第124話 違うバスに乗ってもよろしいんですね

 何も起きやしないとは思うのだけれど……クラブ授業であの股裂きを見せられているだけに、一抹の不安が拭いきれないというか。アスリートがそうそう変な真似はしないと信じているぞ、雪島。

 てな感じのことを私がもやもやと考えている最中にも、男子が二人、現れた。早速動いた連城先生によって、あっさり戻される。

 玄関しか出入り口がないとはいえ、ワンパターンだな。どうせ外に出られたとしたって、高い梯子でもない限り覗けやしないんだし、あきらめておとなしくしていればいいものを。覗きとは無関係に、夜の街へ出てみたいというのもあるのかもしれないが、じきに食事なんだから、エスケープにチャレンジするにしても腹ごしらえしてからにしろって。その意味では、夕食後の方が要警戒度を強める必要がありそうだ。

 さらに、明日のホテルは複数の出入り口があるみたいだから、陽動作戦に引っ掛からないように注意しなくてはいけない。ここまでのことを教師側は想定しているのだよ。

「おっ。女子も終わったようだ」

 携帯電話で連絡を受けた連城先生が言った。電話を仕舞いながら、「我々もぼちぼち、食堂の方へ向かうとしますか」と私の顔を見た。

 黙ったままうなずいて応じると、連城先生の目には疲れているように映ったのか、「元気ないですな」と聞かれた。

「いえ、大丈夫です。夕飯のことを想像したら、唾が出ちゃって、声を出せませんでした。あははは」

「それならいいんだ。だけど、修学旅行に同行するのって初めてなんだろ、岸君は。だからペース配分が難しいというのはあるかもしれない。念のために気を付けといてくださいよ」

「あ、ありがとうございます。注意しておきます」

「そういや、肩の怪我はもう治ったの?」

 食堂への移動を始めつつ、会話は続く。自然と歩みは遅くなった。

「ええ、ほぼ。傷跡は少し残るみたいですが、大丈夫です」

「そりゃよかった。ということは、吉見先生をお借りしても大丈夫ってことだな」

「はい?」

 一瞬、吉見先生との仲を誤解されているのか?と想像したが、連城先生の次の言葉を聞いてそうじゃないと理解できた。

「うちのクラスに乗り物酔いに多少弱いのがいるんでね。吉見先生に、明日はこっちに来てもらえたら助かるなと考えていた。まあ、自由行動の時間が多いから、ずっとついて回るってことにはなるまいが」

「僕なら平気ですよ。クラスにも体調不良の者は出ていませんし。それよりもすみません、そうと分かっていたら今日の内から吉見先生をそちらへ」

「いやいや。その子は乗り物の揺れに弱いという自覚がなくて、比較的酔いやすいと判明したのは、まさに今日のバスでのことだから。途中途中で、先生に診てもらえたし、問題にはなってない」

「そうですか、よかった」

 申し訳なさが解消されたところで、夕食をいただく広間の前に到着した。


 夕食はこれまた豪勢だった。

 昼間とは打って変わって、脂っこい物が優勢なおかずが揃う。ちょっとカウントしてみると――天ぷら、フライ、唐揚げと揚げ物軍団が構成されていて、魚も肉も野菜もキノコも皆、衣に包まれている。豆腐も揚げ出し、汁物のおみおつけは油揚げ入り、サラダ用のドレッシングはカロリーが高そうな物が並んでいる。自分の好みで掛けられるので幸いだ。

 そしてメインは牛すき鍋。各自の前に一つずつミニサイズの鍋が並ぶ。肉自体、良い物のようだ。

 もちろんご飯もあって、おかわり自由。

 小学生がこんなに食えるのか?と心配になってきた。食品ロスについての意識はそれなりにあったと記憶してるんだが、十五年後に比べたらまだ許されていた感じなのかな。それに、子供らの食べっぷりを実際に目の当たりにすると、さほど懸念する必要もないかと思えてきた。

「連城先生から聞きましたよ」

 隣の席の吉見先生が話し掛けてきた。バスを移るどうこうっていう件だろう。

「ほんとに大丈夫ですか、岸先生の方は」

「はい。肩ならほら、この通り」

 箸を置いて、ぐるぐると肩ごと腕を回してみせる。

 すると吉見先生は何故かため息をついた。

「ど、どうかしましたか」

「あのですね、岸先生。肩についてはもうそれほど心配はしていません。私が気になるのは、物忘れの方です」

「あ、はあ」

 つい、苦笑が浮かんだ。認知症みたいに言われても困る。この症状は恐らく、岸先生の身体を借りていることが一番大きな原因だと思う。確かに頭も打ったようだが、そういう科学的な因果関係から来ている物忘れじゃないのだ、きっと。

「何かおかしなこと言いました?」

 ほんのちょっとむくれたような口になる吉見先生。私は急いで言葉を継ぎ足した。

「いえ。心配してくれて嬉しいんです」

「――べ、別に、仕事ですから」

「はい。でもですね、僕のいつ出るか分からない症状を気にするくらいなら、児童の心配をしてやってください。彼ら彼女らにとっちゃ、一度きりの小学生の修学旅行なんだから、できる限り嫌なことは取り除いてやらないと。せめて、あとになって振り返ればあの乗り物酔いもいい思い出だったと感じるくらいには」


 つづく

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