第29話 間違っても抱きしめちゃいけない
「ごめんね。ありがとう。ちょっと行ってくるから」
「いいよ、しょうがないもの」
天瀬がお盆と食器を持ってその場を離、私と一緒に廊下に出た。
「先生、あのあとどうなるのか、見なくていいの?」
「見ていたら話がおかしくなるだろ。格好だけでも、職員室に行くふりをしなきゃ」
「それを言い出したら、運ぶ物もないといけないよ?」
「心配無用。ちゃんとある。連休中の出来事を書いてもらった作文ノート、あれを返す」
「……忘れてたわ。遅くない?」
「見るのに時間が掛かったんだよ。力作揃いで」
「ほんとー? あ、それよりも、寺戸さんに拭かせてよかったのかなあ?」
心配げにうつむく天瀬。
「私が言い付けたんだから、天瀬さんが気にする必要なんかない」
「でも。――あのあと、どうなったら成功なの? 教えてよ」
「私の読みでは……寺戸さんは床の汚れを拭くために、当然、ぞうきんを使おうとするだろ。そしてぞうきんが自分の物ではないと気付く。野々山さんの物だというのも分かるはず。その作りで分かるだろうってね」
話の途中だが、職員室に付いてしまった。説明を一旦中断し、作文ノートの山を抱えて、今来たルートを遡る。
「重くないか?」
「全然。先生の方こそ、あんまり軽々と運んだら、お芝居がばれるかも」
「ああ。説明の続きだが……ぞうきんの違いに気付いた寺戸さんは、どうするか。野々山さんのところに行く。ぞうきんが入れ替わっていることを言って、交換しようとするはず。そしてこう思ってほしいんだ。仲直りするまたとないチャンスだって」
「二人とも、ぞうきんが入れ替わっていたことを変に思わないかしら。下手したら、『あなたがやったんでしょ。どういうつもり?』ってお互いに疑い合うかもしれない」
「うん、だから成功を保証しなかった」
「なぁんだ、綱渡りみたいな計画だったんだ」
「――しっ。教室が近い。あとは仕上げをごろうじろってことさ」
私の行った最後のフレーズ、意味が分からなかったらしく、天瀬は小首を傾げた。
六年三組の教室に入ると、野々山の席の横に寺戸が立っていた。
半ば恐る恐るといった心持ちで、二人の表情を窺う。
――どちらも笑顔だ。よかった。作戦は成功したらしい。
微妙な作戦だったにもかかわらず、予想以上の成功を収めた。寺戸と野々山は仲直りして、今日は一緒に下校したという。
あの場に居合わせなかったので、どのようなやり取りが二人の間で交わされたのかは知らない。あとから子供達に少し話を聞いた結果、だいたいの想像は付いた。
ぞうきんの入れ替わりに気が付いた寺戸はそれを持って、即座に野々山の席に向かった。野々山が座っていることで多少は躊躇ったみたいだが、思い切った風に、「あなたのぞうきんが掛かっていた。そこにあるの、私のだと思うから」と話し掛けた。
野々山の方は怪訝な顔をしつつも、自分の机に掛けてあるぞうきんが自分の物ではないと確認し、交換に応じる。渡す際、「名前、書いてないのに、よく分かったね」と言ったそうだ。
寺戸は答えて曰く、「当然分かるよ。他のと全然違って、きれいかつしっかり縫い付けてあるから」と、これを端緒に誤解は解消されたようだ。
ほぼほぼ思い描いていた展開になったと分かり、私は内心、鼻高々といったところ。こんなことでも、教師として自信が付くもんなんだな。
「岸先生! ありがと!」
職務が終わり職員室を出て廊下を歩いていると、背後から天瀬の声がした――と思って振り返ろうとした。
が、その途中で脇腹の辺りに衝撃が。天瀬がタックルしてきた、のではなくて、抱きついてきていた。
つづく
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