第230話 私の物で相違ない

「どうしたんですか。渡辺の件で何か」

 私としてはあの事件はもう決着している気でいるから、戸惑いを覚える。あとは裁判で証言することぐらいだろう。もちろん三森刑事らから見れば、私の部屋に謎の侵入者がいたことになり、そいつの正体が不明なままでは簡単には終われまい。申し訳ない気がする。

「渡辺の余罪を調べていたら、以前、仕事で全国を飛び回っているときに、行く先々でついでとばかり窃盗をはたらいていたようなんです。被害が少額故に発覚していないのもあるようで。それで岸さんのところも大丈夫だったのか、もう一度確認を願いたいなと」

「そういうことでしたか。財布や通帳に手を付けられた形跡はありませんでしたけどね……」

 話しながら、もしかしてと閃いた。さっきまで私が探していた物を渡辺が持ち出した可能性はないか?

「そういえばアドレス帳が見当たらない気がします」

「アドレス帳、ですか。電話番号や住所を書いたリストみたいな?」

「ええ。児童の分は別にしてあったから大丈夫だったんですが」

「……」

「刑事さん? どうかしました?」

「失礼。奴の家を捜索した折に、アドレス帳があったなと思いまして。そのときはあいつ自身の物だと見なされ押収したが、今回の捜査に奴の知り合いは関係がないのでスルーでした。でも考えてみればおかしい。渡辺の家には固定電話はなかった。わざわざアドレス帳を置いておくのは不自然と言える」

「じゃあ、もしかしたら」

「ええ。渡辺の犯行動機からして、あなたの受け持つ児童の個人情報が欲しかったのかもしれない。焦ったのか勘違いなのか、学級名簿には手付かずで、通常のアドレス帳を持って行ってしまった――と考えれば」

 私は心の中でガッツポーズと小躍りをしていた。これは早く取りに行かねば。

「ではどうすれば戻って来ますかね」

「とりあえず……来てもらえますか。岸さんの物だと確定すればお返しします。今、窺っておきましょうか」

「と、言いますと」

「アドレス帳の特徴とか、誰の名前が書いてあるかとかです」

 え。

 ガッツポーズと小躍りをしているところに冷や水を浴びせられた気分だ。どうしよう。

 形状についてはどうしようもない。下手に想像で物を言って、三森刑事の不審を買ってはやぶ蛇だ。

 だから記載されている人物に掛けるほかなかった。

「滅多に使わないのであんまり覚えてないんですが」

「でしょうね。五月から今まで、なくても不便を感じなかったようですから」

 幸い、三森刑事は私に対して好意的だ。

「八島華という人の名前と電話番号は載っていると思います」

 一種の賭けだが、これしかなかった。学校関係者については他の形、つまりプリントの類で知っているから、アドレス帳に書き写した可能性は五分五分と見た。そんな危ない橋を渡るよりは、八島華さんが記載されていることに賭ける方が勝ち目ありのはず。

「どのような字を書きますか」

「八つの島、やまへんのない島に、華麗の華で、八島華です」

「分かりました。調べておきます。――今晩はまだお休みじゃないですね?」

「はい。日付が変わる頃には休むと思いますが」

「だったら今から見てきましょう。それでも小一時間ぐらいかかるかもしれないが、分かったらまた電話を掛けます。その間、岸さんは他に見当たらなくなった物がないかどうか、ようく思い出しておいてください」

「どうもすみません。お待ちしております」

 内心どきどきもので待つことになった。

 それからおよそ四十分後、再び三森刑事からの電話を受けた。

「ありました。八島華さんの名前と住所と電話番号」

「そうでしたか」

 今晩二度目の内心ガッツポーズ。アドレス帳がまさか盗まれていたとは思わなかった。

「そもそもよく見たら字が渡辺のじゃないですね、こりゃ。申し訳ない、もっと早くに気付いていてしかるべきでした」

「いえ、こちらこそお知らせせずにいてすみません」

「で、岸さん。何か思い出した物はありませんでしたか。あったはずなのになくなっている、というような」

「他にはないと思います」

 正確を期すならここは「分からない」と答えるべきなんだけれども、それだと骨を折ってくれた三森刑事に対して素っ気なすぎると思い、「思い出そうとしたけどありませんでした」のアピールを込めてこの答に。

「そうですか、残念。まあいいでしょう、余罪の方はよその方でたくさん証拠があがってるので」

 通話が終わる気配を感じて、私は急いで言葉を突っ込んだ。

「あ、あの。つかぬことを伺いますが、その八島さんの電話番号を今、電話口で教えていただくことは無理でしょうか」

「――ははん。やはりそうですか」

 三森刑事がにやつくのが想像できた。

「な何がです」

「とぼけなくてもいいですよ。こちらはもうアドレス帳を直に見てるんだから」

「何のことだか」

「八島華さんは岸さんの恋人か何かでしょう? 花丸で囲んであるからどうせそんなことだろうとは思いましたけれどね。彼女さんの電話番号を忘れるとは、怒られやしませんか」

 岸先生、そんな余計な書き込みをしていたのか。ま、まあ他人に見せるもんじゃないし、個人の自由だけれども。

「実は怒られそうなので、早く連絡を取りたいんです。三森刑事、お願いします」

 話の流れに乗っかって、電話だというのに頭まで下げた。

「はいはい、分かりました。あなたの持ち物だと分かっているから、特別ですよ」

 先方の読み上げた数字を私は手早くメモに取った。


 つづく

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