第381話 間違った罪で捕まるところだった

「何?」

 これはまた妙なことを言い出したな。私がじろりと見やると、神内は身体ごと向きを変えて視線を避けた。口の方は動かし続けている。

「それも服を脱いだ格好で。一糸まとわぬかどうかは分からないけれども」

「おい、何を言ってるのか本当に分からん」

「そういう風に外的要因をコントロールするってこと。言っておきますけど、私の本意じゃないんだからね。彼女が夜中にトイレに立つように仕向け、手洗いが終わって戻るときに方向感覚を若干狂わせると、あなたの布団に潜り込ませることは容易にできる。その上で身体がほてるように彼女の周囲だけ温度を上げれば、恐らく服を脱ぐ」

「やり方の説明はどうでもいい。何のためにやるんだ、そんなふざけた真似を?」

 さっきから脳裏をクエスチョンマークが湯気を立てて飛び交っている。意図が読めない不可解さプラス怒りだ。

 しかし神内は私には直接応対せず、平板な口調でまだ続けた。

「あなたが目を覚ましたのと時をほぼ同じくして、部屋のドアが激しくノックされる。ドアを開けると、近所の警官がいる。隣の部屋の、えっと脇田さんだったかしら。彼女の通報により水害の余波が残る中、一大事だと警官が駆け付けたの」

「脇田さんがどうして通報を……」

「脇田さんには夜の間に、幻聴を聞かせておく。隣の部屋から、男女のいちゃついている声や物音をね。あとは勝手に思い込んだ脇田さんが、警察に一報を入れる」

「おいっ」

 がっ、という音がして右手拳に衝撃と痛みが走る。無意識の内にデスクに拳を振り下ろしていた。

「もういっぺん聞くぞ。いったい何の目的でそんなことをしようと企んでいた? 死神、あんたが答えろ!」

 私がデスクを激しく震えさせたというのに、ハイネは座ったまま、両肘をついてほとんど動かない。人差し指を突きつけた私に対して、ゆっくりと面を起こして返事する。

「いいですよぉ。たいして時間掛かりませんしぃ」

 フードを目深に被ったままだから顔ははっきりとは見えない。嫌な声を嫌な感じに響かせるハイネ。

「夢の中で脅せないのなら、あなたには実世界で責め苦を味わっていただこうと考えたんです。もしも今言ったことが現実に起きていたとしたら、人生めちゃくちゃになるでしょ、多分」

 自分の歯ぎしりの音を聞いた気がする。

「ハイネ。あんただけは絶対に許さん」

「ほう? これはまた急な宣言ですねえ。具体的にどうしようと?」

「勝負で叩きのめす。勝負事が相当好きで、得意にしているようだが、そんなあんたが人間ごときに敗北を喫したら、評判はがた落ちになるんじゃないか? 今の地位が揺らぐほどに」

「確かに。上級の神から光栄にも打診され、自信を持って引き受けた役目だというのに、完敗を喫しようものなら、信頼を失うかもしれませんですねえ」

 認めたあと、これは愉快愉快と手を叩く。身体を揺らしたせいで表情がやっと覗けたが、ちっとも愉快そうじゃなかった。深淵から這い出てきてぎょろりと剥いた目は、死神というよりも、怪物か悪魔めいたものを感じさせる。

「聞きましたか神内さん?」

「え、あ、はい」

 ここで相づちを求められるとは思っていなかったらしい神内は、へどもどした応答を返しただけだった。

「この人間は私を叩きのめすと言っています。えらいことになりました。あなた、勝負の際は私のためにも手を抜かないでくださいねぇ」

「無論です。私は勝負事はどんな事情や背景があっても、勝利するためにのみ尽力する神ですから」

 誇りを傷つけられたと言いたげに胸を張り、神内は強く言い返した。

「はい、そうであることを願っておりますよ。さて、岸先生。ここまでこの死神といたしましては、かなりのサービスを施して差し上げたつもりですが、いかがかな?」

「ふん。それなりにいい話が聞けたと思っているよ」

 腹立ちを努力して押さえながら答えた。

「その分、少し遊んでいきませんかねぇ。あなたの実力を測るためのちょっとした問題を出しますので」

「問題? クイズか何かか」

「まあそのようなものです。ああ、この問題に関しては何のご褒美もペナルティもありませんので、気楽に臨めますよぉ。制限時間内にあなたが正解できるかどうか。それを見届けられたら自分は満足ですから」

「……神内さん。ハイネの言葉を信じても私は大丈夫なのかな? あなたが保証してくれれば、話に乗ってもいい」

「随分と私のことを買ってくれてるのね。ま、対決本番では甘い顔もできないだろうから、せいぜい馴れ合いを楽しんでもいいんだけれど……岸センセ、そこまで死神を疑うのであればもっと大事なことを確約させる方が先じゃない?」

 そう言った神内が目配せする。やはりそうか。私は再びハイネに向き直り、気になっていた点を言葉に乗せた。

「この“会談”が終わって、私が目覚めたあと、あんた達が言ったような事態は起こらないと保証してもらいたい」

「言ったような、とは?」

「この期に及んでとぼけないでくれ。天瀬が私の布団に潜り込んでいるとか、起き抜けに警察に訪問されるとかだよ」


 つづく

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