狂った男

「早くリスティ殿をお呼びしてこい!」


 準決勝の第一試合、カイル対サイラス。そのあまりに早い決着に、スタッフたちが慌てている。

 駆け出したスタッフに背を向けて、ミナセはゆっくりと歩き出した。

 その時。


「俺ならここにいるぜ」


 リスティが、通路の奥から姿を見せた。驚くスタッフたちを見向きもせずに、リスティがミナセを追う。

 ミナセに追い付き、だがミナセに並ぶことなく後ろを歩き出したリスティが、突然言った。


「さっき、俺のところに妙な手紙が届いた」

「手紙?」


 歩みは止めず、首だけを後ろに向けて、ミナセが聞く。


「そこにな、お前が抵抗しなかったとしても、遠慮なくお前を潰せって書いてあったぜ」

「!」


 思わずミナセが立ち止まった。


「世の中ってのは、きれいも汚いもないのさ。弱みを見せたら負け、弱みを握られたら負けなんだよ」


 止まったままのミナセをリスティが追い越していく。


「誰が何をしたのかは知らねえが、最初から俺には関係ない。お前を潰す、それだけだ」


 追い越すリスティの横顔を、ミナセが見つめた。その顔に表情はなかった。

 ミナセを一切見ることなく、リスティは、無表情のまま舞台に向かって歩いていった。



 ワァー!


