第260話 予知とは違うから安心あれ

「ん? ああ、予知なんかじゃないわよ。普通に注意を促しているだけだから」

 そう言うと彼女は教室(らしく見える空間)を律儀に戸口から出て行き、続いて空間そのものが消失した。

 ――次の瞬間、布団の上で目覚めていた。多分、いくらかは眠ったんだろうけれど、体感的には神内とのギャンブルが終わって、すぐのような気がする。

 疲れはさほど感じていない一方で、やたらと眠い。瞼を開けておくのが辛いほどである。洗面台まで移動するのもあぶなっかしく感じて、まずは目薬を差そうと心当たりを探した。爽快系のクールタイプで、薬効云々よりも意識を覚醒させるのにぴったりだ。

 点眼して少ししてから下を向き、瞼の上から目を軽くもむ。上を向いたままよりもこうする方が目薬の液体が眼球に浸透するとか聞いた覚えがあるので実行しているが、本当なんだろうか。

 とにかく、やっと目をしっかり開けることができた。時計を見る。

「――ふぁっ?」

 朝の八時前だった。やばいっ、遅刻じゃないか!


 一時間目の授業開始には間に合ったものの、そのあと校長から小言を食らって、心身ともに疲れた。ついでに腹も空いている。朝食抜きで自転車を飛ばしてきた結果であり、しょうがない。

「先生、今朝はどうしたの?」

 二時間目終わりの休み時間、天瀬から声を掛けられた。いや、将来の嫁が声を掛けてくれた。何かもう、これだけで疲労回復してくる気分になった。

「どこか変だったかい?」

「やたらとため息をついている」

 そうなのか。児童の前でそういう姿を見せるのは、あんまり好ましくないよな。気を付けなければ。

「心配してくれてありがとな。朝寝坊して、朝食も摂らずに急いだんだけど、実質的に遅刻してしまって」

「校長先生に怒られた?」

「怒られたっていうか、まあ、注意を受けたよ。ああ、最低限、交流行事のときにはこのような失態をなさらぬように頼みますよって、釘を刺されたな」

 よその学校にまで迷惑が及ぶようだと、さすがにあの伊知川校長でも雷を落としてくるだろうな。

「交流行事で思い出した。前に、富谷第一の子達と交流を深めるよう努力してくれ、みたいなことを言ったけれども無理をしなくていいから」

「無理なんかするつもりないよ。自然に仲よくなりたいと思ってるだけで」

 何で今さらそんなこと言うの?とばかりに、不思議そうに見上げられた。

 上級の神様とギャンブルすることになりそうだから、九文寺薫子に接近する必要はなくなった、とは言えない。

「いや、僕が言ったことが天瀬さんにとってプレッシャーになったらよくないなと思っただけだよ。楽しみにしているのならそれでいい」

「変なの。やっぱりちょっとおかしいよ、今日の先生」

「すまんすまん。うーん、飯抜きが堪えているのかな。頭が回らない感じだ」

「保健室に行けばいいよ」

「え? そんなに重症じゃないぞ、ほら」

 軽く腕を動かして、元気のあるところを見せる。しかし天瀬は首を水平方向に振った。

「そうじゃなくって。吉見先生、たまにお菓子をくれるんだよ。キャンディ一個でもあれば違うんじゃない? 糖分は血の巡りをよくするとかなんとか、テレビで言っていたわ」

「なるほど、そういう意味か。先生にもくれるかな」

 想像すると、本当に欲しくなった。二時間目と三時間目に挟まれた休み時間は長いから、まだ余裕がある。行ってこよう。

「大丈夫だと思うよ。それに、吉見先生とは仲がいいんでしょ、岸先生?」

「う? ま、まあそうなるのかな」

 単によく会話しているというニュアンスで言ったに違いないのだが、将来の嫁の口から言われると、つい、別の意味に解釈しそうになる。

 私はいそいそと保健室に向かった。


「飴ですか。いいですよ」

 朝食抜きであることを含めて、あめ玉か何かあればいただけないかと伝えたところ、吉見先生は椅子に座ったままくるっと回って、結構大きなバスケット型の器を出してくれた。キャンディだけでなく、様々な小分けの菓子がこんもりと盛られている。

「どうぞ。お好きなだけ持っていってください」

「あ、ありがとうございます。持って行くと、子供らの前で食べることになるので、ここで一ついただいていいですか」

「もちろん。あ、におい消しにお茶も入れますね」

「すみません」

 手際よく急須にポットの湯を注いでお茶を準備し、湯飲みを出してくれた。

「冷たい麦茶も冷蔵庫にありますけど」

「あ、いえ、これで結構。何から何までありがとうございます」

 よりどりみどりの個包装菓子の中から、多少迷って、ミニカステラを選んだ。キャンディだと溶かすのに時間を要するし、ナッツ類は香ばしい匂いがしばらく残りそうだし、おかきや塩昆布は糖分補給には物足りない感じだし。ガムは論外だということで。

「それ、預かります」

 手元を指差されたので何ごとかと思ったが、破いた包みがあった。

「すみません、気が付かなくて」

「いえ。それよりももっといかがですか。賞味期限がありますし、一人ではとても」

「それじゃあ、遠慮なく……」

 盛られた菓子を少々“発掘”するとミニどら焼きが出て来たので、それにする。破った包みを今度は自分でくずかごまで出向いて捨てた。椅子に戻りつつ、何の気なしに聞いてみた。

「つかぬことを伺いますが、吉見先生は児童から冷やかされてはいませんか」


 つづく

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