第507話 夢現の違い
~ ~ ~
夢の中で、神内さんからの署名入りメッセージを私は確かに見た。
ご神託やおみくじめいた装飾は何らなく、ありふれたメモ書きだったので、厳かさやありがたみはまるで感じられない。信じていいものか多少の不安に駆られなくもなかったが、ここまでして信じない手もあるまい。ハイネではなく、神内さんなのだからまあ大丈夫だろう。
ちょっぴり誤算だったのは、その分量。四百字詰め原稿用紙一枚程度だと思っていたが、二枚目があった。さらに付け加えると、夢の中ではメモを取ることができない。いや、できなくはないのだが、現実の世界に持ち込めないのだからメモの意味がないのである。無論、神内さんが書いたメッセージそのものも、夢から現実へ持ち出すことはかなわない。
参ったな。神様達は夢の中で何をどう体験しようが、目覚めたらきれいさっぱり忘れてしまっていた、という風なことは一度もないのだろうか。気を利かせて、メッセージを確実に現実世界で覚えていられる方法を採ってくれればいいのに。といっても、私自身の身体に刃物か何かで字を刻む、なんてやり方は願い下げだが。
このメッセージの夢を見られるチャンスが、これっきりなのか、しばらく機会が与えられるのかも定かでない。となれば、最悪のケースを想定、言い換えればこれっきり見られなくなる可能性を念頭に行動を決めねばならない。
起きてからの記憶に自信が持てない私は、それでも、いや、だからこそ必死になって記憶した。何も文章を丸ごと覚える必要はない。要点を掴めれば充分なんだ。
どのくらの時間を暗記の作業に費やしたのか、しかとは分からない。夢の中での時間だしな。とにかく、私自身が納得できる状態まで持って行き、これなら覚えているはずだと確証を持てるまでになってから、私は目を覚ました。
そして――目を見開くや、がばっと跳ね起き、枕の右側を見やる。こうなることを見越して、紙とペンを予め揃えておいたのだ。
私は一刻も早く!と逸る気持ちそのままに、頭に残るメッセージを書き出した。
・天瀬の父の風邪 本来はなかった
・風邪をうつした感染ルートには坂田正吉が含まれる
・坂田は天瀬一家への接近を図っているのか?
・元教頭の弁野と坂田は面識があるのか否か?
・渡辺が逆恨みの念を将来に渡って抱いている可能性
・渡辺は獄中手記を本にして一儲け企むも頓挫
・情報の確度は不明。定かなのは天瀬父が風邪に掛かった経緯と、渡辺の手記がぽしゃった件の二つ
そこまで書いて、まだ何かなかったか、記憶細胞を絞りに絞ってみたが、何も出て来ない。からからに乾いたぞうきんを絞るような心地になるまで思い出そうと努めたが、記憶の断片どころかただの一滴すら出て来なくなった。神内さんが私に知らせたかった情報は、これですべてに違いない。
神内さんは私に何を伝えたかったのか? つまるところ、天瀬美穂に対する危機がまだ終わっていない(もしくは、新たに危機が生じる)可能性を示唆したかったと認められる。私や六谷のような、この時代にとっての“異分子”が入り込んで暮らしている限り、イレギュラーな出来事は避けられないものらしい。
私は将来の嫁を危機から守るために来たのだ。いや、正確に言うなら、来させられたとなるが、今となってはどうでもよい。ここまでうまくやって来たのに、画竜点睛を欠くような事態は絶対に回避してやろうじゃないか。
幸い、明日からしばらくの間、天瀬に会おうと思えばいつでも会える。実際に坂田や渡辺弟らが裏で動いているとしたら、天瀬自身もちょっとした異変を感じ取っているかもしれない。その辺りを聞き出してみるとしよう。
夢の中でのメッセージをどうにか無事に思い出せたと、安堵した私は、ふっと気になった。今、何時だ?
ガラス窓の向こう側は、何だか白々としている。外灯の明かりではないようだ。もしかして……朝?
まさかねと思いながらも、悪い予感の方が上回る。時計で時刻を確かめると四時だった。この白っぽい明るさは、夕方のものでは決してない。朝だ。午前四時を少し過ぎていた。
そんなに寝ていたのか私はと、呆れてしまう。いくら神様からのメッセージを覚えるためだとは言っても、時間を掛けすぎだろ!?
あ、いや、そんなことよりも、天瀬の見守りに今日から行くんだった。未来の妻に会いに行くからにはめかし込んで――なんてロマンティストめいた理由付けをしなくても、風呂に入らねばならない。せいぜいこざっぱりして、身だしなみを整えておかなくては。
そういえばカッターシャツ、夏休み中にまとめてクリーニングに出すのを忘れないようにしなくては。自分が着るかどうかは分からないが、できれば着ずに済ませたいもんだ。いずれ近い内に戻って来るであろう岸先生のために、真っ白な状態でお返ししたいからなあ。
それ以上に、身体を使わせてもらったことに対する感謝の念を示したいと切に願う。気が早いかもしれないが、お礼を伝える方法はないものだろうか。神内さんが今度やったみたいにメッセージを残せたら簡単そうだし、助かるんだが。それとも感謝の念を表すのにメッセージだけというのは、かえって失礼に当たる気がしないでもない。直に会う――二〇一九年において会えるのが、一番望ましい。
つづく
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