 盛り上がりに欠けていた観客席に火が入った。


「ミナセー!」

「あんたが頼りだ!」

「やっちまえ!」


 大歓声が巻き起こる。

 ミナセの人気はもちろんだが、相手がリスティであることも、ミナセの応援を増やす大きな要因となっていた。

 本戦初日のリスティの試合。戦意を失った相手を執拗なまでに攻め立てるその姿は、ほとんどの観客に嫌悪感と、そして恐怖を植え付けていた。

 ミナセの勝利を願い、リスティの敗北を期待して、観客が大きな声を上げる。

 その歓声が、どよめきに変わっていった。


「何だありゃ?」

「あんなのありなのか?」


 舞台に上ったリスティを見て、観客たちが目を丸くする。

 リスティは、両手に一本ずつ剣を握っていた。背中には、さらに二本の剣。加えて、左右の腰に一本ずつ短剣を差している。

 布を巻いた刃は鞘に入らないので、背中の剣と腰の短剣は、すべて細い革紐で体に括り付けていた。


「全部で六本……」

「バカなんじゃねぇのか?」


 平然と舞台に立つリスティを、観客たちは呆れ気味に見ている。

 だが。


 まずいな


 ミナセが顔をしかめた。

 リスティの武装は予想外だ。しかし、それよりもっと予想外の出来事が、現在進行形で起きている。


 ミナセは、リスティに対して反撃ができない。

 仲間たちがリリアを助け出すまで耐えるしかない。


 せめて、金属の剣にするべきだった


 この試合までは、木刀でいけると思っていた。リスティの試合を見て、ミナセはそう判断していた。

 しかし、あの滅茶苦茶なリスティの攻撃をしのぎ続けるためには、木刀では強度が足りない。

 不利な条件が重なり過ぎる。さすがのミナセも、静止した水のようにとはいかない。

 そんなミナセを待ってくれるはずもなく、審判が二人の間に立った。


 審判の説明が始まった。

 目の前で、リスティが首を鳴らし始める。


 審判の説明が終わった。

 リスティの顔つきが変わっていく。


 審判が離れていった。

 リスティの体が揺らいで見える。

 立ち上る狂気がその姿を歪ませる。


「始め!」

「死ねぇ!」


 牙を剥いたリスティが、両手の剣を振りかざしてミナセに襲い掛かっていった。




「こっち!」


 シンシアが進路を示す。


「了解!」


 ヒューリが馬車を操る。


「右手の路地から人!」

「あいよ!」


 フェリシアの声で、馬車が左へと寄っていく。

 もはや衛兵の目など気にしていられない。町の中を、普通ではあり得ない速度で馬車は走っていた。


 マークの予想は当たっていた。精霊たちは、リリアの姿を見ていた。

 精霊は、その場所から動くことがないと言われている。つまり、リリアがどこに連れて行かれたかまでは分からない。

 だからシンシアは、精霊に”お願い”をし続けた。


「教えて、お願い!」


 リリアの姿を思い描き、お願いをして、シンシアは耳を澄ます。

 声を聞き、進路を示して、またお願いをする。


 不思議だわ


 フェリシアが、索敵魔法でヒューリを補助しながらシンシアを見た。

 かなりの速度で走っているのに、精霊たちは、ちゃんとシンシアに答えてくれている。

 しかも、おそらくリリアは、外から見えないように馬車か何かで運ばれていったはずだ。それでも精霊たちは、リリアを”見て”いた。


 ありとあらゆるところに存在すると言われている精霊たち。

 その精霊たちに、物理的な制約はないと言われているが……。


 この事件が解決したら、精霊について詳しく研究してみたいものね


「左から二人!」


 頭の片隅でそんなことを考えながら、フェリシアは、捉えた魔力反応を伝えていった。



 五人を乗せた馬車は、アルミナの東門を抜けて町を出た。しばらくすると、シンシアの指が右へ左へと細かく動き出す。

 馬車は街道から外れ、小川に掛かった橋を渡って、林の中へと入っていった。


「止まって!」


 フェリシアの声で、ヒューリが馬車を止めた。


「反応か?」

「はい。二百メートル先に、人間と思われる反応があります」


 マークに聞かれてフェリシアが答える。


「シンシア、方向は合っているか?」

「合ってる」


 シンシアが頷いた。


 そこは林の中の小道。

 ヒューリが、馬車を降りて足下を見つめる。前方に向かって、馬車の通った跡があった。


「この轍、まだ新しいです」

「よし、馬車はここまでだ」


 全員が馬車を降りる。


「フェリシア、偵察を頼む」

「分かりました」


 答えるなり、フェリシアの体がふわりと浮いて、林の中へと飛び込んでいった。


「ほんと、最強の偵察兵だよな」


 感心したように、ヒューリが言った。


 ほどなくして、フェリシアが戻ってくる。


「この先に小屋があります。馬車も停まっていました。入り口の前に男が一人。窓を締め切っているので、中の様子は分かりません。見張りの男の魔力は小さいので、男が索敵魔法を使えたとしても、十メートルまでは接近できます」

「分かった。じゃあ行くか」


 迷うことなく、道に沿ってマークが歩き出す。

 慌てて後を追うヒューリが、マークに聞いた。


「あの、社長。林の中から迂回するんじゃあ……」


 歩みを止めることなくマークが答えた。


「ギリギリまでこの道を行く。そうしないと、精霊たちに聞けないだろう?」

「あ、なるほど」


 リリアがこの先の小屋にいるかどうかを精霊に聞くためには、リリアと同じ経路を辿る必要がある。


「ヒューリは先頭、トラップの警戒だ。シンシア、続きを頼む。フェリシアは、反応に動きあればすぐ教えてくれ。ミアは、もっと力を抜いて魔力を抑えろ」


 歩きながら、マークが指示を出す。


「はい!」


 マークを追い越しながら、ヒューリは思った。


 やっぱ、社長って凄い!


 こんな状況だというのに、ヒューリは微かに笑っていた。




「おらおらぁっ!」


 リスティが激しく攻め立てる。


「くっ!」


 ミナセがそれをかわし続ける。


「ふざけんな!」

「反撃しろ!」


 観客たちの怒りの声が場内を埋め尽くしていた。

 貴賓席にいる王が、ロダン公爵に聞く。


「ミナセ殿は、どうして反撃をせぬのだ?」

「……分かりません」


 ロダン公爵にも答えようがなかった。

 カサールの大使や随行員たちも、怪訝な表情を浮かべている。そもそも可能性は低いのだが、やはりカサールが何かを仕掛けているという様子はなかった。

 アウル公爵がメガネを押し上げる。その顔にも不満が表れている。

 隣のカミュ公爵の顔に、表情はない。


「ミナセ殿」


 ロダン公爵が、険しい顔でつぶやいた。



 試合前の宣言通り、リスティは、事情を抱えているであろうミナセに容赦なく打ち掛かっていった。

 手を抜くこともしない。一片たりとも同情などしない。


 リスティが、狂ったように剣を振るう。二本の剣で攻めまくる。

 無駄の多い攻撃だった。力任せの攻撃だった。

 それでも、リスティの動きが鈍ることはない。リスティの体力が尽きる気配はまるでなかった。

 その上。


 滅茶苦茶過ぎる!


 ミナセは驚き、そして焦っていた。

 ヒューリと同じ二本の剣。ヒューリと同じ変幻自在の剣。

 だが、リスティの剣は根本的に違った。

 いや、”リスティの剣は”という言い方が、根本的に間違ってた。

 リスティに、剣で戦っているという認識は、おそらくなかった。


 リスティが、右手の剣を逆手に持ち替える。


「うりぁ!」


 剣ではなく、拳がミナセに迫ってきた。

 剣を握ったままの拳が、ミナセの顔面に襲い掛かる。


「くそっ!」


 ミナセが大きく体を逃す。

 柄と刀身が拳の左右にあって、紙一重で避けることができない。


「まだまだぁ!」


 振り切った拳が左に流れる。リスティの握る剣が、ミナセを追い掛けていく。

 当然それは読んでいた。読んではいたが……。


「なにっ!?」


 後ろに逃げていくミナセに向かって、剣が飛んできた。

 右手の剣を、リスティが躊躇うことなくミナセに投げ付ける。


 カンッ!


 ミナセが木刀でそれを弾いた。

 そのミナセに、リスティが体当たりを仕掛けてきた。

 反撃がないことを前提にした、普通ではあり得ない攻め方。


 ミナセが木刀を握り締める。

 リスティが、にやりと笑う。


「こいつ!」


 一瞬リスティを睨み付け、だがミナセは、やはりその体当たりを大きく跳んでかわした。


「はあ、はあ」


 ミナセの息が荒い。


「はあ、はあ」


 リスティの息も荒い。

 だが、その顔には不気味な笑み。


「楽しいなぁ」


 リスティが言った。


「一方的にいたぶるっていうのは、やっぱり楽しいよなぁ」


 狂犬よりもたちの悪い、狂った男がそこにいた。

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