第28話 ボタンの掛け違いを解くために

「した。本当にうまく行くの?」

「だから、うまく行くと保証した訳ではないと、何度言えば」

「そんなこと言ったって、早くすっきりしたい。ほら」

「ん?」

 彼女の目線の動きにつられて、私もそちらを向いた。担任する六年三組の女子達がいたが、どこに注目すればいいのか、すぐには飲み込めない。寺戸と野々山の姿を探すと、端と端に離れて立っている感じだった。

「名前順だから、“て”と“の”はだいぶ近いんだよ。それなのに、あんなに離れてる」

「分かった。なるべく早く手を打つよ。ああ、このあと、一緒に走らせてみるか」

「それは関係ないと思う。どっちかって言うと逆効果になるんじゃない?」

 思い付きを、ぴしゃりと否定されてしまった。まあ、ぞうきん入れ替え作戦よりも成功の確率が低いのは確かだろうな。

「あ、先生。走る順番、好きに組めるんだったら、私、男子の一番早い子と走ってみたい」

 急に話題が換わって、子供らしいことを言われた。声のボリュームも普通に戻っている。

「測る前から分かるのか、一番早いのって」

「だいたい分かる。先生だって分かるでしょ」

「……長谷井君か?」

 私はクラスの子達の身体能力について、全然知らない。以前の測定結果の記録だって見ていない。だから長谷井の名を挙げたのは完全に当てずっぽうだ。天瀬が男子と走ってみたいと言い出したのは、好きな子と走りたいって意味じゃないかなと。

 そんな思惑で反応を待っていたのに、天瀬はつーっと離れて行ってしまった。聞こえなかったふりをしたのか、本当に聞こえなかったのかは分からない。


 三時間目は記録を計測する種目、四時間目は課題達成の成否を見る種目(たとえば逆上がりができるかどうか、三点倒立ができるかどうか)を中心に体力測定はまずまず順調に済んだ。

 慣れないことをやったせいか、自分自身は身体をほとんど動かしていないにもかかわらず、結構疲労感があった。

 しかしのんびりしてはいられない。作戦の方を忘れないようにしなくては。ぞうきん入れ替えだけでは不充分で、そのぞうきんを使わせるきっかけを作らねばならない。

 と言っても、実際に動くのは、やはり天瀬なんだが。先生である私がやると、不自然になりそうだから仕方ない。

 私は給食を食べながら、成り行きを見守った。

 児童の食べるスピードは様々で、男子の早い連中だと五分と掛けずに完食し、さっさと運動場に行ってしまう。男子に比べると、女子の方が若干遅い。平均値を比べれば、三分は違うはず(※個人の感覚です)。

 だが、今日の天瀬は、昨日より明らかに早かった。役目を言い渡したせいで、意識してしまい、食べるのが早くなったようだ。

 ま、大勢に影響ないだろうからかまわないけれども。

 席を立った天瀬は、食器を乗せたお盆を手に持ち、前へ向かう。その途中に、寺戸の席があるのだ。

 私は予定通り、声を掛ける。

「天瀬さん、食べ終わったんなら職員室に来て。一緒に運んでもらいたい物があるんだ」

「分かりました」

 寺戸の席の横を通り掛かるまさにそのタイミングで、天瀬は返事し、自然な動作でお盆をわずかに傾ける。拍子に、おかず大用の器がひっくり返って、床に落ちた。

「あ! ごめん! 飛ばなかった?」

 そしてしゃがみながら、寺戸に話し掛ける。

「う、うん。私は大丈夫」

「よかった。床、拭かなくちゃ」

 一旦立ち上がる天瀬。そこを見計らって、再び私の出番。もう今にも職員室へ向かおうとする態度で、「天瀬さん、早くしてくれよ」と急かす。

 さらに、

「寺戸さん、悪いんだけど、代わりに拭いておいてくれないかな」

 と、巻き込まれた形の寺戸に、穏やかだが強い語調で言った。

「――はい」

 一瞬、どうして私がって顔になったが、承知してくれた。ほんと、すまない。


 つづく

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