第125話 酒落にならない、違った、洒落にならない

 私がそう話すと、吉見先生はこちらの上半身を頭のてっぺんからへその辺りまで、しげしげと見て、そして目を細めてから聞いてきた。

「……どこかで一杯引っかけてきていませんよね?」

「一杯って、お酒ですか? まさか」

「ごめんなさい。冗談です。実に饒舌に語るものだから、どうかされたのかとちょっと不安に駆られてしまったわ」

 私が真顔で即座に否定すると、彼女はちらと舌先を覗かせた。湯飲みを両手で持ってお茶を一口飲んでから、

「でも、いい心掛けだと思います」

 と評してくれた。


 ところでだが。

 修学旅行中の引率教師がお酒を飲むことは許されているか、許されていないか?

 答は……どうもはっきりしていないらしいのだ。少なくとも明確に、修学旅行中は飲酒禁止というがっちりした定めがあるわけではない。

 飲酒がだめという考え方には心情論だけでなく、規則に沿った理由があって、かいつまんで言うと他の企業と同様、仕事中の飲酒はだめなのは当たり前。そして修学旅行の引率は教師の職務であり、それは全行程に当てはまる。よって修学旅行中はお酒NG――という論法だ。

 一方で、現実的でないという声もある。仕事中の飲酒はだめ、ごもっとも。だけど、修学旅行中は四六時中、児童生徒の動向に気を配り、彼ら彼女らの安全を確保し、軌道を外れるような行動を未然に防ぐよう、目を光らさなければならない――というのはあまりにも教師サイドの負担が大きすぎやしないか。現実問題として、いつ眠るんだって話になる。修学旅行ならば通常、複数名で引率するので交代で起きていることはできるし、必要があれば(学校が凄く荒れていて児童生徒がいかにもやらかしそうな場合とか)実際にそうするけれども、もっと少数による団体行動、部活の遠征で泊まり掛けになる場合なんかだと、教師一人ということもあり得るわけだ。

 そんな風に両論あることを承知の上で、少なくとも修学旅行では、やはり酒は慎むべきではないかというのが今の私の見解。旅行中、何があるか分からない。たとえば急病人が複数出て、どうしても先生が運転する車で送る必要があるなんてことも起きないとは言い切れまい。そんなときに、酒をしこたま飲んだから無理、では困る。

 また、修学旅行のただ中にこんな嫌な想像はしたくないのだが、宿泊施設が火事などの災害に見舞われる場合だって考えておかねばなるまい。児童生徒を避難誘導するべきところを、酔いが回っていたおかげでかえって足手まといになった、では洒落にならない。たかだか三日前後の間なら、どれほどお酒が好きであろうと我慢できるでしょうと。我慢が利かないのなら、それは病気かもしれない。

 ということで、この学校でも酒は原則禁止。どうしても眠れない場合に限り、寝酒に一杯だけは認める場合もあるとのことだけれども、同行した役職員と校医の承諾が必要と定めているそうな。

 がちがちの全面禁止にしていないのは、とある高校での事例に、生徒が密かに持ち込んだ酒を、それと知らずに飲まされた教師というのがあったとか。気付かずに飲まされる方が悪いという四角四面な処分を出さないための、一種の緩衝地帯のようなものという解釈もできる。まあ、小学生はさすがにそんな悪戯しないと思うが。

 そういえばこの十五年前の時代では確か、未成年者でも自動販売機であればたばこを買えるんだよな。そっちも一応、警戒しなくちゃいけないのか。色々と面倒ではあるな。


 食事が終盤に差し掛かり、伊知川校長から第一日目の締めの訓示があって、続いて連城先生から就寝時刻(十時)及び起床時刻(翌朝六時)の再確認と、きっちり休みを取れ云々、自由時間は遊ぶのはかまわんが宿に迷惑掛けるなかんぬんと注意事項を並べ立てたところで解散。あとのテーブルには、ほぼほぼきれいに片付いた皿や鍋やコップが残された。

 このあと、教師は交代で風呂に入るほか、適宜見回り。余裕があれば&人気があれば子供らの遊びにちょっと付き合うこともある。児童が眠ったところで全員が集まって会議。当日の反省と翌日の打ち合わせを行う。そのあと、もう一度児童の部屋があるフロアを巡回して、おやすみなさい。私は今回が初めての引率だからよく知らなかったけれども、寝床に入れるのはだいたい午前一時ぐらいになるそうな。

 翌朝は午前五時二十分までに起床。子供らよりも早く身支度し、その日の行程の再チェック。前夜の最終会議で散々話し合うだろうから、朝の再チェックはいらない気がするけど、要は時間さえあれば確認を怠るなってニュアンスに受け取っておけばいいかな。


 入浴の順番は男女別に、くじ引きした。あらかじめ決めていたのではなく、伊知川校長のその場の思い付きである。

 で、私が一番を引いてしまった。恐縮です。

「なに、気にすることはないでしょう。別に一番風呂ってわけじゃないのでね」

 校長が言う一番風呂とは、沸いてすぐの風呂に真っ先に入るということ。これからいただく風呂は確かに一番風呂ではない。子供らの入ったあとの大浴場なんだから。


 つづく

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