ウロルの化け物
「マーク殿と会うのは久し振りだな」
「ご無沙汰してしまいまして、申し訳ございませんでした」
「いやいや、そんなことはどうでもよい」
気さくにロダン公爵が笑う。
「ロイ様はお変わりありませんでしょうか?」
「じつはな、最近ロイが、剣術の稽古を始めたのだ。同年代の子供に比べるとまだ線は細いが、いずれ見劣りしない程度には体もできてくるだろう」
目を細めて話すその表情は、かつて鬼神と呼ばれた男とは思えないほど穏やかだ。
「マーク殿には本当に世話になった。改めて礼を言う」
頭を下げる公爵に、マークが慌てて言った。
「どうかお顔をお上げください。私がどうしてよいか分からなくなってしまいます」
貴族が、ただの一般市民に頭を下げる。それをとても自然に行えるロダン公爵を、素直に凄いとマークは思う。
あの二人が惚れ込むのも納得だな
諸国にその名を知られた傭兵団、漆黒の獣の団長カイルと副団長アランの顔を思い浮かべながら、マークが微笑んだ。
フェリシアが入社するきっかけとなった魔物討伐。それ以来、漆黒の獣はイルカナに留まり、南部地域に発生する魔物の討伐に活躍している。
その漆黒の獣が、つい先頃解散した。そして、団員のほとんどがロダン公爵配下の正規軍に入った。
縛られることを嫌う傭兵たち。そんな男たちさえも魅了する人柄と器。
飛び抜けて強い兵士のいないイルカナが他国から侵略を受けていないのは、公爵率いる国軍が、高い士気と組織力を保っているからに他ならなかった。
「ところで、ご用件とおっしゃるのは……」
顔を上げた公爵に、マークが問う。
「ふむ、それなのだが」
姿勢を改めて、公爵が話し始めた。
武術大会を開催すること、その大会に、エム商会から選手を出してほしいこと。
「隣国からの招待選手には、間違いなくその国一番の猛者が選ばれるだろう。東のカサールからは、リスティ。西のコメリアの森連合からは、戦士ターラ。南のエルドアは参加しないと見ているが、北西のウロルからは、あの男が来るはずだ」
イルカナにとって最も警戒すべき国、北西の大国ウロル。両国の間に広がるコメリアの森を非武装地帯とする条約を結び、表面上は平和な関係を築いている。ゆえに、ウロルにも招待の使者は送られていた。
そのウロルに一人、化け物がいた。
「兵士長、サイラス。わしの知る限り、この大陸で最強の男だ」
公爵の目が鋭く光る。マークの表情が、自然と引き締まった。
ウロルの兵士長、サイラス。通り名は、風のサイラス。
サイラスが国王の求めに応じて軍に加わったのは、ごく最近のことだ。それまでサイラスは、冒険者としてその名を諸国に轟かせていた。
ランクはS。一国に一人いるかどうかという、冒険者としての最高位の持ち主だ。その武勇伝は数知れず、攻略したダンジョンの数は並び立つ者がいないとまで言われている。
「奴は強い。おそらくは、十年前のわしよりも強い」
はっきりと断言する公爵に、マークが驚く。
「そのサイラスと、まともに勝負のできる選手がどうしても必要なのだ」
声に切迫したものを感じる。改めて姿勢を正しながら、マークが聞いた。
「その男がいると分かっていて、なぜ武術大会を?」
イルカナの選手がその男にひどい負け方をすれば、兵士や国民に失望が広がるのは間違いない。イルカナ恐るるに足らずと、他国の意気を上げることにもなりかねない。
「ここだけの話にしてほしいのだが」
首を傾げるマークに、声を落として公爵が答えた。
「ウロルが、密かに軍備を拡張しているという情報がある」
「!」
声は出さなかったが、さすがのマークも表情を変える。
「もともとウロルは軍事国家だ。東方のキルグ帝国ほどではないにせよ、隙あらば国土の拡張を狙っている。そのウロルが、あの男を軍に引き入れて、さらには兵を増強し始めた」
国家機密レベルの話だ。マークは緊張しながら公爵を見つめた。
「ウロルが、このイルカナを狙っているとは限らぬ。仮に攻めてきたところで撃退するだけの体制は取っているが、戦争などしないに越したことはない」
