第148話 間違いのない目
「どうぞ。お待ちしています。ついでながら、移動する間はお暇でしょうから、こうなったいきさつについてもお話します」
拍子抜けするほどの優しい口調で返事され、しかもご丁寧なことに説明までするという。
おかしな成り行きなのはもう間違いないが、相手に悪意があるようには感じられない。もちろん巧妙に隠しているとも考えられなくはないが、とりあえず切迫した事態でないことは確かなようだ。私はタクシーを拾って、行き先として店の名を告げた。
そして車中で、杉野倉からの詳細な説明を聞いた。
相手の話によれば彼は大阪生まれの大阪育ち。今日は仕事は休みで、うるさい上司から解放されるために携帯端末を置いて、京都まで観光に来た。骨休めのつもりだがスカウトがてらでもあったという。ところが突然、腹痛に襲われ、手近の入りやすそうな店に飛び込み、トイレを借りた。そこでお茶を飲んでから出たはいいが、しばらくしてポーチタイプの鞄を忘れたことに気付いた。探しに戻ったものの、トイレのために飛び込んだ店だからよく思い出せない。途方に暮れて道端で、メニューをぶつぶつ言いつつ、店名を思い出そうとしていた矢先、天瀬や六谷のいる一行が通り掛かった。
杉野倉の独り言を聞き咎めた天瀬は、前もって観光地のお店をくまなくチェックしていたおかげで、その店が「たてがみ」であることが推測できた。杉野倉があまりに弱った様子だったので、「今言っているお店って、『たてがみ』だと思いますよ」と声を掛けたらしい。優しいな。
杉野倉の方は感謝したものの道順が分からない。検索すれば判明する可能性が高いが、携帯端末は身に付けてこなかった。一方、天瀬は道順が分かるし、割と近いので一緒に行きましょうかとなり、案内役を買って出た。六谷はこの一連の流れをだいたい見ていて、心配だからと念のために着いて来たようだ。
このとき誤算だったのが、天瀬も六谷も班を離れるに当たって、声を掛けたつもりだったが、どうもうまく伝わらなかったらしい。尤も、声を掛けたからといって離れて別行動を取るというのは、感心しないが。
といった辺りで店に到着してしまったので、続きは店内で直に会ってからとなる。
一応、タクシーに乗って電話越しに話を聞き始めた時点で、ほぼ無事に解決だという感触は得ていた。けれども、喫茶店に入って実際に天瀬と六谷の姿を見ると、違う感慨が湧き上がってきた。無事でよかった。第三者の目がなければ、まず間違いなく抱きしめていた。――天瀬だけじゃないぞ、六谷も含めてだ。
「あまり時間を掛けていられないので、手短に願います」
挨拶もそこそこに、四人掛けのテーブルに四人目として座った私は、残りの説明に耳を傾けた。
「忘れ物は無事に見付かりまして、そのお礼にとお茶に誘ったのです」
「それは――」
小学生、しかも修学旅行中の子供を相手に取る行動としてはいかがなものかと意見しようとしたのだが、まさかの天瀬に先手を打たれた。
「怒らないで、先生。私達の方が物欲しそうにしてたんだから」
「……本当に?」
「うん」
天瀬に続いて、六谷も黙ってうなずく。うう、この状況では杉野倉に注意できなくなってしまった。あとで何とか連絡を取って、一言注意しようと心に留め置く。
「それでお茶を飲み始めたのですが――」
杉野倉が頭を掻いた。申し訳なさげにする態度は初対面のときから続いているが、そこをもう一段ステップアップしたように頭を垂れる。それからひそひそ声になって続けた。
「こちらの天瀬美穂さんが金の卵に見えてきまして」
「はあ、金の卵」
「将来的にタレント活動をしてもらうのはどうかなと、お誘いをしたところでした。早い方がいいのはいいのですが、高卒ぐらいからでも全然問題なく、間に合うと思うんですよね」
なるほど。スカウトされたというのは、そういう経緯か。色んな情報・状況の断片を持って来て、独り合点して組み合わせたものだから、てっきり、街中でスカウトに声を掛けられ、ほいほい着いていったのかと、呆れ、心配した。
「お言葉を返しますが、この年頃の子供の顔なんて、ちょっと経てばがらっと雰囲気が変わるのでは」
「そこは私もプロですから、見る目には自信があります」
おっと、急に大きく出たな。多少、常識外れな部分はあるようだが、業界人としては優秀な人物なのかもしれない。
そしてその言葉がまずまず正しかったことを、私は実体験を通じて知っている。私が知る十五年後辺りの天瀬美穂は、それはそれはきれいになっているし、人まねに陥らない個性的なファッションセンスを持つようになるんだぞ。
だから、杉野倉の鑑識眼にだけは敬意を表する。だが、彼女をタレントにさせることは絶対にできない。
もしそんなことになったら、十五年後の私との結婚話は確実に吹っ飛ぶだろう。何年か遅れて天瀬と結ばれる可能性はゼロではないかもしれないが、正直言って自信がない。そもそも、芸能界入りした天瀬と知り合うきっかけなんて、巡ってくるのだろうか。
つづく
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