第379話 違う社会のルールを当てはめる

「……戻せるんでしょう、神様ならその程度の怪我」

 怪我と呼ぶには重傷だが、他に適切な表現が見付からない。

「無論のこと」

 ハイネは手を引っ込めると、右耳を元の位置にあてがい、すぐさま手放した。何ごともなかったかのように、耳は着いていた。こんな真似されると、神様達にとって傷の重い軽いという物差しはあるんだろうと、ふと思う。

「何のつもりでそんな大道芸まがいのことをしてくれたんです?」

「一種のサービスと言いましょうか、手の内を明かしてみたまで」

「手の内ね」

「たとえば対決本番で、人間は神のやることを十回連続で真似なさい、なんていう課題が出されたとしても、受けてはいけません。勝負にならない」

 確かに。耳をいきなり切り落とすのを真似るのは、きつい。

「忠告、痛み入ります。けど、ハイネさん。あなたの行為には他にもまだ理由があるのでは? たとえば人間の話を聞く耳は持っているが、聞くこと自体非常に嫌だと思っている、だからなるべく引き延ばしたいために奇矯な振る舞いをした、とかね」

「……ま、心情を吐露しますと、人間の話を聞くのはたいてい、愉快な時間ではないですねえ」

 迷いを一瞬見せ、認めたハイネ。

「それでは先延ばしせずに、さっさと終わらせましょう。聞きたいことはいくつかあって、そちらの返答次第で数は変わる。まず、天瀬美穂の夢に現れて彼女を怖がらせたのは、あなたの仕業で間違いないんですか?」

「改めて答える必要ないと思うんですが……その通り」

「では次だ。今、あなたがここにいる間は、天瀬も、他の誰も悪夢に苦しめられてはいないと思っていいのかどうか」

「私の関与する悪夢に限るんであれば、イエス」

 よし。いいニュースだ。

「三つ目は、私があちらの神内さんとの間で取り交わした約束を、あなたは守る気はないのだろうか」

「守っているつもりでしたが、何か問題でも?」

 しれっとした返事を寄越す死神。今度は明確に“ニヤリ”笑いを浮かべている。

 私は深呼吸をして冷静さを保ちつつ、相手の仕掛けている盤外戦について抗議した。

 一通り聞いていた死神は、私の話の終わりに被せ気味に言い返してきた。

「長広舌、ご苦労なことですが、それらの件については、時効が成立するはず」

「時効?」

 今やったばかりの行為について、時効が成立するとは一体全体どういう了見なのか。思わず目を剥く私に対して、ハイネは死神にしては比較的愉快そうに一度手を叩き、笑った。

「そういう顔が拝見できただけでも、呼び出しに応じた甲斐があったというもの。理に合わない言動に弱いようですねぇ。参考にさせてもらいましょう」

「――一向にかまわないが、説明はしてくれるんですかね? それともただのはったりで、私の反応を見るのが目的だったと?」

 相手の余裕の口ぶりにかなりむかついたが、まだ恐ろしさの方が上回っている。時効と言った意味の説明を求めるのが精一杯だった。

「違う違う」

 ハイネは左手を立てて顔の前で左右に振るという、意外にも人間ぽい仕種で否定した。

「もちろんそれなりの筋を通した発言のつもりでいます。定めたルールを破るからにはね。それが神の矜恃というもの」

「こんなときだけ“神”全体で括らないでもらいたいんですが」

 神内が外野から声を飛ばしてきた。鋭い注意という雰囲気ではなく、お伺いを立てる響きがあった。やはり、今回の勝負に関してはハイネの下に付かされているんだな、神内サン。

「そう言われても、死神も神も神の内であるのは厳然たる事実ですからねぇ」

「すももももももももものうちみたいに言われても」

「“も”が一つ多いですよ、神内さん」

 女神と死神の謎の掛け合いに、笑う気にはなかなかなれない。と、神内は私に対して分かるように、舌を覗かせている。わざと“も”を多めに言ったようだ。ハイネの注意力の隙のなさを、私にも知らしめようっていう魂胆か?

「話が逸れましたね。時効になると言ったことの説明をするとしましょう」

 こちらに向き直り、ねとっとした声と視線で始めるハイネ。私は腕組みをした。

「勝負に出場されるお嬢さんは、今おいくつです?」

「……年齢なら十二」

「嘘はいけない。まだ十一歳のはずです」

 死神は天瀬の誕生日をしっかり把握しているらしい。私がわざと答えた嘘にもすかさず反応してきた。

「今年十二になるという意味で答えたんだ。それが何か?」

「実際に勝負に出て来られるのは、大人の彼女だという点を重視したまでのこと。人間の感覚では只今二〇〇四年。勝負の場は二〇一九年の彼女の夢の中。十五年が経過すれば、時効が成立しているのではありませんかねえ?」

 正直言って、殺人以外の公訴時効なんてほとんど気に留めたことがない。なので脅迫や強要の罪が何年で時効を迎えるのか知らないが、かつて殺人の時効成立が十五年だったそうだから、多分それより軽いとされる犯罪は全て十五年以内なんだろう。

 そんなことよりも、人間社会のルールをいけしゃあしゃあと当てはめる死神の図太さ、嫌らしさが、生理的に受け付けない。牽強付会も甚だしい。それが通じるくらいだったら、神様連中はみんな国外逃亡してるようなもんじゃないのか。日本を離れている間は、時効停止だろ。


 つづく

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