第6話 歳が違うけど……嫁?

 改めて見ると、ドアを開けたときに誰もいないじゃないかと思うほど身長が低いことはなかった。その子の頭のてっぺんが、私の胸の高さぐらい。気付けなかったのは、私の思い込みのせいだ、来客は大人に違いないという。

「えっと、君は」

 思わず尋ねてしまったが、これはまずい質問だった。目の前の子はまず間違いなく、私が、つまり岸未知夫が受け持つクラスの児童で、委員長か副委員長だろう。絶対に名前を覚えていないとおかしい。

 私はミスを補うべく、言い足した。

「すまん、まだ頭がぼーっとしてるんだ。それに急に休んで、悪かったと思ってる」

 ごまかしの言葉を並べていると、心臓の鼓動が早くなった気がした。嘘を吐いている心苦しさの表れか。いや、違う。この感覚は……長らくなかった感覚だ。

 一目惚れ?

 その考えに、私は慌てて首を水平方向に強く振った。

 何だって小学生の女の子に一目惚れするのだ。あり得ない。

 私は、元いた十五年後の世界でも小学校教師をしてきて、一度たりともそんな感覚に囚われたことはない。一切だ。微塵もだ。


「まさかほんとに頭かどこかを打って、おかしくなってる?」

 女の子から心配げに覗き込まれた。その見上げてくる様に、どことなく何となく、覚えがあるようなないような……いや、覚えがあるはずがない。この子と面識があるはずないんだから。

「“ほんとに”って……吉見先生が言ってたのか」

「うん。朝、ここに来たんでしょ?」

「来たよ。色々お願いしたんだけど、頭を打ったはひどいな。頭痛は頭痛でも、中から来る方だ」

「ふうん。今はだいぶましになったように見える。よかったね」

 外見だけで判断して決め付けるなよなと言いたくなるシチュエーションだったが、どうしてだか注意する気にならない。

「風邪とかじゃないんなら、上がっていこうかな」

 そう言うと、私が腕で支えていたドアの隙間から、するりと入って来た。

「はい閉めるよ、先生。鍵も掛けとかなくちゃ」

「……」

 防犯の観点からは正しい行動だが、別の意味で問題があるような。

 この子はぐいぐい来るけど、しつけはされているらしく、脱いだ靴の先をちゃんと外向きにしてから揃えていた。ピンク色を主体に使った、いかにもこの年頃の女子が好みそうな――なんて言うとお叱りを受ける時代なんだが、十五年前なら大丈夫だろうか――配色のスニーカーで、ワンポイントだけ何かのキャラクターの顔が施されている。

 と、その靴を見下ろしたとき、内底に黒のサインペンか何かで文字が書いてあるのが見えた。名前だろうと見当を付け、自分の靴(いや、自分の靴ではなく、岸未知夫の靴だが)を整理するふりをしてしゃがんだ。そして視線をちょっとずらして、少女の靴の中を覗き見る。

 みほ、と読めた。下の名前だろう。

 名字は奥の方に隠れている。教え子の靴の中を執拗に覗くのは何とも気が引けるが、このあと、名前を呼ぶ必要も出て来るだろう。やむを得ない措置として、靴を手に取った。

 ようやく見えたその文字は。

「――あませ!?」

 声のボリュームが大きくなってしまった。

 “あませ みほ”って……。

「先生、何なに?」

 足音を立てて飛んできた。どこかに置いてきたのか、ランドセルが背中からなくなっている。

「どどうした」

「どうしたって、名前を呼んだでしょ」

「う」

「岸先生、変。どもったりしちゃって」

「……」

 色々と聞きたいことは、頭の中に溢れている。だが、聞く訳にいかないものばかりじゃないか。君は“天瀬美穂”なのか。私が知っている、結婚相手の?


 つづく

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