第231話 緑と青と黄色の違い

 こうして八島華の電話番号を、苦心して手に入れることができたわけだが……いざ掛けるとなると、また勇気と覚悟が必要だった。

 相手は自分のことを知っているが、自分は相手のことを知らないのに電話するなんて、おいそれとできる行為じゃない。時間も今はもう夜だし……というのは言い訳だが。

 はがきをもらっておいて長らく連絡しないのは異常事態だろうし、それなのに再度の連絡をしてこない八島さんの様子も気になる。

 岸先生と八島さんの関係が本当に恋人同士なら、好きな人ランキングで二位だった点がおかしい。恋人はいるけれどもそれ以上に柏木先生のことを好きだったんだろうか。

 ひょっとすると八島さんと喧嘩した直後だから、あのランキングになったとかだったりして。喧嘩した状態から仲直りのために八島さんの方から電話を掛けてみたが、出ない。心配した八島さんがはがきを送るも、これまた無反応。修復不可能だと判断した八島さん側があきらめて、今に至る――こんな流れなのかもしれない。少なくとも辻褄は合う。

 もし当たっているとしたら、その責任の一部は自分にあると言えそうで、岸先生に申し訳ない。電話の掛かってきたタイミングは分からないが、はがきに関しては気付かなかったのは私のせいである。

 岸先生と八島さんが恋人関係にあったと仮定すると、色々と気付かされることがある。まず、連絡の取り方から推して遠距離恋愛だろう。そういえばと八島さんの電話番号を見直すと、携帯端末のそれではなく、固定電話だった。これは個人宅、もしかすると八島さんの実家かもしれない。

 実家だとすれば、まだ掛けやすい気がしないでもない。電話を掛けていきなり当人に出られるよりも、家の人が出てくれればある程度のクッションの役割を果たしてくれる。

 私は市外局番を調べようとしたが、すぐに舌打ちした。ここがネット環境にないことを思い出し、しばし考える。このアパートの誰かに頼んで調べてもらうか。しかし、夜の時間帯にそんなことを聞きに行くのって、変な目で見られやしないか。

 あ、そうだ。

 閃いた私はまず電話周りをざっと探した。が、その目的の物は見当たらない。しょうがないのでメモをポケットに仕舞い込むと、近所の街並みを思い描きつつ、部屋を出た。なるべく物音を立てないように駐輪スペースまで来ると、自転車に乗って心当たりの場所を目指す。

 私が当てにしようと思ったのは、ハローページだ。あれの巻末だか巻頭だかに、全国の市外局番をまとめた一覧があったように思う。

 念のために記すと、NTT発行の個人宅用電話帳のことで、緑の表紙が目印だ。……いや、個人版と法人版二つのハローページがあって、それぞれの色が緑と青だったっけ? 職業別のお店の電話帳がタウンページといって、黄色い表紙だったのはよく覚えているのだけれども。

 それはさておきこの時代は、二〇一九年に比べればまだ公衆電話はぽつぽつとある。実際、何度か見掛けた気がするので、記憶頼みで行ってみた。程なくして、外灯に照らされている電話ボックスが見付かり、私は自転車をすぐそばに止めた。

 目当てのハローページは緑色だった。JRの駅に備え付けの時刻表みたいに、台に固定されており、普段は背表紙を上に向けている物を一八〇度ぐるりと回転させることで、使えるようにする。

 私は持って来たメモ書きを再確認した。

 八島さんの電話の市外局番は0543。

 ハローページにある一覧に当たると、すぐに判明した。

 静岡県静岡市清水区だ。

 うん? 清水市じゃないのか。そういえば平成の大合併とか言って盛り上がっていたのはこの頃だっけ。

 いや、それは今気にすることではない。

 この電話番号の家が静岡にあるのなら、確実に遠距離恋愛。もちろん恋人関係であると確定したわけではないが、近況を知るのがそう簡単ではないことは明らかだ。何しろ岸先生は一切の情報発信をしていないのだから。

 これでまた電話を掛けるハードルが下がった気がする。思い切って掛けてみるか。確か岸先生の財布にはテレホンカードがちょっとした束になって突っ込んであって、使いようがないなと思っていた。目の前に公衆電話でカードを使えば、電話代を気にせずに掛けられるじゃないか。

 でも向こうの電話がナンバーディスプレイだっけ、番号が表示されるタイプの固定電話機だったら、公衆電話からの着信なんて取ってくれないかな。岸先生からだと分かってもらうには、自宅アパートのあの電話から掛ける方が着実。

 と、ここまで考えて、はっとした。

 岸先生からだと分かってもらう必要ってあるのか?

 ばか正直に岸だと名乗らなくてもいい。たとえば岸先生の知り合いのふりをして電話をするというのはどうだろう。本人が掛けてこない理由を用意しないといけないけど、岸先生として電話を掛けるよりはずっと気が楽なはず。

 私は財布を覗いてテレホンカードが入っていることを確かめると、段取りを頭の中で組み立てた。時刻は夜の九時前。よし、行こう。こんなことでぐずぐずしていつまでも時間を割いていられない。


 つづく

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