第160話 間違いなく分かる
いきなり言い出して、テーブルに水で“九文寺薫子”と書く六谷。
「きっかけは、名字のことで周りから、からかわれたことなんだけどね。僕が6で九文寺が9。高校生男子なんて、あほみたいなこと言うでしょ。男女で6と9と来たら」
「……あ」
ぴんと来るまで時間が掛かったが、ぴんと来た。漢数字ではなく、数字で思い浮かべればいいんだ。69か。
「冷やかされたりからかわれたりした結果、彼女ができたのなら、まあ御の字ではないかな」
「そうですね。自分には勿体ないぐらいの相手だし。写真があったら、まじで見てもらいたい」
「九文寺という子がいい子で、君にとって大事な相手だというのは伝わってきた。それで?」
「それが、彼女の親父さんのお兄さんて人が、事業をやってるのだけれども、色々不運が重なってうまく立ち行かなくなってきて、手伝いに帰るっていう話になって」
「うん? 九文寺さんの伯父さんの事業がうまく行かなくなると、お父さんが助けに行くって? 普通そこまでしないだろう」
「あっと、忘れてた。その事業って言うのは元々、九文寺家の家業で、彼女から見たら祖父母に当たる人が切り盛りしていたんだ。そして祖父が足腰を悪くし、祖母は軽い痴呆症めいた症状が出始めたってことで、伯父に当たる人が引き継いだ。ところがその伯父さんも人がいいっていうか、連帯保証人てやつになって、借金背負わされちゃって」
ここまで聞いて、助けたいというのはお金の話かと推測したが、まだ続きがあった。
「そこからがんばって金の工面はできたんだけど、当然家業の経営は苦しくなるわ、伯父さんは過労で倒れるわで、偉いことになってるみたい。それで九文寺さんの親父さん、祖父と叔父から頼まれて手伝いに戻ることに決めた」
「大変だ。君の希望としちゃあ、彼女が引っ越して別れるのがつらいから、何とかしたいと」
「うん、まあ、そんな感じなんだけど、高校卒業したら別の道を行くのは分かっていたことだから、どうしてもっていうんじゃなくて。遠距離になるけど続けるつもりでいるし」
「九文寺さんの方は希望に添った進路なのかな」
「ええ、そうだと聞いてる。親の地元か自分の地元か、どちらかの大学にっていう考えだって」
「そういや、その二〇一〇年の時点でどこに住んでいるんだろう?」
「今とあんまり変わってないよ。埼玉の一応東京寄り。ははは」
ちょっと気恥ずかしそうに言って笑う六谷。こちらもつられて笑った。関東圏にいるのなら、ひょっとしたらすれ違ったことがあるかもしれないな。ああ、いや、高校のときの私は親の都合で、ほとんど名古屋方面で過ごしたから何とも言えないか。
「で、九文寺さんの親の実家があるのは宮城」
「ふうん。遠距離だ」
「そう。会うのに金が掛かりそうで、今から心配だぁ。遠距離恋愛の覚悟を決めたわけでもなくてさ。東北の方の大学、自分の志望校に一つ入れといたんだけど、どうなるんだろ。先生、知らない?」
「さすがにその頃は君の先生じゃないからなあ」
どうやら彼の言う“助けたい”とは、彼女である九文寺薫子という子の境遇を何とかしてやりたいという、漠然とした思いのようだ。
天の意思が、そういう願いを聞き入れて、二〇一〇年の六谷をこの時代に遣わせたのだろうか。ううむ、全然ぴんと来ない。小学生の六谷にどうにかできる問題とは考えられないし、そもそも時代を遡りすぎではないか。九文寺薫子を六谷の近くにとどめ置こうとするのなら、まず九文寺家の家業に問題が起きる前に、何とかするのがポイントになるはず。家業が何なのか具体的には聞いていないが、二〇一〇年よりも3~5年前ぐらいに戻って、祖父母の健康を一層気遣うとか、伯父が連帯保証人になるのをやめさせるとか、そういった方面から地固めするのがいいのでは。
なのに二〇〇四年に送られたってことは、六谷のタイムスリップは九文寺薫子と関係ない……こう考えていいのではないか。
「当たり前のことを聞くが、小学六年生のときの六谷君は、九文寺さんとはまだ知り合っていないんだよな?」
「当たり前だよ。顔を合わせたって分かりゃしない」
おうむ返しに近い即答をした六谷だったが、言い終わったあとにちょっとだけ首を傾げた。それに気付いて、「どうした?」と尋ねてみる。
「あー、SFっぽいこと考えてたんだ」
「というと?」
「確かに、まだ一回目の小学六年生の六谷直己は、この時代の九文寺さんと出会っても、顔も分からないけどさ。まあ、かわいいとか思うかもしれないけど、とにかく知らない者同士なのは間違いない。
でも今の僕、一度九文寺さんと知り合っている僕なら、小学六年生の彼女を見れば多分、分かるんじゃないかなと思った。それだけさ」
「なるほど。SFだな」
きっと分かるさ。経験者の私が保証する。
ま、私の場合、天瀬の靴に書いてあった名前を見るまでは、雰囲気が似てるなーって感じるくらいで確信なんかまるで持てなかったんだけどな。タイムスリップしたことや他人の身体に入り込んでいることにまだまだ慣れてなくて、他のことにまで気が回らなかったせいだ、としておこう。
つづく
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