第261話 初回と二度目の違いを感じて

「と言いますと?」

「さっき、ここへお邪魔する前に、クラスの女児に言われたんですよね。吉見先生と仲がいいんでしょっていう感じで」

「あ、分かりました。もちろんありますよ~。岸先生が仰ったのよりもずっと直接的なのが」

 どこか楽しげに肯定する吉見先生。

「やっぱり。となると、あまりここに長居するのはよくないですね。食べ終わったらすぐに退散します。出るときも子供らに見られないように注意しないと」

「気にする必要はないと思うんですけどね、私は」

 吉見先生の声には意味ありげな、具体的に言うならば岸先生への好意を感じさせる響きが含まれているように聞こえた。私は思わず、「えっ」と声に出し、相手の表情を窺う。これまでにも吉見先生から行為のようなものを感じることは幾度かあったけれども、本日が一番はっきりしている。

 視線が合って、吉見先生は目をくりくりさせた。私の反応を探っていたのか、ほんのちょっぴり、微妙な間を挟んでから答える。

「子供達はその場その場ののりで言ってるだけですよ。私なんて、男の先生と一緒にいるだけで言われますからね」

 屈託のない笑みを交えて、再び楽しそうに語る。

「それこそこの学校に勤務されている男性教師全員と付き合っているみたいに。あ、用務員さんとも言われたことがあったっけ」

 西崎さんとまで。思わず苦笑してしまった。

「私は保健室のオバさんとして、優しく平等に皆さんと接しているだけなのに。ねえ?」

「オバさんではないでしょう」

「ああ、ちゃんと言ってくれましたね。よかった。男の先生の中には、そこのところをスルーしちゃう人がいるんです」

「それはひどい」

 すぐさま連城先生の顔が脳裏に浮かんだが、イメージからの決めつけはよくない。頭を振って追い出す。

「ですよねー、まだこんなに若いのに」

 肌がすべすべだとアピールするみたいに、自らの頬を触る吉見先生。かわいらしく見えてきた。

「そんな感じだから私はかまわないんです。けど、岸先生が気にされるのでしたら、どうぞ用心にも用心を重ねてください」

 ここで、はいそうです的な態度を取るのは人としてどうかと思うので、「いえいえ。私も大丈夫。吉見先生にご迷惑でないと分かったら、のんびりしていきます」と調子を合わせた。天瀬のことは当然、頭にあるけれども、これは浮気じゃないし、岸先生としての行動だ。そういえば岸先生、柏木先生とは恐らく縁が切れたことになるんだろうけど、ここで吉見先生と親しくしてもいいのかな。いいのであれば、多少は進展させる方向に持って行くことにやぶさかでないのだが。

 ――ああ、違う違う。八島華さんの存在をころっと忘れていた。寝不足の影響が出ているなぁ。

 神内が語ってくれたところに寄ると、現時点では婚約者というような約束された相手ではないけれども、岸先生にとって一番好きな異性であることは確からしい。私が余計な振る舞いをして吉見先生から今以上に好意を抱かれては、話がややこしくなる。いや、それどころか岸先生と八島華さんの人生に影響を及ぼしかねない。

 私はがたっと音を立てて、椅子から腰を上げた。

「どうかされました?」

「やらなきゃいけないことがあるんでした。空腹のあまり、すっかり失念していたな~。いただくだけいただいといて、すみません、これで失礼したいと思います」

「あ、そうですか……ああ、湯飲みは置いといてくださって結構ですよ。洗っておきます」

 言いながら彼女もまた席を立ち、私が使ったばかりの湯飲みを手に取ると、流し台の方へ持って行った。

「えーと。お邪魔しました。それとごちそうさまです。ありがとう」

 私は早口で言って、保健室のドアから出た。閉める間際、「どういたしまして。またいつでもどうぞ」という吉見先生の声がしっかり聞こえた。


 昼、給食の時間が終わってすぐ、六谷がアプローチしてきた。

「先生ー、授業で分からないところがあって、質問があるんだけど」

 これだけなら本当に授業についての質問である可能性も多少はある(六谷の中身は高校生だけど、小学校のときの授業全てを理解できるとは言い切れない)が、続けて「歴史の」と付け足してきたから、タイムスリップの方だと分かる。

「そうか。じゃあ……職員室に用事があるんで、そっちに行きながら聞こう」

 実際のところ、用事はあるにはあるが、急ぎではない。だから途中で行き先を変えて、なるべく人のいない場所を選んで話すことも可能だ。

 私と六谷は相前後して教室を出た。とりあえず、職員室へのルートを辿る。

「ねえ、先生。何か進展あったんじゃないのかな」

「進展というのはあれのことだな」

「もちろん」

「……先に聞いておくが、どうして進展があったと思ったんだ?」

「遅刻してきたでしょ、先生。他の先生が話していたのを聞いたよ。最初は、珍しいこともあるな~としか思わなかったんだけど、僕の記憶では六年間の小学校生活で、担任の先生が遅刻したなんて思い出はない。つまり過去が変わって、岸先生は遅刻したことになる。だからといってタイムス……例の件に進展があったとは言い切れないけれども、何かあった可能性は高いだろうから」


 つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る