第229話 知ってるつもりだったけど違ってた

 おっと、いかん。自分から呼び止めておいて、本来の目的を忘れるところだった。

「何も考えていないのなら、とりあえず相手と友達になるってのはどうだろう?」

「たった一日で友達になるのは、かなりがんばらないとしんどいですよ」

「何もその日限りにしなくていいんだ。単に電話番号やアドレスなんかをお互いに教え合って、後日連絡を取るというのでもいいじゃないか」

「それって男女関係なしにですか。たとえば僕が向こうの女子と連絡先を交換して、仲よくするとか」

 長谷井が軽口を叩く。あまりないことだし、表情が見えているから冗談で言っているんだなと分かる。ただ、彼の背中しか見えていないであろう天瀬には、どう聞こえたかな、今の台詞。長谷井よ、好きな女子の前での言動はよく考えてすべきだぞ。

「友達としてなら認める。が、それ以前に教えてくれない可能性の方が高いだろう。長谷井君は自信あるのか」

「いえ、全然。今さっきのはジョークだってば、先生」

 長谷井のこの言葉に安堵する天瀬の様子を、視野の端っこで捉えることができた。

「ていうわけで、向こうの女子と友達になるのは天瀬さんで決まり。それでいいだろ?」

「うん。分かった。いい人だといいんだけど」

 天瀬は不安を少しだけ滲ませつつも、応じる返事をした。

 ここで引き受けたと言うことは、確実にまた過去が書き換えられるわけだ。何故なら、九文寺薫子は本来この学年では東京へ引っ越して来てはいなかったので、富谷第一小の代表の一人として学校交流の行事に参加できるはずもなく、つまりは天瀬と知り合う機会なんて絶対になかったに違いないのだから。

 私は身も心も引き締まった。覚悟していたこととは言え、またこれで不確定要素が増えるんだろう。私が天瀬に九文寺薫子と仲よくなるようにと言ったことが、天瀬に降りかかる新たな危機の導火線に火を着けてしまったのかもしれないのだ。

 なお、卒業写真夏バージョンについてだが、予想していたよりもずっとうまく行った、と思う。事前の練習がほとんどできなかったことを思えば、上出来だった。


 一学期の終業式、そして富谷第一小との交流行事を間近に控え、私は今ひとつの片付けておくべき事柄に遅まきながら着手した。

 八島華についてである。

 色んなことがほぼ同時多発と言っていいくらい相前後して起きたがために、つい後回しにしてしまっていた。岸先生との知り合いである八島さんから、夏休みに入ったタイミングで改めて連絡が来ることは充分にありそうに思えた。岸先生の好きな人ランキングと八島さんからのはがきだけでは情報が乏しいが、電話番号などの連絡先がどこかに書き留めてあるに違いない。暑さの厳しい夜だったが、窓を開け放てば何とかしのげる。しかし物音はなるべく立てないように注意を払わないといけない。私は、今や自分の住処とも言える岸先生の家の家捜しを決行した。

 そして一時間後。

 おかしい、見付からない。

 机の上や抽斗、電話周りにテレビの下、タンスの中まで当たってみたがそれらしき書き付けは発見できなかった。

 好きな人の第二位をキープしていて、しかも相手からのはがきが届くような間柄なんだろ? 電話番号ぐらい、目に付きやすい形で書き留めておくものじゃないのか。

「……待てよ」

 あることに気付かされ、私の口からは独り言が出た。

 好きな人の電話番号は当然、頭の中に入っている。メモに書く必要なんてない、とこういうことなのか?

 そもそも、だ。岸先生の部屋をこういう風に家捜しするのはもう五度目ぐらいだと思うが、アドレス帳の類を見掛けた覚えがない。あるのは受け持つ児童の家庭への連絡先を記した学級名簿くらいだった。

 携帯端末を持つ暮らしが当たり前だという感覚があったから、不自然に思わなかった。携帯端末があれば、どんなに膨大な数の電話番号だろうと、記録しておける。だけど岸先生は使わない派なのだ。他人の電話番号や住所等をどうやって管理していたのだろう?

 友達や知り合いがいないからと考えられたら話が早いのだけれども、それはあり得ない。学校関係者だけでも相当な数に上るのだから。まさか、全員の電話番号や住所などを記憶していたのか、岸先生? でもそうだとしたら、私が人の顔を見つつ岸先生のもやもやデータを活用している際に、何度か電話番号がビジョンとして映し出されてもいいはずなのに、一度もそんなケースはなかったように思う。その時点で欲していないデータだから、浮かばなかっただけなのだろうか。

 悩むよりも実践だ。私は顔の汗を拭い、一息つくと、八島華の写真はどこだったっけと考えた。――あ。私は知らないんだった、八島華の姿形を。

 写真でも動画でもいいから、相手の顔が分からないことにはデータの見ようがない。困った。

 閉塞感に包まれ、息苦しい。アイスコーヒーでも作ろうと立ち上がったとき、電話が鳴った。

 三森刑事からだった。

「ああ、やっとつながった。よかった。また意識を失われていたら大変だと思っていたところです」

 彼なりの冗談なのだろう。どんな顔をして言っているのか見てみたい。


 つづく

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