第66話 大きな違いはない

「え?」

 思わず耳を疑った。渡辺って奴は意外と素直に取り調べに応じているのは分かったが、まさか昨日の事件と直に関係していないことにまで言及するとは。

「侵入した目的は言葉を濁してるんで、棚上げです。私らが気になったのは、渡辺の奴がそのとき、死んだように倒れて動かない岸さん、あなたを見たと言ってることなんですが、心当たりはないでしょうか」

「死んだようにって、生きてますが」

「ええ」

 分かっていますと言いたげに、微苦笑された。

「でもその夜、泥酔したとか疲れ切って寝入ったとか、なかったので? 渡辺は何もしないで帰ったということだから、気付かなくても不思議ではない」

「……うーん……」

 私は朧気な記憶で語っていいのかどうか、迷っていた。厳密には記憶ではなく、想像が大部分を占めることになる。

「やっぱり長くなるかな、これは」

 刑事さんは頭を掻くと、意を決した風に喋り出した。

「恐らくなんですが、渡辺がこの部屋に忍び込んだ目的は、あなたに怪我を負わせる、あるいはそれ以上のことを狙ってのものだったと推察されます。そういう覚悟で来た男が単に酔っ払うか寝入るかして動かない相手を目の当たりにして、何もせずに引き返すとは考えづらい。何もしなかったとすれば、それはターゲットの人物が本当に死んでいるように見えたから、ぐらいしか思い付かないんですよ」

「なるほど、理に適ってます」

 素直に感心した。これくらい論理的に考えてくれる刑事が相手なら、話してもいいんじゃないか。襲われる直前のことをショックできれいさっぱり忘れているという、なかなかありそうにない(偽りの)言い訳も、信じてくれればいいのだが。

「実は仰る通り、妙な体験をしてます」

 私は考え考え、言葉を絞り出す風にして語り始めた。

 まず、先週の月曜日辺りの記憶が朧気にしか残っていないことを伝える。刑事さんはそうなった理由を急かして聞いてくることなく、続きの言葉を待ってくれた。ありがたい。

「気が付いた、というか目が覚めたら火曜の朝だったのですが、身体を起こそうとして体調がすぐれない自覚はすぐにありました。節々に痛みが残っていて、これはまあ体育の授業で筋肉痛を起こしたのかなと解釈したのですが、次に頭痛がしましてこちらは結構きつかったんです。とても学校に行ける状況じゃないと思ったものの、連絡するという考えが頭に浮かばなくて、ぼーっとしていたら、学校から保健の先生が様子を見に来てくれまして。そのままその日は休んで、お見舞いに来てくれたお隣さんが言うには、月曜の夜、大きめの物音がしたのと、小柄な人影が立ち去るのを見聞きしたと」

「ほう。そいつは興味深い」

 退屈げに聞いていた刑事さんだったが、急に関心を示した。それでも、メモを取ろうという態度は見られないが、いいのだろうか。

「詳しい時間は分かりませんが、夜の九時から十時の間だったそうです。脇田さんに尋ねてもらった方が、もっと分かりいいと思いますが……」

「お隣が脇田さんですね? 男性、女性、どっちです?」

「ご夫婦がいますが、今言った脇田さんは女性です」

「ではその方には後日、改めて聞くとしますが、こういった諸々を、岸さんは全く覚えていないと言われるんですね?」


 つづく

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