第147話 父親とは違うけど父親気分

 そ、それは怪しげな、いわゆるアダルトなやつとは違うのか? あるいはジュニアアイドル的なきわどいのとか、もしくは搾取されるだけの詐欺とか。お父さんは許しませんよ!――的な心持ちになった。このときの焦りは、恐らく素数をいくら数え上げたって落ち着けない。

「何の話をしてるんだ?」

 深呼吸と同時に質問しようとして、おかしな口調になった。慌てて言い直し、天瀬からの詳しい説明をまだかまだまと待つ。

「信じてもらえないかもなんだけど、タレントにならないかって」

「タレント? タレントと言われただけ?」

「うん」

 やはり、そういう話なのか。具体的なジャンルを提示していない辺り、怪しさがいや増す。

「店には、大人の人が大勢いるか?」

「え? ええ、いるわ。お店の人もそうだし、テーブルは七十パーセントぐらい埋まってるけど、そのほとんどが大人の人。他は親子連れとか」

 店内を見渡す気配が、何となく伝わってきた。ざわざわした空気も同様に感じ取れる。これならいざというとき、叫べば何とかなるはず。

「天瀬さんをスカウトしてきた相手の人はどうしてる? いるんなら、代わってくれるかな」

「いいよ。ちょっと待ってね。――先生が代わってほしいって、はい、杉野倉すぎのくらさん」

 通話口の押さえ方が甘いようで、声が漏れ聞こえた。スギノクラ……どんな野郎なんだ。

「はい、お電話代わりました。お待たせしてすみません。私は杉野倉英二えいじと申します」

 声だけ聞いていると、男前がイメージされる。爽やかとは違う、男臭いのとも違う、アニメの美形二枚目キャラが一番近い。そんな甘い声で物腰はやわらかく、やや早口。典型的な詐欺師では? 警戒心を強めつつ、とにかくこちらが名乗ろうしたんだが、相手の方はまだ終わっていなかった。

「松竹梅の杉に、田野倉の野倉、英語のAじゃない方の英、ににんがしの二で、杉野倉英二と書きます。お見知りおきを」

「――うん?」

 勝手に声が出た。何だ何だ。今、凄くおかしなことを言われた気がする。

「あの」

 聞き違えたかと思って、再度確認をしようとした私の耳に、電話の向こう側の様子が伝わってきた。天瀬と六谷と思しき子供の笑い声があって、続いて天瀬が、「ほらねえ、だから言ったでしょ、先生には通じないって」と呆れ声でたしなめている感じ。

「ほんとや。渾身の自己紹介ネタだったんやけどなあ」

 これは杉野倉の台詞。甘い雰囲気は残しているものの、急に情けない響きを帯びている。

 何だか一人、置いてけぼりを食らっている気分になってきたぞ。怒っていい場面だろ、これ。しかし子供達が向こうにいるからには、慎重の上にも慎重を期さないと。

 予想外の展開に足が止まっていたけれども、「たてがみ」なる喫茶店に向かわねば。動きながら、電話の向こうに呼び掛ける。

「おおい、どうなってる?」

「――失礼をしました」

 杉野倉が再び出た。

「本当にすみません。先ほどのは、私の持ちネタと言いますか、初対面の方に笑っていただくためのものなのですが、こちらのお子さん方がうちの先生には通用しないと強く主張されたものですから、つい、試してみたくなりまして。果たしてその通り、お気に召さなかったようで、一言もありません。誠に申し訳なく、お詫びします」

「……」

 分からん。声は大人のそれに聞こえるが、実は子供、未成年なのかもしれない。そんなことを想像しつつ、「えー、杉野倉さん」と話し掛ける。

「はいっ」

 打てば響く返事のよさ。うーん……困惑が広がるのが自分でもよく分かる。こんな相手に細かな情報を言って大丈夫かな。

「私は関東のある小学校の教師をやっています、岸と申します。今、修学旅行で皆を引率しておりまして、そちらのそばにいる二人の子の担任です」

「はい、お子さん達から伺っております。大変、児童思いの方だとか」

 照れるようなことを挟まれると、調子が狂うな。

「それで、杉野倉さん。失礼だが、あなたは何者ですか?」

「私はKWという芸能事務所の人間で、一応、タレントのスカウトが主な職務ですが、基本的には何でもやります」

 KW。すぐさま検索して調べたいところだが、あいにくとそれに使える機器を持っていない。ただ、KWプロダクションだとすれば、私でも知っている芸能事務所の一つだ。

「事務所の電話番号を教えてもらえますか。今からそこへ掛けて、杉野倉英二という人物が本当に社員として在籍しているかどうか、確かめたいのです」

「かまいません。ただ、電話した先が本物のKWプロダクションかどうかは、岸先生には判断が付かないのではないでしょうか」

 確かに。事務所の電話番号自体が嘘で、つながった先はどこかのレンタル事務所、杉野倉の仲間達がそれらしい芝居をすれば、信用してしまうかも。

「ご心配なのは分かります。私の方からお子さん二人を連れて行ってもいいのですが、それだと岸先生の方がご不安でしょう?」

「それはまあ。そこを動かないでもらいたい。今、向かっているので」

 私は語気に一段と力を込めて要求した。先方の反応は果たして。


 つづく

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