殴り込み
パーティーで、公爵が招待客に向って話をしていた頃。
「社長、大変っす!」
「何だ、うるさい」
「エム商会が殴り込んできやした!」
「何!?」
「噂通りの、すげぇ美人です!」
「そんなこたぁどうでもいいんだよ!」
「へい、すんません!」
何しにきやがった?
コクト興業の社長が、引き出しの中のナイフを確かめながら考える。
天罰事件以来、教会に手を出すことを控えていたが、体調の回復したジュドー伯爵から、次の手を打つよう指示が来たばかりだ。
前回は犬を殺した程度で済ませたが、今度はシスターか子供を直接脅す必要があるだろう。
そんなことを考えていた矢先のエム商会だ。
奴らは間違いなく強い。だが、所詮は一般市民。伯爵に頼めばいつでも潰せる。
何をしに来たのかは知らないが、自分の後ろ盾をちらつかせればおとなしく帰るだろう。
社長が、余裕の笑みを浮かべて部下に言った。
「丁重にお通ししろ」
「へい!」
部下が、社長室を出ようと扉に手を掛ける。
次の瞬間。
ドガッ!
ノブを握った部下が、扉ごと吹き飛ばされてきた。
「何だ!?」
慌てて社長が立ち上がる。ナイフを取り出すことも忘れ、扉の下で失神している部下を目を丸くして見る。
その向こう、社長室の入り口に、ニコニコと笑う一人の男がいた。
その後ろには、黒い髪の美しい女と、赤い髪の美しい女がいる。
「これが、エム商会」
思わずつぶやいた社長は、”そんなこたぁどうでもいいんだよ!”と心で叫びながら、笑っている男を睨み付けた。
「おいおい。ずいぶんと失礼なことをしてくれるじゃねぇか」
素人ならそれだけで縮み上がるような目で凄む。だが、笑っている男は、まったく動じることなく部屋に入ってきた。
「すみません。あなたを脅迫しに来たもので、礼儀正しくしなきゃいけないなんて、考えもしませんでした」
「脅迫だと?」
「はい、脅迫です」
男の笑顔と言葉のギャップに、社長はうまく反応できない。
そんな社長に、男がさらに近付いてきた。
「俺は、エム商会のマークと言います。後ろの二人は、うちの社員です」
丁寧な自己紹介に、ますます社長が混乱する。
「手短に用件を言います。アルミナ教会から手を引いてください」
その言葉で、ようやく社長の頭が動き出した。
「教会? いったい何の話……」
シュッ!
口を開いた社長の目の前に、突如鈍く光る剣先が突きつけられた。黒髪の女が、無言のまま剣を握っている。
「ひっ!」
あまりの速さにまったく反応できなかった社長が、ずいぶんと遅れて悲鳴を上げた。
「余計な時間は取りたくありません。先ほどの話、分かっていただけましたか?」
笑顔のままのマークが、変わらない調子で言う。
「き、貴様等! こんなことをしてただで済むと……」
ヒュン!
強気な言葉を口にしようとした社長の頬を、何かがかすめた。反射的に頬を手で押さえた社長が、鋭い痛みに驚く。
慌てて離したその手には、鮮やかな血が付いていた。
「ひぇっ!」
再び悲鳴を上げるその前で、赤髪の女が無表情に剣を握っている。
やばい!
裏社会を知り尽くしている社長は、人を殺せる人間とそうでない人間を見分けることができる。いくら強がっていても、どんなにハッタリをかましていても、一線を越えられる人間かどうかは見れば分かる。
その経験が、激しく警鐘を鳴らしていた。
こいつらはやばい!
この建物には二十人以上の部下がいたはずだ。それなのに、これだけの物音に誰も駆けつけてこない。
若い頃に経験した”死ぬかもしれない”という感覚を、社長は久し振りに思い出していた。
「お、俺には伯爵家が付いてるんだぞ。お前たちなどいつでも……」
「ああ、ジュドー伯爵ですね」
社長の抵抗の言葉を、マークが軽く切った。
「今ごろ、ロダン公爵の迫力に縮み上がっているんじゃないですか」
「ロ、ロダン公爵?」
イルカナ王国を仕切る三公爵の一人、ロダン公爵。
なぜそんな大物が?
「あなた方は、うちの会社のことをずいぶん調べていたようですが、甘過ぎますよ。あなたや伯爵のような小物が、うちの会社をどうにかできるとでも思っていたんですか?」
もはや、社長に言葉はなかった。
マークの笑顔も、黒髪の女の美しい顔も、赤髪の女の無表情な顔も、すべてが恐怖の対象だった。
「あなたに選択権はありません。教会から手を引く。それができないなら死ぬだけです。分かりましたね」
社長は、全身にびっしょり汗をかきながら、小太りの体を小刻みに振るわせている。
「分かりましたね!」
「はいっ!」
突然の強いマークの声に、裏返った声で返事をした。
「結構です。では、我々はこれで」
それだけ言うと、何の躊躇いもなく社長に背を向けて、マークは歩き出した。
二人の女も、剣を収めてあとに続く。
三人は、ドアの下敷きになっている部下の横をすり抜けて、あっという間に部屋を出ていった。
ドスッという音を立てて、社長がイスに腰を落とす。そして、背もたれに背中を預けながら、大きく息を吐き出した。
「死んだら元も子もねぇんだ。俺は、まだ死にたくねぇ」
目を閉じ、なぜか浮かんできた家族の顔を瞼の裏に見ながら、社長がつぶやいた。
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