第505話 女神と死神、認識の違い

<女神の神内から岸先生(仮)へ伝言よ

 検討作業の最中に、少々注目すべき事柄が浮かび上がったので、特別に前もってお知らせするわ。感謝してね。

 ただし、前もって言っておくと、どのくらい影響があって、どのくらい危険性があるか分からない。だから一切の質問は受け付けられません、あしからず。


 ここからが本題。

 そちらでは天瀬美穂さんの父親が夏風邪をひいていたと思うけれども、そのエピソードは元々の二〇〇四年では起きていないことなのよね。私達の知りたいことと直接関係あるかどうか不明ではあったものの、気になるから調べてみた結果、元教頭の弁野保から十数名を介して、風邪が伝染したと分かった。これだけなら単なる偶然で片付けても平気だと思うのだけれども、中継する形になった十数名の中にあの坂田正吉が含まれていることも判明したから、ちょっぴり引っ掛かってね。

 まだ分かったばかりだから、どんな背景があるのかはまったく掴めていないわ。元教頭先生と坂田のつながりがあるのかどうかも含めて、裏に何かあるのかもしれないし、単なる偶然かもしれない。

 不確定な情報を伝える理由は、これがもしかすると天瀬美穂さんに降りかかる危機の萌芽かもしれないと感じたからよ。頼りになるのは今のところ岸先生、あなただけ。彼女を守るために、知っておいて損はない情報でしょう? 繰り返しになるけれども、偶然かもしれない可能性も念頭におきつつ、注意してあげて。


                         取り急ぎ、神内より>



 うーん、まあ、こんなものかしら――神内は読み返してから、独りごちた。

(取り急ぎと記した割には長文になったけれども、我々神的にはこのくらいの文章、一瞬で書けるから。それに、岸先生も情報が少ないよりは多い方がいいでしょ。たとえ文字数の上だけであったとしても)

「人間の起こすことなど些末でくだらないと決め付けていたが、なかなかどうして興味深い場合もあるねぇ」

 ハイネの声が耳に届いた。神内に作業に戻れと暗に言いたいがための独り言か、それとも本心から思った感想なのかは分からない。

「個人に焦点を当てて追い掛けてみるなんて、今までに試したことすらなかったが、時折、面白い顛末を迎えているのだな。与えられた職務を終えたあとも、これなら暇つぶしにちょうどよいかもしれぬ」

「何かありましたか」

「あったとも。たとえばだねえ、先ほど話に出た弁野保と柏木律子、完全に関係が切れている」

「柏木……ああ、元教頭と男女の仲になっていた教師。でも、取り立てて面白がるほどのこと? あんな顛末を迎えたのだから、大人しく別れるのが人間らしくて当然のありようでは」

「そうなのか。未練を残して何とか目的を達成しようとするものではないのか」

「中にはそういう人間もいるでしょうけど……」

 死神は人の魂を狩ることを専らに行ってきた分、人間の心の機微などには疎い場合があるようだ。

「ではこれはどうだ。捕まった渡辺が手記を書き始めている。出所後の金儲けを画策したようだ。だが、我々神の視点からは、すでに結果を見ることができる。徒労だ。人間世界のスケールで見ても小さな犯罪に過ぎない渡辺の手記が、本になるはずがない」

「……さもありなんです……ただ、面白い話ではないでしょう?」

「そうかい? だとしたら君は慣れっこになっていて、感覚が鈍っているのじゃないかえ。私には新鮮で面白くも興味深いぞ。それに」

 ハイネの声のトーンが若干、変わった。下世話で少々浮かれていた響きが影を潜め、真摯なものへと転じている。

「神内さんは天瀬美穂の身の安全にご執心のようだから、今の話もまた気になるんじゃないのかね?」

「えっと。どういう意味です?」

 気持ちを見透かされているのはさておくとして、ハイネの言わんとする“気になるんじゃないか”の点が即座には飲み込めなかった。

「決まっているじゃないか。渡辺は獄中手記で一稼ぎを目論むも失敗する。それが翻って、天瀬美穂への逆恨みに発達する可能性はないのかねえ? あるいは、前の犯罪はスケールが小さかったから話題にならなかった、だから今度はもっと大事を起こしてやろうという発想に至るなんてことも、想定できなくはあるまい? かように想像を巡らせてみるのも楽しみの一つになりそうだ」

「――」

 嫌な光景がありありと浮かんできて、はっとさせられた神内。知らず、息を飲んでいた。

「おや。その表情からして、まったく考えていなかったようだが。人間の死にしばしば接している死神と、そうでない女神との差が出たかな」

「そんなことはありません」

 気を取り直して、否定する。

「そんなことよりも、渡辺の追跡をしているのでしたら、その後、渡辺が本当に逆恨みから天瀬美穂らに危害を加えるような行動に走ったのかどうかは、分かっているんじゃありませんか?」

「きゃつの人生の終いまで全部は無理だ。そもそも検証の対象となる範囲は、大震災の発生した二〇一一年三月までだろうしねえ」

 答えたハイネは、口元に小さな笑みを浮かべていた。


 つづく

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