第494話 電話のわけは悩みとは違って

 目が覚めた。

 ぱちりと音がしそうなくらいに目を見開き、おもむろに上半身を起こす。いつもの、というかすっかり慣れた岸先生の部屋の布団の中である。そう確認して、まずは安堵する。

 何故って、すべての出来事が夢だった、なんてことになるのではないかとわずかながら危惧していたためだ。つまり、つい先ほどまで見ていた夢、及び天瀬の夢の中でのやり取りから目覚めると、二〇一九年の貴志道郎として寝床にいる、という夢からの覚醒二段階特進みたいな展開がないとは言い切れないのではと思っていた。

 だが、実際にこうして目が覚めると、私は依然として二〇〇四年の岸未知夫の身体に居た。

 本来なら、二〇一九年の自分自身に戻っている方がいいはずなのに、どうしてほっとしたのだろう……。この数ヶ月の積み重ねが無に帰するのが嫌だったのかな。自分でもよく分からない。

 朝の仕度をしているところへ、電話が鳴った。出てみると、六谷の母親からであった。

「早くからすみません。お時間、大丈夫でしょうか。難しければ掛け直します」

「いえ、大丈夫です。六谷君――直己君に何か」

 相手の口調に切羽詰まった雰囲気は感じられなかった。六谷の体調がまた悪化したということではないだろうと当たりを付け、続きの言葉を待つ。

「それが、直己が今朝目を覚ますなり、先生に伝えなくちゃいけないことがあると言い出して、すぐにでもお電話するか下手をすると病室から外に飛び出さんばかりの勢いでした。時間が早すぎるからと言い含めて、今、こうして掛けているところなんです」

「そうでしたか。お気遣いをありがとうございます。それでは直己君に?」

 電話を交代するのだろうと思って促してみたが、そんな気配はまだ伝わって来ない。しばらく逡巡するかのような間があった。

「その前に、ご相談が……。実は直己ったら、何があったのかを私には説明をまったくしません。それどころか、先生との通話も聞かれたくないと言い出す始末でして……その、何が言いたいかといいますと、あの子がこんな態度を取るなんて、何か悩みを抱えているのではないかと心配で」

「そう、ですか」

 対処を誤るとこじれそうな話になってきたな。多分、六谷は私に、神様との勝負がどうなっているのかを聞きたいか、もしくは昨晩から今朝未明に掛けて見た夢で、神様が何らかのアクションを起こした、その報告をしてくれるつもりなんだろうと思う。なので、「お母さんのご懸念は杞憂ですよ、心配の必要はありません」云々と言って差し上げたいのだが、そう判断する理由を問われるとすべてを話す訳にいかないため、まずい。六谷から話を聞いたという形を取った上で、心配ありませんと言うのならまだましだろうか。

「とにもかくにも、彼から話を聞いてみませんと。もし万が一にも、お母さんが心配されるような事柄でしたら、私から必ずお伝えしますと約束します。何もなければその旨をお伝えするだけになりますが、いかがでしょうか」

「……岸先生を信用していますので。それでよろしくお願いします」

 肯定的な返事が出るまでわずかながら間が開いたのはちょっと引っ掛かるが、この年頃の男の子を持つ母親の心情を思えば無理からぬことに違いない。基本的に信頼してくれているのは、充分伝わってきたし。岸先生のおかげだ。

「分かりました。直己君と代わってもらえますか」

 しばらくお待ちをと言われたあと、多少の間がまたできた。そして雑音などの前触れなしに、不意に六谷直己の声が届く。

「代わりました、岸先生」

「お、おう。元気そうでよかった」

 ややかしこまった口ぶりの六谷に、こちらの調子が狂う。本当に母親が聞いていないかどうかも含めて、六谷の出方――演技が入っているか否か等――を待った。

「――今、病院の電話室から掛けていて、母ならさっき出て行きました。聞き耳を立ててもドア越しじゃあ聞こえない。だから好きに話せるよ、先生」

「分かった。だがその前に――体調はどういう具合なんだろう? そっちはまだ病院のようだけれども、電話をしてこられるくらいなら、そこそこ回復・安定したか?」

「昨日、早めに寝てから一度目が覚めて、それからは気分いいよ。回復どころか絶好調に近い感じで」

「夢に死神は出て来ていないか? それと、食欲はあるのか」

「いっぺんに聞かれても困る。食欲はあるよ。一時は肉を見るとげんなりしてたけど、食べれたから」

 厳密には、食べられただろ、と注意するのは後回し。

「悪夢の方は見ていない。ただ、死神っぽいのが登場する夢なら、今朝見た気がする」

「うん? どういうことだ。夢に死神が出て来たが、悪夢ではなかったって意味か?」

「そうそれ。今朝の夢では、前見たのと同じ死神が現れてさ。最初は顔も見られなかったんだけど、相手の声がぼそぼそしてて聞こえないから見上げたら、何だか凄く苦々しい表情をしてた。聞き取りにくかったんだけど、『おまえを外させたのは、作戦として失敗だったかもしれぬ。この度の件とは別に、一度手合わせしたいところだが』っていうのが何とか聞こえた」


 つづく

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