第146話 聞き違い?

 では長谷井達には予定のスケジュールに従って移動するよう、促した方がいいのか? それだと天瀬の足取りが途絶えた場所が曖昧になりはしないか。位置情報を把握する機能は、伊知川校長の持つ機器のみが使えるという、肝心なところで役に立たない仕様になっていた。校長を探して掴まえるまで、どれくらい時間が掛かるのは見当が付かない。電話なら掛けられるが、やり取りして位置情報を調べてもらう間にも事態は進んでいるわけで……。

「よし、今から僕がそちらに向かう。君達は元々の予定通りに移動を始めて。ただ、天瀬さんの向かった方角にある店でも通りでもいいから、名前が分かれば教えてくれるか。早く頼む」

「それなら」

 長谷井は前もって準備していたのか、すらすらと答えた。メモを取るために聞き直さねばならないほどだった。

「気を付けるんだぞ。これ以上、はぐれないようにな」

 私は電話を切ると、天瀬の持つ電話に掛けた。

 これがもしつながらなければ、校長に電話連絡して、位置情報を照会してもらおう。

 呼び出し音の往復が三回続いた。これが五回に、いや、端末を入れた位置によっては取り出しにくくなっている場合も考えて、十回を数えたら校長に連絡しよう。そう心に決めた矢先――。

「はい?」

 つながった。

 この声は天瀬……なのか? 電話の声は電話局がよく似た声を選択して変換して流している、等という話を聞いた覚えがある。余計な知識のせいで、似ている声にも自信を持てず、疑ってしまう。

 ためらって「天瀬か?」の一言を出せずにいると、向こうから再度、声が届いた。

「あれ? おっかしいな。先生じゃないんですか?」

「――そうだよ。岸だ。そっちは天瀬だよな」

 このときの私は「岸だ」と言いつつ、心では「貴志だ」と名乗ったつもりだ。

 安堵の息を飲み込み、冷静さに努めて聞き返す。返事を待たなくても、もう天瀬美穂だという確信を持てていた。

「うん。どうかしたんですか」

 この声の調子なら、少なくとも現時点ではトラブルに陥ってはいない、そう信じられる。

「どうかしたかって、それはこっちの台詞だ。今、どこにいる? 無事か?」

 怒りたいやら喜びたいやらで、感情のコントロールに大変苦労した。返事に意識を集中しているせいか、時間が凄く長く感じられるし。

「カフェにいます。『たてがみ』っていう日本風の喫茶店」

 たてがみ? 馬? 「競馬場 → ギャンブル」とか、「馬 → 長い(なにが)」とか、悪い方向への連想が同時多発的に起きる。まだ安心してはいけないのか。それとも私が取り乱しているだけか。

「お茶するのはかまわないが、単独行動はだめだろ」

「単独じゃありませんよー」

 すねた調子ですかさずの返事。やっぱり、店だか道だかを聞いてきた男と一緒なのか。どういう素性の野郎なんだ。

「班のみんなから離れたのは悪かったと思ってるけど」

「その話はあとでいい。誰と一緒なんだ。そいつと代わってくれるか」

「え、ええ、いいですよ」

 通話が中断する間、私は思い切り息を吸い込んだ。事と次第によっては、いや、もう頭ごなしに怒鳴りつけてやる気満々で、準備をする。

「代わったよ、先生」

「――ん?」

 もう少しで怒鳴るところだったが、よく飲み込めたと我ながら感心する。何故って、聞こえて来たのは子供の声で、しかも「先生」と来た。

「誰?」

「あ、ひどいよ、岸先生。天瀬さんは分かるのに、僕は分からないなんて」

「その声……六谷君だな?」

 落ち着いて聞いたらすぐに分かった。しかし、何で彼が一緒にいる? 長谷井じゃないのか? いや、そんなことは問題ではなく。

「どうして一緒にいるんだ。長谷井君達の班だろ?」

「途中で同じコースになるから、八班と合流したんです」

 それは知っている。そのあとどうなって、今、二人一緒にいるのかを聞いているのだ。長谷井の話では、はぐれたのは天瀬一人みたいだったが、もう一人、知らない内にはぐれたというのか。それとも長谷井の話の途中で私が遮ってしまったために、六谷に関しては言いそびれたのか?

「で、揃って歩いてたら、天瀬さんが大人の人に話し掛けられて、みんなから遅れ出して。だから、僕だけちょっと待っていたんだよ。見ていたら、脇道に入っちゃったからこれはしょうがないなーと思って、追い掛けた」

「危なくはなかったのか」

 内心、凄いじゃないか六谷、見直したぞと拍手を送りつつ、聞き返す。

「危なくはないです。いまんとこ」

「今のところって、これから危なくなるみたいな言い方だが、本当に大丈夫なのか。その天瀬さんに声を掛けてきた人は、どうなった?」

「それが……天瀬さんと代わります。その方が分かり易いと思うから」

「あ? ああ、分かった」

 状況が見えてきているようで、今ひとつ、今ふたつぐらい釈然としない部分が残っているような。早くこのもやもや感を振り払いたい。

「岸先生。怒らないで聞いてね」

「――ああ」

 天瀬の話次第だと言いたかったが、ぐっと堪える。

 こちらが物分かりのよい応答をしたからだろう、天瀬の声が弾んだものになるのが手に取るように分かった。

「私、スカウトされちゃった」

 なに~っ!?


 つづく

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