第187話 ちょっと違う一度目と二度目

 支払いのときにレジ前に立った西崎さんを斜め後ろからちょっと覗かせてもらったところ、彼の財布には万札が結構多めに詰まっているのが見て取れた。宝くじ当選は正真正銘、事実のようだ。

 店を出たところで私が礼を言うと、逆に礼を返された。

「中年男のわがままに付き合ってもらって、大変申し訳なかったですね。でも、心の底からありがたく感じているのは、嘘偽りのない気持ちです。今晩、あなたに会えてよかった」

「僕は何もしてませんけどね」

 帰りもタクシーを呼んだ。あぶく銭かもしれないが、奥さんが残したと言えなくもないのだし、残りは大事に使ってくださいよと、車中で余計なお世話を焼いた。

「そうだ。私の方からも余計なお世話――でもないかな、確か先生のクラスの子だったはず。六谷という男児がいるでしょう?」

「え、あ、はい」

 いきなりその名前が出て来て、多少どぎまぎした。また何か未来の出来事を口走って、聞かれていたとかじゃないことを願う。

「あの子が何か」

「彼、以前と性格が変わったように見えるんですよ。前は、校庭の端っこで一人遊びをしていたのをよく見掛けました。それも通常の時間帯だけでなく、朝早くや放課後割と遅くまで。ですが、今年に入ってから朝夕はほぼ見掛けなくなった。いつもいたのが見えなくなるときになるもので、何かあったのかなと悪い方の想像をしていたのです。私も心に余裕があれば声を掛けたかもしれんのですが」

 奥さんを亡くしてしばらくは難しかろう。通常、他人のことに関わるには相応のパワーがいるものだから。

「しばらく経ったら、元気そうにしているのを目撃できたのでよかったと思ったのですが、何か性格ががらっと変わったという声が、ちらと耳に入ったものですから。まさかとは思いますが、本人もしくは家族が新興宗教にかぶれてはいないかと」

「新興宗教ですか。ないと思いますが、何でまたそんなことを思い付かれたんです?」

「一度だけ、妙なことを呟いているのを聞いたので。いやまあ、今の私があれを“妙なこと”と表現する資格はないのかもしれませんがね。タイムリープだかタイムスリップだかを本気でできると考えているような、そんな独り言でした」

「ははあ」

 なるほど、飲み込めた。小学六年生男子が時間旅行できることを信じているように喋っただけなら、その年齢の子供にままあることだなで済むだろうけれども、そこへ性格の激変という要素が加わると、一気に不安が膨らむというわけだ。もしや新興宗教のせいではと考えてしまう西崎さんのその心情、大いに納得できる。

「心配無用だと思いますよ。僕が見ている限り、変化は確かにしているけれども、悪い意味ではないし、ちゃんと本人も分かっています。何て言うのか名前は忘れましたが、お笑いのファンになったのがきっかけみたいで」

「お笑い? それはまた私の見てきた六谷君とはイメージが結び付かない。いやあ、子供ってのは成長が早いもんですなぁ」

「西崎さんの息子さんだって、同じだったと思いますよ。『ドラえもん』を楽しみにしていたのならなおさらです。小六の子がタイムマシンを信じたって、取り立てておかしいってことはないはず。でしょう?」

「確かに。小六はやや遅い気もするが」

 自宅までの距離から言って、先に家に着いたのは西崎さん。彼の家がすぐそこに見える位置で停車したのだが、私のところと似たようなアパートだった。目と鼻の先似明かりの点っている窓、点っていない窓を眺めて、はたと気付く。

「あの、西崎さん、息子さんは?」

 私を誘うくらいなら親子で食べればいいのにと、何で今の今まで思わなかったんだろう。見ず知らずの高校生ではあるが、悪いことをしてしまったかもしれない。

「あれ? 言いませんでしたか。息子は今、修学旅行なんですよ。出発したばかりです」

「あ、そうでしたか」

 その返事で安心できた。

 それではまた明日、学校でと挨拶を交わして、西崎さんとは別れ、タクシーに揺られてうとうとしながらも帰宅したのは夜九時が近かった。

 仕事が残っていなければ、映画館にでも立ち寄って何か観ていきたい気分だったが、さすがにブレーキを掛けた。

 六谷の家から電話連絡がないかと待っていたのだが、そちらの方に動きはなかった。

 彼にはまた一つ、尋ねておきたいことができていたのだが。どんどん“宿題”が溜まっていく。

 今日思い付いた尋ねたいこととは、西崎さんについてだ。些細なことではあるんだが……本来の二〇〇四年では、私(岸先生)は五月の事件でしばらく教職を休み、そのまま学校を出てしまったという流れだったはず。だとしたら、今夜、西崎さんは私と偶然会って、一緒に食事を摂るなんてことにはなっていなかった可能性が高いのではないだろうか。会っていなかったのなら、西崎さんは誰かと食事をしたのか、ひとりぼっちだったのか、あるいはあの店での食事そのものをやめていたのか。

 妙に気になる。元々はどうだったのかを、六谷が知っている可能性は低いだろうが、他の人達は絶対に知っているはずがない。聞くとしたら六谷しかいないわけだ。


 つづく

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