第506話 伝言板とは時代が違うと思いきや

「それでも部分的には、調べ終わってるんでしょう? 分かった限りでいいから教えてください」

 上機嫌の続くハイネの気分を害さぬよう言葉を選び、かつ、必要以上に下手に出ることのないように注意を払いながら、神内は要望した。

 対してハイネは、また一段と笑みの色を濃くした。

「ふふん、君のあの人間への肩入れ具合が、手に取るように分かるな。そこまで気に掛けておるのなら、自分自身で当たればよいだろうに。ま、よかろう。二〇〇八年頃まで追えたところで、その段階では何も起こらないとだけは言える」

「そう……。ありがとうございます」

 一応の安堵をしつつ、神内は形ばかりの礼を述べた。そして心中で改めて思いを馳せる。

(さっき作ったメモ書きに、このことも付け加えるべきかしら。情報は少しでも多い方がいいんじゃないかと思っていたけれども、何か起きると決まったものでなし、彼らにとって未来の情報がいたずらに増えても、混乱を招くだけかもしれないし……難しいところだわ)

 頭を悩ませること一分弱。神内は注意喚起のメモを完成させ、岸先生への夢に登場させる手筈を整えた。


             *           *


 どんぶり茶碗を持つ左手が、ずいっと沈んだ――そんな感覚に襲われ、はっとなる。目がぱちりと開き、自分が今どこにいるかを再認識。自室――岸先生の部屋だ。窓の外はすでに日が暮れて暗い。円形の座卓に向かって座っていて、目の前では古い型式のテレビがニュースを伝えている。

 夕食を摂っているところだった。余り物かつ賞味期限の近い物を使って、適当な丼物を作り、意外といける味に仕上がっていてほっとしたのを覚えている。それからしばらくして食べきらない内に、急な眠気に誘い込まれたようだ。

 普段、寝不足等が原因で日中に眠くなるなんてことは、多くはないが稀にある。今回もそれか。今日の朝は特に疲れが抜けきっていなかったという自覚はあるけれども、ものを食べているときにまで睡魔に襲われるのはなかなかない。

 さて食事に集中しようと気を持ち直した。が、どんぶりに箸を突っ込んだところで動きを止めてしまう。首を傾げながら、「夢を見ていたような……」と呟いていた。

 朝起きて、直前まで見ていたであろう夢の内容を思い出せないなんてことは、これまたしばしばある。厳密には、子供の頃はかなりの確率で夢の内容を覚えていたけれども、二〇一九年の時点では、覚えていることの方が稀になっていたな。人にもよるみたいだから、夢を覚えていないのは老化現象の一環ではあるまい、うん。

 そんな風にさして珍しくないから、夢の中身が思い出せなくて気になることは近頃では滅多になかった。だが、今回は違うようだ。

 物凄く気になる。喉の奥に刺さった魚の骨どころではない。クジラの骨でも刺さっているの勝手ぐらいに気になって仕方がない。思い出せなければ生活に支障を来たすレベルなんじゃないか。

 どんぶりを置き、その上に端を揃え、水を飲む。落ち着いて考えてみよう。何が気になるのか。夢の中身を思い出そうと努力する。目を瞑り、額やら後頭部やらをさする内に、脳裏にぼんやりと浮かんできたのは文字だった。それもかなりの数だ。原稿用紙一枚分くらいは優にありそう。しかし、どれもこれも字がぼやけていて、しっかりとした像を結ばない。

 これが見たばかりの夢だとしたら、なんて動きのない夢なんだ、文字のアップが長々と続く……鉄道の駅に伝言板が設置されていた時代に作られた映画やドラマなら、その伝言板を大写しにするという演出があってもおかしくない。けれども私はそんな年齢じゃないし、伝言板に思い入れもない。

 やがて、数文字だけ読み取れた。天瀬とか神内といった馴染みの名前が確認できる。

「神内?」

 思わず、声に出していた。

 伝言板のように感じたのは、意外といい線行っているのかもしれない。神内を始めとする神様連中と直に話すには、夢の中に限られている。それは私の側だけでなく、神様の側から見ても同じなのか。話があるなら私か誰か人間の夢を介さなければいけない、だとしたら今し方思い浮かんだのは神内さんから私への伝言か?

 当たっているとして、どうすればいい? まさか、一度見損ねたらもうおしまいってな馬鹿なことはあるまい。本格的に眠りに就けばいいのだろうか。眠る前に神内さんを呼び出す権利を行使しておく必要があるのかな。

 いや。迷っている場合じゃない。何だかんだと想像しても、詮無きこと。正解が分かるはずないのだから、考えるよりも行動すべきだ。

 私は食器や湯飲みなどを急いで片付けると、テーブルも足を折り畳んで壁に立て掛けた。そしてここ最近の忙しさにかまけて半・万年床状態の布団を、部屋の片隅から引っ張ってくるといつもの定位置に広げた。やや乱雑だが、しわを伸ばす時間すら惜しい。夏だから、敷き布団に横たわるだけで眠れるだろう。

 私は枕を後頭部にあてがいつつ、横になった。できることなら楽しい夢であってほしいものだと願う間もなく、眠りに落ちた。


 つづく

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