マークが頷く。
公爵が続けた。
「大会を開けば奴が来る。我が国の偵察と、そして強さを計るために、ウロルはサイラスを送り込んでくるだろう。そこで奴を叩くか、負けるにしても対等の勝負をすれば、ウロルの気勢を削ぐことができる。戦争を回避できる可能性が高まるのだ」
税収の増加や国民のガス抜き、その狙いは確かにあった。だがロダン公爵は、この大会に戦争回避の可能性を見出していたのだった。
「国の平和のために、やれるだけのことはやっておきたい。またマーク殿に頼ることになってしまうが、どうかこの話、受けてはもらえないだろうか」
強い視線を、マークは真っ正面から受け止めた。
空気が張り詰める。二人は微動だにしない。
しばしの後。
「かしこまりました。そのお話、お受けいたします」
マークが笑った。
「すまない。感謝する」
公爵も笑った。
笑って公爵は、姿勢を正す。
「じつは、もう少し話しておきたいことがある」
その目を見て、マークの笑顔が消えた。
エム商会の事務所では打ち合わせが行われていた。
「武術大会?」
「そうだ」
首を傾げるミナセに、マークが頷く。
「何でまた、その話がうちに?」
「理由はいくつかあると思うが、まあ、うちの強さが国の上層部に認められたということだろう」
ヒューリを見ながら、若干曖昧にマークが答えた。
「それって、客寄せ?」
「シンシア……」
ポロリとつぶやいたシンシアを、リリアが呆れたように見る。
マークが苦笑した。
「正直に言えば、それもあるだろう。うちが出れば、大会が盛り上がるのは間違いないからな」
「そんなの見え見え」
苦笑が広がっていく。
「お前って、結構毒舌だよな」
ヒューリに言われたシンシアが、そっぽを向いた。
マークが続ける。
「イルカナ代表としては、兵士から一人選抜されるそうだ。それとは別に、招待選手としてうちから一人出してほしいと言われた」
それを聞いて、全員の目が一カ所に集中する。一人と限定されているのなら、迷うことなくそれは……。
「ミナセ。うちの代表として、大会に参加してほしい」
「私、ですか」
全員が当然とばかりに頷く中で、ミナセが、かなり気乗りのしない返事をした。
父であるウィルもそうだったが、ミナセも同じく、大会などにはまるで興味がない。
剣の修行をしているのは、道を究めるため。そして、大切な人を守るため。大勢の人から喝采を浴びることに意義など感じない。
そもそも”客寄せ”と言われて、生真面目なミナセが前向きになれるはずもなかった。
あまりに予想通りの反応に、マークがまたもや苦笑する。
エム商会を立ち上げたばかりの頃は、あんな顔を何度も見た。ただ、あの頃とは様々なことが変わっている。
「ミナセ、頼む」
「……分かりました」
結局ミナセは頷いた。昔と違って、今のミナセはマークの頼みを断ることをしない。あの頃とは環境も、そしてミナセの気持ちも変わっていた。
やるからには責任を持って引き受ける。ミナセはしっかりとマークを見つめた。
マークもミナセを見つめている。その目にミナセは、何かを感じ取った。
小さな揺らぎ。ミナセにしか分からないほどの、とても小さな揺らぎ。
「社長」
「なんだ?」
「……いえ、何でもありません」
「すまないな」
表情を引き締めるミナセに、マークが微笑んだ。
その時。
「あのっ!」
大きな声がした。全員が、びっくりして声の主を見る。
「それって、予選があるんですよね!」
「まあ、そうだな」
「それって、誰でも参加できるんですよね!」
「まあ、そうだな」
いやな予感がした。
全員の胸に、同じ不安が巻き起こる。
「社長! 私、有給を使わせていただきます!」
「……」
「私もその大会に出ます!」
金色の瞳が燃えている。背後に、ゆらゆらと揺れる謎のオーラが見える。
「私も大会に出ます!」
繰り返される強い決意に圧倒されて、しばらくみんなは、無言のままミアを見つめていた。
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