欲しいんですか? あの剣が」

「えっ? あ、いや……」

「あげますよ、ミズキさんに」

「本当か!?」


 身を乗り出してミズキが叫ぶ。


「俺はああいう大きな剣は使いませんから」

「本当にいいのか!?」


 さらに前のめりになるミズキに、笑いながらウィルは答えた。


「はい、もちろんです」

「すまない、感謝する!」


 ミズキが嬉しそうに礼を言う。

 そんなミズキを、眩しそうにウィルが見つめていた。



「私はもともと、自分が納得できる最高の剣を作るために旅に出た。だがこの五年間、私にとって最高の剣とは、常にこの刀だった」


 自らの手で打った愛刀を握り締めて、ミズキが言う。


「でもこの刀では、あの大剣に傷を付けるのがやっとだった。私の最高は、この世界の中では全然最高ではなかったのだ」


 愛刀を握る拳に力が入る。


「あの大剣を超える刀を打つことができれば、それは間違いなく私の最高傑作になると思う。私には、目の前に大きな目標が生まれた」


 力強いミズキの言葉。

 その声が、和らいだ。


「この刀が用済みという訳ではないんだ。こいつには、私の思いがたくさん詰まっている。だからこそ」


 ミズキが、ウィルを見る。


「今の私ができる、精一杯のお返しなんだ。どうか、受け取って欲しい」


 吸い込まれそうになるほどの、深くて神秘的な黒い瞳。

 その瞳は、とても真っ直ぐで、とても美しかった。

 

「……分かりました」


 ウィルが両手で刀を受け取る。


 ホッとしたように、ミズキが息を吐き出した。

 その目の前で、ウィルが嬉しそうに刀を見ている。


「ありがとうございます。大切にします!」


 嬉しそうなウィルを見て、ミズキが笑った。

 可愛らしい笑みを見て、ウィルも笑った。


 笑う二人を見上げるように、道端に咲く白い花も楽しそうに微笑んでいた。

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